本当は陵も見てみたかったのですが もう暗くなりかけておりましたので 橿原神宮の方へ参りました。(神社に門限がありますので)
橿原神宮は 初代の天皇である神武(ジンム)天皇を祀る神社。

でも 建てられたのは明治に入ってから という 新しい神社です。

木の鳥居。扁額はありません。(この先の鳥居にも扁額は架かっていませんでした)/そして鳥居の横には「ドローン使用禁止」という立て看板が。(まさか そんな文言が書かれているとは思いませんでしたよ)

天皇が国家元首として地位だけでなく 力 も持つことになった明治_
政府は 天皇家がいかに古くから日本を治めてきたか を 国民に改めてアピールする必要があったんですね? (「♪紀元は二千六百年」なんて歌も作られました)

神武天皇がおわした「橿原の宮」がどこであったのか、は
橿原という地名が早くに失われたため 長くわからなくなっていたようですが、江戸時代に 国学者達が様々に研究し「畝傍山東南橿原地」という記述をもとに 今ある地を推定していたそうで、
明治になって政府が該当地を買い取り この神社を建てています。(敷地内の民家は移動を命じられたそうですが)

と そんな 「実は根拠はちょっとうすい?」宮のあった場所~なんですが

実際に境内を歩いてみると

とにかく広くて 立派で、、、素直に感動しました。

改めて 橿原神宮_

御祭神は 神武天皇:神日本磐余彦火火出見天皇(カンヤマトイワレヒコホホデミノスメラミコト)。_日向(ヒュウガ)の国から海を渡ってやってきて 大和に入ろうとするも ナガスネヒコと戦い 破れて、 熊野側からもう一度攻めて ナガスネヒコともう一度戦い 今度は勝利して 天皇となった方ですね。/ 皇后である媛蹈韛五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)も一緒に祀られています。
話はそれますが_

たまさかとはいえ 「大阪府民」というものになると 神話に対する気持ちも変わってくる物ですね。
私はこれまで 記紀を読んでも 特に誰かの側に立つ なんて事はなかったのですが
こっちに来てからは、神武天皇を征服者、自分を被征服者:ナガスネヒコの側 と感じています。(特に石切さんを知って以降)
釣灯籠に神紋が↓

_「 実付き抱き柏」という紋だそうです。

退出いたしましょう。

あ、この 中空に飾られているオブジェは「金鵄(キンシ)」という竹のアート作品です。(三橋玄という方が奉納された物との事でした)

金鵄は 金のトビ。 神武天皇が二度目にナガスネヒコと戦った折に この鳥が神武天皇の弓にとまり、光を発してナガスネヒコ達の目をまぶしさで見えなくさせ 神武天皇を勝利に導いた~と『日本書紀』に書かれています。(ナガスネ側からは憎い鳥^^;) / 「ナガスネ」(←地名です「長い脛」ではありません)は 戦の後に 地名を鵄(トビ)からとって「トビ(登美)」と変えたといいます。と言う事は 今 登美が丘(トミガオカ)と呼ばれる辺りが昔のナガスネなのでしょうか。 何らかの史実が反映されているのかな~?
又脱線してしまいましたが、今度こそ 戻ります。
神職さんがお見送りをなさっているのは ・・・ もちろん私達 ではありません、念のため。(神社にお客様がいらっしゃったのですね)

(↓神社の南の「深田池」)

(↓表参道)

この後は橿原神宮前駅から大阪に戻りました。

<おまけ>
黄色いポスト!


なんと 神武天皇ゆかりの観光スポットには 幸せの黄色いポストがある、んですかー!(又一つ賢くなってしまいました)
おしまい