法輪寺(ホウリンジ)と三井(ミイ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

法起寺(ホウキジ)に続いては_

柿畑の横を通り



 - - -かなりシーン抜け- - -
法輪寺へ行ってみました。

沿革・・・ 申し訳ないけれど 薄すぎて読めません^^;)


受付で頂いたリーフレットによると_


創建は飛鳥時代。聖徳太子の御病気(疱瘡と言われています)の平癒を願って 御子:山背大兄王とその子:由義王によって建てられたそうです。
発掘により_伽藍配置は法隆寺式(正面が講堂、右に金堂、左に塔)・規模は法隆寺西伽藍の2/3であった事がわかっています。が 江戸初期にはすでに境内には三重塔しか残っていない状態だったといいます。

(↑三重塔。戦前は国宝に指定されていましたが昭和19年に落雷で焼失。今ある塔は 昭和50年に復元されたもの。)
江戸中期 享保年間に宝祐(ホウユウ)というお上人が現れ 法輪寺の復興に取り掛かられます。/まず手掛けられたのは 三重塔の修復だったそうです。
そして続いて 講堂・金堂を再建された~ と言います。

(↑正面が講堂、右手前が金堂)

講堂内の仏像を拝見します。

華やかな唐草模様(?)の光背をもつオリエンタルな風貌の 講堂の本尊十一面観音も素敵だったけれど、 素朴な飛鳥仏達が創建当時を偲ばせ 「いいわー」でした。

講堂裏には北極星を仏格化した妙見菩薩を祀る妙見堂がありました。(江戸時代には妙見信仰が盛んで 法輪寺が再興なったのも妙見さんの信者の寄進によるところ大であったといいます)

(↑大きな松が切られていました。業者さんに「先の台風で倒れたんですか?」と尋ねたら「いやー虫ですよー」との事・・・)))

こちらでは 二月三日_節分の日(年の変わり目)に 「星祭」という行事が行われるそうです。

妙見堂の東には 鎌倉時代の地蔵像を祀る地蔵堂(建屋は江戸時代の物)がありました。

又その隣には 多分かつては辻にあったと思われる石仏さん達が並んでいました。

時に法輪寺は「三井寺(ミイデラ)」の別名も持っています。

(↑南の正面門から出てー)
(↓塀づたいに西へ~)


(↑瓦にも「三井寺」の文字が)
そのまま北へ上がって・・・

ほにゃほにゃ っと行くとー (説明しにくいんですよー)



三井寺の名の由来となった井戸がありました。(因みに三井は地名でもあります)


手前の案内板_「史跡 三井(ミイ)」。 / ここは聖徳太子が掘られた三つの井戸の一つ「赤染井(アカゾメノイ)」、と言われているそうです。(三つの井戸のうち 現存するのはこの井戸のみ、とか)

柵の中を覗いてみますー。


井の字型に組んだ石の縁_ 表面は粗削り 厚みにもムラがあって 技術的な意味では「未熟」。でもかえって 古い時代の物がそのまま使われている事がわかり 「ほ~」と思った事でした。

ちょ~ っと法輪寺界隈に詳しくなっちゃったっ。

この後はコミュニティ・バスで駅へ~と思ったのですがー

30分も待たなきゃいけなくてー・・・

法隆寺前まで歩く事にしましたー。


という訳で 中宮寺~法隆寺の土塀を観賞しながら歩いたのですがー




なかなか 味わい深く 「わざわざ歩く価値ある場所」と感じました。

__と、秋の斑鳩が堪能できたよい一日、でした~♪/おしまい。