土塔(ドトウ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

昨日は 堺市の土塔町(ドトウチョウ)へ土塔 (←727年(神亀4年)に行基が 大野寺の仏塔として造ったと伝わる土の塔)を見に行ってみました。

泉北(センボク)高速鉄道線 深井駅東口から 

道なりに ひたすら 東へ進むと
(かなり中略)
めざす土塔が見えてきました。


おー

これはこれはー

なかなか!

(↑南西の角から見上げたところ)
北側へ回ってみます。

↑ん? 雑草が生えている?
↓屋根がついた部分もあるんですが ・・・ これは?

トンネルが掘られているのかな と思いましたが さにあらず。

復元前の姿、が 復元されて(?)いました。

↑ つまり こんな状態の遺構が出土し、今の土塔が復元された、んですね?

(↑北東の角から見上げたところ)
(↓南東の角から見上げたところ)


ここからは瓦も発見されています。


↓土塔は このように築かれているそうなー。

↓こちらが 想像される「昔の姿」

↓こちらが その模型。

↓てっぺんには小さなお堂があった、んでしょうか?(因みに鎌倉時代に描かれた絵ではてっぺんに宝珠が描かれているそうなー)


境内に この土塔を 仏塔として持っていた大野寺は どんな建物だったのでしょうね?
今ある大野寺は 土塔の北に 道を挟んで建っていますがー

申し訳なくも こじんまりとしていて 創建当時の姿は想像ができません。

でも、案内板に載る本尊の十一面観音は アルカイックなお顔立ちで 「きっとお寺も古い様式のものだったのだろうなあー」思われるのでしたー。

(↑時に この案内板で私、 行基が堺市生まれで 渡来人 王仁(ワニ)の子孫と知りました。/へーっ)

帰ろうとして、お寺の西側へ回りましたら 小さな社がありました。

屋根に載る千木が 横に切られた「女千木」です。出雲だとこれは女神の社を表すのですが 大和ではどうなのかなー・・・
↓「土塔神社」だそうです。お寺の鎮守社 とかでしょうかねー?(不明)

お賽銭箱の脇の狛犬達。


↑小ぶりなんだけど不思議な存在感がありますねー。
↓社の北には お地蔵様の祠がありー

↓そのバックには土塔町公民館が建ってました。


む~ん 一日で「土塔度」が きゅ っと上がった気がします!(?)

さて この後は本町で神社巡りをしております。地味に続きますー