法隆寺_東院伽藍(夢殿)と中宮寺 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

東大門から外へ出~

まっすぐ東へ向かうと、

突当りが法隆寺の東の伽藍「東院伽藍」入口_四脚門(シキャクモン)です。/ 時に東院伽藍は 奈良時代の「上宮王院(ジョウグウオウイン)」がベースになっているそうですが、上宮王というのは聖徳太子を指す呼称なんですって。(聖徳太子=厩戸皇子=上宮王) かつて聖徳太子が住まわれていた斑鳩宮跡が 荒廃している事を嘆き 739年に興されたのが上宮王院、なのだとか。(へー)

門を潜った先には 夢殿を取り囲む回廊が。

先ずは手を清めましょう。

あら この水口はニワトリ?鳳凰でしょうか?


回廊内へ入ると、目の前に八角形のお堂:国宝「夢殿」がありました。この伽藍の本堂になります。

中には秘仏 救世(クセorクゼ)観音が。(この日は非公開でしたが)

屋根の上には輝く宝珠。


夢殿の南には「礼堂」。(神社でいう拝殿に相当するのかな?)

北側の建屋は実は真ん中で別れていて 東が舎利殿(シャリデン)、 (形としては少し不思議ですよね、伽藍の中心の八角堂の方が仏舎利を納める場所っぽいもの。まるで 舎利殿と本堂 が置き換わっているみたいー)

西が絵殿(エデン)となっています。(太子の生涯を描いた絵_が納められていま・・・した。現在は国立博物館で保存されており ネットで鑑賞する事ができます ⇒聖徳太子絵伝



回廊を出て北へ。

この袴腰をつけた鎌倉時代の鐘楼も国宝です。中の鐘には「中宮寺」と記されているそうですよ? (現在 この鐘楼は法隆寺に属していますが 過去には中宮寺のものだった、のでしょうか)




境内が隣接する中宮寺へ行ってみます。/ 中宮寺は 聖徳太子のお母様:穴穂部間人皇女の御願で建立されたと伝わる尼寺。(江戸時代以降は門跡寺院ともなっています)  500m程東に発見された四天王寺式の伽藍配置(つまり縦一直線の)の土台が旧地とされています。 (+法隆寺旧地とされる若草伽藍も縦一直線。 おそらく法隆寺と中宮寺は対になる存在として設計されたのであろう、と考えられているそうです)

中宮寺の入口は 夢殿の北東になります。(左の小さい入口が拝観受付)

右の正門から

 中のお庭を伺ったところ・・・。

(余談ながら/中宮寺の拝観料は 法隆寺の半券を提示すると100円割引になりました~)

庭の潜り戸を潜って南へ行くとー

昭和43年(1968年)に建てられたモダンなお堂が姿を現します。

高松宮妃殿下の御発願になるお堂だそうです。(中宮寺は門跡として有栖川宮から皇女お三方をお迎えです。高松宮妃殿下はお母様が有栖川宮の最後の皇女ですから 中宮寺との縁を強くお感じだった といいます。)

中に安置されているのは 国宝:弥勒半跏思惟像~ と私の時代は習いましたけど 今は如意輪観世音菩薩とされているんですねー^^)/ 本当に美しい仏像で 飛鳥時代の作というのに全く古さの無い むしろモダンな仏様。 小学生だった息子が「今まで見た仏様の中で一番きれい」と言っていたのが思い出されますー。(彼が見た仏像の分母ったら知れてますが、それでも「そうでしょうとも」ですよね。)

本堂の縁からは 塀越に夢殿が見えました。一応別のお寺、ですが ↓塀に設けられた潜り戸を抜けると (法隆寺境内地になる) 夢殿の回廊前に出られるようですから 垣根は低いのでしょう。

__ とこんなのが私達の 2017年12月31日のプチとりっぷ だったのでした。

↓おまけのマンホールの蓋。


おしまい。