石上神宮(イソノカミジングウ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

いきなりですが、天理駅から乗ったバスを「石上神宮前」で下りて 物部氏の氏神社:石上神宮を目指しているところ、です。

↑布留川(フルカワ)に架かる布留大橋。(布留はこの辺りの地名。左手に見える山の名も布留山。神様の名前としても出てきます。そうそう 歌に詠まれる場合は「古」「振」「経」等のかけ言葉に使われる事も少なくないそうなので 覚えておかなきゃ、みたいですね。)
↓橋から川上側を見たところ。

↓川下側。


↑正面に見えるのは 地図によると「おやさとやかた 東右第四棟」のよう。川をまたぐように建ってて面白いですね。(シュノンソー城みたい)

川を渡った先を標識に従い左、へ。


少し先に_

恵比須神社がありました。

石上神宮の境内外末社で 祭神は事代主神。布留のエビスさん と呼ばれているそうです。


その先の分かれ道は右、へ。(というか 道なりに というか 道しるべに従って進みます)


田の稲は首を下げ始めていました。写ってませんが稲の1~2m辺り上をトンボが沢山 ぶんぶん 飛んでいましたよ。畦や斜面は夏草刈りたて のようでした。間もなく農機具が搬入されるので その準備かしらね?


坂道を上がっていきます。

灯篭が表れた。「参道」らしくなってきましたよ。


あら、ぽんと 整備された 広い道幅の参道に出た。こっち(県道からお訪ねするの)が本来の参道だったみたいですねー。


鳥居を潜ります。(私が潜る最初の鳥居です^^;)

扁額には「布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)」の文字。(後で知る事になりますが、主祭神のお名前です)


奥に進むと_

左手に社務所、(左奥は参集殿。境内MAPによると更に奥に儀式殿があるようです。)


(↑右の杉の古木は MAPでは「神杉」とされていました。/教養ある参拝者は柿本人麿歌が詠んだ 「石上布留の神杉   神さびし恋をも吾は 更にするかも」を思い出す~ らしいです^^;)
右手には鏡池が見えてきました。


ん?池のほとりの休憩所に 何かいます・・・

ニワトリだー。

このニワトリ達、HPによれば 40年程前に奉納された物ら なのだそうです。が今ではすっかり神社の日常風景の一部のよう。(エサを持参する参拝者もあるといいますから 人気者なのよー)

さてでは手を清め、


一段高まった所に建つ社殿へ向かいましょう。


神社は参道の左手に南面して建っていました。

(↑扁額の文字は山形有朋の筆になる「萬古猶新(よろずふるきはなおあらたなり)」)
(↓南の出雲建雄神社側から撮った絵)


門を潜ると 正面に拝殿がありました。

平安時代_白河天皇が永保元年(1081)に「皇居の神嘉殿を拝殿として寄進した」と伝わるもので 国宝。(実際の建立年代は鎌倉初期と考えられているそうですが、そうとしても拝殿として現存する物としては最古の物とか)
御祭神は
*神剣:韴霊(フツノミタマ)に宿る布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)
*天璽十種瑞宝(アマツシルシトクサノミヅノタカラ)に宿る布留御魂大神(フルノミタマノオオカミ)
*天十握剣(アメノトツカノツルギ)に宿る布都斯魂大神(フツシミタマノオオカミ)
総称して「石上大神(イソノカミノオオカミ)」と申し上げる、そうです。

崇神天皇の第七年に、それまで宮中に祀られていた神剣:韴霊が、勅命により 物部氏の祖 伊香色雄命(イカガシコオノミコト)によってこの地に移し祀られた のが神社の起源とか。(崇神天皇は統治の第六年に、 天照大神と倭大国魂神を宮中から出し 自分の娘達に命じて新たな祀り処に移させていますが、その翌年 国譲り神話に登場する神剣までも 宮中から外に出していたんですねー。)
詳しくは 公式HPをお読みくださいませ。
http://www.isonokami.jp/


さて、拝殿の向こうには現在は神殿が建てられていますが、これは明治に入ってから作られた物で、元来は建屋はなく ご神体である神剣:韴霊が埋められているという伝承のある「禁足地」であったそうです。
明治7年に大宮司が掘ってみたところ 伝承の通りに多くの勾玉や管玉とともに韴霊が出土!
これを納めるための本殿を建てようという事になり 建築のため禁足地を掘削していると 今度は「天十握剣(アメノトツカノツルギ)」(別名/天羽々斬剣(アメノハバキリノツルギ))では と言われる剣が出土!!
現在は出土した二振の剣と数々の玉が ご神体として本殿に祀られているといいます。
すごい・・・

そのようなお宝なら 是非とも拝見したいもの、ですが
ご神体は公開されないんですねー。

石上神宮のお宝というと七支刀(シチシトウ)も有名。 なかなか見られない物だそうですが、 ごくたまに公開されるそうなのでアンテナ張っていましょう。
神社の公式HPでは アップで見られますけどね。
(私的には 山岸涼子の漫画『日出処の天子』で物部の布都姫が持っていた 不思議な形の剣)))

さて本殿を退出して_

南の石段を上ると、天武天皇の御代の創建、と伝わる摂社:出雲建雄神社(イヅモタケオジンジャ)がありました。

神社の向かいには拝殿。元は内山永久寺という ここから600m程南の地点に建っていたお寺(石上神宮の神宮寺/ただ時代によってはライバル興福寺の末寺になったり 色々あったらしい)の 鎮守社:住吉神社の拝殿でしたが、 お寺が明治の廃仏毀釈で廃寺となった上 住吉神社本殿が焼失したため ここに移されたそうです。/ 国宝に指定されています。

割り拝殿ですから 元々あった住吉神社ではこの先に参道があったのでしょうねー。

拝殿さんも複雑な事情をかかえてここに建っているのだ・・・。

ありがとうございました。
おいとま いたします。


来しなはバスに乗ったのですが この距離なら歩けるかな~ と (正直に言うとバスの本数が少なく 待ってる間に駅へ行けそうだった) 徒歩で天理駅を目指しました。 / つづく