弘文天皇(大友皇子) 長等山前陵(ナガラノヤマサキノミササギ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

「とんかつ棹」で「ロースかつ定食」を食べた後は~

市役所側へ国道を渡って 弘文(コウブン)天皇陵へ行ってみました。


って 弘文天皇って・・・ どんな時代のどんな天皇?
と思ったら 大友皇子(オオトモノミコ)なんですね!(天智天皇の息子で 天武天皇の 娘婿にして甥。更には天武天皇の皇后:鸕野讚良(ウノノサララ) 後の持統天皇 の父)
壬申の乱で 地方豪族を味方につけた叔父の軍に敗れ 山前(ヤマサキ / 具体的にどこかは諸説あるらしい)で自殺していますが 明治3年に弘文天皇と諡号(シゴウ)を贈られ、即位の実態は不明ながら 第39代天皇と認められて今日に至っている~ だそうで_。不勉強をお許し下さい。

さて 案内表示の立ってたゆるい坂を上っていくと_

↑The Private Garden FURIAN 山ノ上迎賓館 っていう結婚式場があってー
↓その向かいが陵への参道_

↓~という事を知らせる 案内板。


参道を行くと_

左手に案内板が。(やー てっきり右の森が陵かと)))

整えられた道を進みます。



因みにここ 元々は「亀丘」と呼ばれていた古墳(円墳)。明治10年に大友皇子の墓と比定され天皇陵となっています。(ちなみに比定にあたっての決め手になったのは当時の滋賀の県令(=知事)が書いた『弘文天皇御陵所在論』だそうなー)

色々あれこれ「へ~っ」ですが、 
大友皇子よ、「R.I.P.」。(合掌)



この後は 林を抜けて新羅善神堂(シンラゼンジンドウ)へ行ってみました。

つづくー