石山寺-2 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

山門から まっすぐ無憂園へ抜けた後は~
そのまま道なりに進んで 山回りで本堂へ向かいました。(これが順路に逆らってると気づいたのは 大分経ってから、です・・・)))

途中ー

光堂 というお堂がありました。

同名のお堂が鎌倉時代にあったそうですが これは近年建てられたもの。

お堂の南の斜面にはー

紫式部さんのブロンズ像がありました。

式部さんはこの石山寺で 源氏物語の構想を得、執筆を始めた~ と伝えられてるんですって。

光堂から東へ進むと 

丹塗りのお堂や塔が見えてきました。


が、ここでちょっと寄り道して_
豊浄殿という所で 「石山寺と紫式部展」 という展示を拝見。 

(美しい写本等を観賞しました)

さっき見えたお堂へー。

「心経堂」ですって。(花山法皇が納められた般若心経の写経を保存するために建立されたもの_だそう)

お堂の横_視界の開ける東に立つと

瀬田川を見下ろせました。/右手には「月見亭」という観月のための建屋も見えました。

近づいて 改めて見た月見亭。

月見亭脇から見た瀬田川。/昔はここから琵琶湖が見えたのかなー?

観月亭の右手には「芭蕉庵」という建屋がありました。茶室として使われているそうです。

そうそう、松尾芭蕉もこのあたりに滞在していたんですね?(少し北西の近津尾神社 境内地にある幻住庵に4ヶ月住み『幻住庵記』を著しています)

本来の参拝ルートに戻って(逆回りですけど))) 塔を見ます。

国宝の多宝塔。(1194年に建てられた物)/ 中には塔と同時期に造られた大日如来像(重文)が納められているそうです。


塔の向こうには・・・

「めかくし石」なる物がありました。ぱ っと見 供養塔の類のようですが・・・

「目隠ししてこの石を完全に抱けば諸願成就と云う」だって。/「完全に抱く」ってどういう状態かなあ? すごく大きくて一人では石の胴に手が回らないんだけどー^^;)

一段下りたところには 校倉造りの経蔵がありました。

床に下に・・・何やらありますよ? / 安産の腰掛石ですって。

陰石の類かな?


更に一段下りると_


三十八所権現社。/ 慶長2年に建てられた お寺の鎮守社との事。


ではいよいよ(???)国宝_本堂へ伺ってみましょう。

(↓幕が掛かっている所は「源氏の間」。紫式部が参篭した部屋、だそうで、十二単を着た式部のお人形が置かれていました。 更に手前に置かれたロボットのMURASAKI が あれこれ説明をしてくれてましたー。撮影自粛したんだけど もしかしたら撮ってもよかったかも~?)

斜面地に張り出した_懸造に支えられる外陣は 慶長2年の淀殿の寄進によって作られたと言います。内陣は平安中期の物とか。本尊は如意輪観世音菩薩。






舞台上から見下ろした本堂南側の谷_。

(高さ、伝わりましょうか?)

本堂前には お堂が並んでいました。

左から_御影堂。

毘沙門堂。

観音堂。


時に、ここから改めて上の塔を見上げるとー


手前の荒々しい岩のせいか 非現実的な光景に見えましたが、 いや 最初から効果を狙って建てられた物だったに違いありませんね。(天然の石庭!)


三十八所権現社も 下から見ると こんな感じでしたよー。


御影堂と毘沙門堂の間を進みー

石段を下りると_

大黒堂前に出ました。


(安置されている大黒天像は 1024年に琵琶湖から出現した~ という伝承をもつ秘仏だそう)

__大黒堂が拝観ルートの「出口」。

では 戻って参りましょう。


<おまけ>
京阪の駅へ向かう途中 お菓子屋さんの前を通りましたら_

こんな子がいました^^;)

おしまい。


(本当はこの後 三井寺の北院を歩こうと思ってたのですがー 石山寺が思いのほかに広く すでに足(なぜか脛)が痛くなっており_ このまま帰っちゃいました。/ 北院は 又こんどー)