多賀大社 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

えーっと・・・
道間違えたようです。(絵馬通りを更に進んで大鳥居から境内に入るべきだったみたい~)

いきなり太鼓橋前に出てしまいました。

この橋は 秀吉の寄進した一万石で建造されたため「太閤橋」という名を持つ、そうです。(ただし今ある石橋は寛永15年に再築されたもの、とか)

すごい勾配だー。両手を使って上がります。(ほぼアスレチック)

太鼓橋の上から川上を見たところ_。



では、伺って参りましょう。

御祭神は日本の国土を作り 数多の神々を産んだ 伊邪那岐大神と伊邪那美大神_。日本の皇室の祖神だからでしょう 神紋は菊、でした。

時に_ 夫神の伊邪那岐大神については 古事記に 「淡海の多賀に坐(マ)すなり」と記されているので、こちらにお鎮まりなのはわかりますが、けんかした 黄泉の国の妻神の伊邪那美大神も 今は仲直りして 一緒にお鎮まり、なの???

_とそれはともかく、
屋根の連なりが美しく 清々としながら雅で豪奢で 神々の御親に相応しい神社ですね。








順番あべこべですが 手水舎↓



境内には他にー
↓神馬舎(シンメシャ)


↓能舞台


↓文庫がありました。


(↑古い文庫としてではなく 歴史の遺構として保存されているもよう。/思想価値観が入り乱れた幕末は 水面下で色んな人が色んな動きをしていたんですねー。

こんな物もありましたよ。_江戸初期の物と伝わる大釜。


火灯窓風の焚き口がどこか唐獅子っぽいですね^^)

その先には神輿庫と鐘楼。(昔は神社にも鐘があったのかな?それとも神宮寺の物ででしょうか)


奥書院。


更に北へ上がると~

般若院跡がありました。(般若院は井伊家の宿坊だった神宮寺。村山たか女も住んだという。ですって)

今は小さな夷(エビス)様の祠が置かれているばかり・・・。

その先には日向(ヒムカ)神社。

境内の北の端のこのあたりには 他にはお参りの方はなく しん と静まっていました。

お祀りされているのは 天皇家の祖神、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。



右手の小社は 手前から「子安神社」「神明両宮」


西日を受けた黄葉も美しく 感動しましたー。

この後は一キロ程離れた胡宮神社(コノミヤジンジャ)へ行ってみたのですがー
その話は項を変えましてからー・・・。

一旦おしまい。



<蛇足>
黄泉平坂に千引の岩を置いて 死んだ妻と別れたイザナギノミコトが 天照大神+月読命+素戔嗚命という三主神を(一人で)産んだ後に鎮まった地が 琵琶湖の畔、というのは どういうことなのだろう~
と ずっと思ってました。
ここ多賀を訪ねればわかるのかなー と思ってましたが わかりませんでした^^;)
どころか、 Wikiに
古事記の真福寺本の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」は淡路を書き間違えたものではないか。日本書紀では淡路となっているし  云々
と書かれていて  ちょっとぎゃふん。