御霊神社(ゴリョウジンジャ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

本町(ホンマチ)の坐摩(イカスリ)神社を退出した後は、道を北へ上がり 淡路町(アワジマチ)の御霊神社を目指しました。

↓高速16号線(大阪湾線)下を潜りますー。

↓ひたすら北へ・・・(右の建物は相愛学園)

↓本町フタバビル_フォントがお洒落~。(繊維業界の会社が入ってて船場っぽいですね)

↓更に北へ・・・

↓正面に鳥居が現れました。その向こうには中井エンジニアリングのビルが建っています。

(元々はこの正面から御霊神社へ入れたのかな?)
↓西側の通りに入ると、美々卯の本店がありました。

↓が、ありゃ? 神社には入れません^^;)

↓東の御堂筋側へ出なくてはならないのかなーと ブロックを回っていたら、北側に細い脇参道がありました。

↓ぽん と本殿傍に出ました。

↓まずは手を清めましょう。

(↑この神社の手水舎もちょっとユニーク)
↓拝殿。朱塗りの柱が華やか~。

現在の御祭神は、天照大神荒魂(≒瀬織津比売神)  津布良彦(ツブラヒコ)神 津布良媛(ツブラヒメ)神 応神天皇(≒八幡様) 源正霊神(=鎌倉権五郎景政公霊) との事ですが、17世紀以前まで 靭(ウツボ/現・靭公園内の楠永神社辺り)に「圓神祠(ツブラシンシ)」として祀られていた折の御祭神は 瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神 の三柱だそうです。/ 圓神祠というのは平安の昔に 穢れを払うための儀式が行われた場所。御霊神社は 古い伝統伝承を今に伝える神社なんですねー。
(おまけ // 圓:ツブラ というのは淀川河口付近の古名。大阪湾は圓江(ツブラエ)と呼ばれていたそうです。祭神のツブラヒコ ツブラヒメ は 摂津国(セッツノクニ)圓郷(ツブラノゴウ)の産土神(ウブスナガミ)です。/ 圓(ツブラ)は後に「津村(ツムラ)」となります。今は津村という地名は地図上にはありませんが 本町の北御堂:本願寺津村別院 に名を残しています)
↓神紋は二つ。八幡様の「三つ巴」 と 「立沢瀉(タチオモダカ)」。(立沢瀉はどこからきたのだろう?/京都の下御霊神社の紋は 「沢瀉に水」だそう。御霊と沢瀉に何か関係が?)


境内の北側に「東宮」なる社がありました。

↓幾柱もの神様が祀られている模様。


裏からお参りしたもので 紹介の順序が逆になってしまいましたが、
阿(ア)型の狛犬さんですー。

こちらは吽(ウン)。

↑霊獣っぽいですねー。(触ると ビリ っときそう)))

吽型の狛犬の近くに 何かあります・・・

↓「文楽座之跡」ですって。

(明治時代にここにあった「御霊文楽座」は、人形浄瑠璃の劇場として人気を博し いつしか 人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶまでになったそうなー)

神社の由緒銘板。

最後に鳥居・・・。


ありがとうございました。(礼)

こちらも 沢山の事が学べる素晴らしい神社でした。