対談「お祭り広場という魔物」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

昨日行ってきたEXPO’70パビリオンでの 企画展「Rebirth 太陽の塔再生」の開催イベントの対談(上田篤:元大阪大学教授と 橋爪紳也:大阪府立大学特別教授 二人の建築家による) 「お祭り広場という魔物」_。
内容が濃く スピードは速く ところどころ難しかったにも関わらず 面白かった! 以下はほぼ自分のための備忘録ですので どうぞ字は読み飛ばして下さい^^; / あ レクチャーで使われた資料の画像は撮影OKでした 念のため)




「まず「お祭り広場」の広場とは_ (話はほぼ上田先生の回想で進みます。引き出し訳が橋爪先生)
羽仁五郎の『都市の論理』の 「東京には広場がない」から始まっている。」 (ここの広場は、 ギリシャのアゴラ ローマのフォールムに相当する 市民が意見を交わし意思を決定していく_都市運営の根幹システム そしてその場所) 
では作ろう広場を EXPO’70の中心に。となった。(上田先生はお祭り広場の観覧席を担当なさってます。)

(先生が設計の参考にしたのは小豆島の亀山八幡の階段状の「石の広場」だそう。ここには住民が四畳半程の桟敷席を 自分で所有してそこで祭を見物する~ という風習があるそうです。/因みに広場を「お祭り広場」と命名されたのも上田先生。)

「お祭り広場の南はシンボルゾーン。まだ具体的な事が決まっていない段階で丹下さんが 屋根は私:丹下にやらせて と言った。
丹下さんの屋根は非常に独創的で 地面で鉄骨のフレームを組み それを二か月かけてジャッキUPしていく~ という物だった。」

「これはそれまでの建築では「ない」物。おそらく丹下さんはこの案を造船技術の方からもらったんじゃないかな と私:上田は思っている。」

「ところで丹下さんの屋根には穴があいていた。 ここにはてっきり彼と親交のあるノグチ(=イサム・ノグチ)さんがモニュメントを と思っていたが 岡本さんになった。」

「因みに 当初これは太陽の塔ではなかった。 私が岡本さんに「これは何ですか?」と聞いたら 大きな声で「縄文だよ!!!」と言った。
ではいつから太陽~ になったか というと はっきりはわからないが
一説には小松左京が命名した と言われている。彼がタロータワーを「太陽の季節だ」と言ったんですね。」

「石原慎太郎の『太陽の季節』_
あの本の中に X性自身で障子を破る話が出て来る。」

「あ、 私今 とても大切な話をしていると 思うんですがー。
ともかく 小松左京の 太陽の~ 発言以来 タロータワーは「太陽の~」になったんです。」 (「」は当日書いたメモを元に打ったので セリフとしては正確ではないかもしれませんが こんな内容でしたー)



_ という話を聞いてしまうと もう人間知らなかった昔には戻れませんね・・・。

後半は橋爪先生が 2025年の万博(予定)の企画の話をなさいました。

(↑屋根に穴↓、だ。2025年にも タロータワー的何かが ここから にょ っと?)


プランを聞き デザイン画を見て感じたのは_ 2025年の万博(予定)は1970年の万博と 繋がっている という事。 ’70というしっかりとしたベースがあるからこその 次の万博 なんですね。

EXPO2025_実現するといいですね^^)

色々勉強にもなった今回の対談。伺えて本当によかった。/教えてくれたaya風呂さんに感謝。