嵐山は法輪寺の見晴台 | (又)おだわらぐらし はじめました

(又)おだわらぐらし はじめました

 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

平野神社で早咲きの桜を見た後は_
嵐電を乗り継いで嵐山へ行きました。
(因みに行きしなは 西院で阪急から嵐電に乗り換えて北野天満宮へ行っております)

駅を出ると わー 人が一杯!


パフェ食べようと思ってたんだけど どこも行列がー。(丁度3時頃だったのも敗因か)
で スタンドでアイス買って疎水のヘリで食べました^^;) (あ、息子はコロッケを選択)))

↓時にこの疎水(手前の用水路)は「洛西用水」。↑上の「一の堰」の取水口から水を取り 洛西を潤しています。

渡月橋の先に宝塔が見えます。法輪寺のもののよう。/法輪寺には眺めの良い舞台があると聞くので 行ってみることに。


渡月橋を渡ると・・・


正面に法輪寺への上り口が現れます。

階段を上ります。

あ あれ? 思った方向へ上がらないんだけど ・・・ 道間違えたかな?

しかし足の速い妹と姪はもう 私の視界の外・・・

よかった 道はちゃんと法輪寺境内に繋がっていましたー。(それにしても 杖をつく妹の足の速さよ)

はー はー やっとおいついたー

法輪寺は十三参りで知られる真言宗のお寺。

(↑本堂前には狛犬ならぬ「狛虎」。左には「狛牛」。本尊の虚空蔵菩薩が牛と虎生まれの守護仏だから、だそう。)
この日も御着物の少女達が家族とお参りしてました。(僅かな時間に三組程見ましたよ)
山号は「智福山」。(この山号になったのは慶長2年(1597年)の事と言います)

こちらは和銅6年(713年)に元明天皇の勅願で行基が建てたお寺。当時は「木上山(モクジョウザン)葛井寺(カドノイデラ (カヅノイ・クズノイとも)」と言ったそうです。 貞観10年(868年)に空海の弟子:道昌が虚空蔵菩薩像を安置し法輪寺という寺名になっていますが、 この道昌さんは秦(ハタ)氏出身。このあたりは秦氏の土地ですし、葛井寺ができる以前 ここにあった葛井宮(カドノイグウ)は秦氏が信仰していた虚空蔵尊と関わりがあるといいますから きっとこのお寺にも秦氏のサポートがあった事でしょうね?
<詳しい話がお寺の公式HPにありました⇒http://www.kokuzohourinji.com/hourinji.html

さて 境内の隅にこんなブロンズ像がありました。
・・・山羊?

かと思ったのですが「羊」でしたー。虚空蔵さんのお使いですって。

舞台へ出てみます。

わー 広い!

渡月橋がすぐそこに見えます。左に送り火の「鳥居型」。バック左手奥は愛宕山。

右へ目を移すと比叡山がー。

法輪寺さんはふとっぱらで 五山の送り火の時は ここを開放して下さるそうですよ?(目の前には鳥居型。そして右に「大文字」も見られるんですって!)

さて では戻って参りましょう。
妹が5時の新幹線に乗ると言ってますので。



下山途中で見かけた「電電塔」。1956年(昭和31年)に、電気電波関係者の霊を顕彰しようと建てられたといいます。

背面の壁には ↑左に電波研究者の代表としてヘルツさん、
↓右に電気研究者の代表としてエジソンさんのレリーフが嵌め込まれてました。

「あ、そういえばエジソンのフィラメントには京都の竹が使われたんだよね?」なんて、 関係あるような ないような話を子供達としながら 又 坂をたらたら下りて 帰りましたとさ。/おしまい。