石切劔箭神社(イシキリツルギヤジンジャ) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

亭主が仕事上で付き合いのある方から
「え?大阪に来て丸三年 というのに まだ石切さん(←石切劔箭神社の通称)へ行ってないんですか?」と驚かれたとかで_

そりゃー行ってみなくては、と 行って参りましたよ。

↓近鉄けいはんな線の「新石切駅」から生駒山の方を見たところ

表参道は この大通り(というか高速の側道)を行った先だったのですがー
間違えてミスドの角を北へ上がってしまったアタクシタチ・・・
でも「新石切駅北」という交差点附近で 石切神社への西参道を発見。

電柱に渡された縄。藁の房が垂らされています。神域を示す物でしょうか?


道脇に対になった石柱と灯篭が置かれています。石切さんは もうすぐそこ、、、かな?

あら、占いのお店が並んでいます。


(値下げ合戦とかにならないのでしょうか???)
鳥居が見えてきました。

(↑板状の大きな石が並んでいます。普通の玉垣の5倍はありそう。/刻まれているお名前は 多額の奉納金を納めた方のものでしょうか?)
鳥居を潜ります。

沢山の人が 黙々と 百度石を回っています。

( 石切さんは 元々は「でんぼ(=イボ)の神様」として有名でしたが、 この頃はポリープもイボの仲間ということで 「癌封じの神様」として崇められているんだとか。(+「でんぼ」 は「伝法(=古からの伝承+秘伝)」が転じたもののようですが、堂前で「でんぼの神様なにとぞ」と一心に祈ればきっと・・・)

手を清めましょう。

神社本殿。

鈴。

賽銭箱の向こうには白い幕が張られ 奥は伺い知れないようになっていました。

(↑神紋は、下り藤に「石切」の文字)

時にこちらの御祭神は_物部氏の祖先と伝わる 饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)とその御子:可美真手命(ウマシマデノミコト(古事記ではウマシマジ))のニ柱。(伝説によると- 生駒山に天下ったニギハヤヒが 己が神である事を示す神宝(カムタカラ):天羽羽矢(アメノハハヤ)と歩靫(カチユキ) を示したので 土着民の長:ナガスネヒコは彼を神と認め 妹を妻として与えます。饒速日とナガスネヒコの妹との間に生まれたのがウマシマデ。)

社名の「石切~」は 、御神威が石をも切り裂く程の物である事をさし、
続く「劔箭(=剣矢 ツルギヤ)」は、 初代天皇である神武天皇が 同じ天孫でありながら自分に帰服したニギハヤヒに対し その徳を称えて授けた武器を示している そう。
(・・・なんですが、生駒山には石切り場があるんですよ、その石切とは関係ないのかしら?/とまれこちらは平安時代に書かれた延喜式神名帖にも「石切劔箭命神社二座」と載る古社。)

この神社が 物部氏の祖霊を祀るところと知るとー
電車で来る時「森ノ宮」(←大坂城近くの地名。物部守屋の屋敷があったと伝わる場所)を通ってきた事が思い出されました。ここは森ノ宮の ま東にある、んです。(上の宮というものが ここの更にま東にありますし その先には生駒の山頂が。) 物部氏は 朝日が昇る生駒の山に祖霊社を建てたんですねー?

↓社殿を東側から見たところ。奥に几帳がのぞいています。

前だけでなく 横も、人の目に触れないようにしているよう。(それだけ貴い神様としてお祀りしている、ということでしょうか?)

社殿と社務所を繋ぐ渡り廊下の下を潜って、奥へ行ってみます。


(↑左が社殿・右が社務所、です)
そこには不思議なお参り所がありました。


おわかりいただけるでしょうか?小さな祠の前に 沢山の陶器の小さな亀(2cm程)が置かれているんです。

この亀達は「祈り亀」といい、願い事を記した紙を託されて(亀は裏返すとオナカに穴があいていて、そこに折りたたんだ紙を入れるようになってるそうです) ここに置かれているのです。(亀達はここで 昼も夜も 祈祷者の願が叶うよう神様にお願いし続けてくれるそうなー)
↓その先の手水横には 蛙を刻んだ石が置かれていました。

(↑「かえるなどの置物類はその手でお持ち帰り願います」という注意書き・・・。蛙の置物を置いていく人がいる という事ですかね?)
更にその先の 鳥居の向こうにはー

丸い石が三つ並ぶ祠がありました。

穂積神霊社。 (ニギハヤヒの子孫 物部氏の一派:穂積氏(現社家:木積氏の祖先)の祖霊を祀る祠でしょうか?) ところでこの石は何でしょう? 真ん中の石には「九頭神」の文字が彫られています。 (ググってもなかなか情報が得られませんー) 御存じの方があったら教えて下さいませ。

穂積神霊社の横には「穂積殿」という額を掲げた門がありました。

この奥には宝物館があり春と秋に一般公開されるー そうです。(宝物館の収蔵品には平安時代の太刀「石切丸」、能の「小鍛冶」に登場する小刀「子狐丸」などがあるそうなー。いつか見てみたいものです。)

穂積殿の西には乾(イヌイ)明神社という小社がありました。。

御祭神は 應壅乾幸護彦(オウヨウイヌイ コウゴノミコト)。  飢饉に苦しむ民のため年貢の軽減を直訴して刑死した  江戸中期のこの地方の庄屋:乾市良兵衛を 代官であった小堀家が神祀りしたのが初めとか。

その隣の 北手水舎。


本殿南西には ご神木の樟。


ご神木の南には水神社がありました。


御祭神は岡象女神(ミズハノメノカミ)と 天水分神(アメノミクマリノカミ)という 水の神様二柱。水商売の人に人気、だそうです。 又、自分の名を書いた亀をこの池に放すと願いが叶う そうです。

境内の東側の境内社にもご挨拶。

五社名神社。恵比須大神・大国主大神・住吉大神・稲荷大神・八幡大神の五柱の神を祀る社で 商売繁盛、五穀豊穣の御利益があるそうです。

その北の神武社。祭神は神武天皇。/神武天皇が蹴った石が霊代(タマシロ)として祀られているそうです。

その隣にあるのは遥拝所。ま東を向いているので 上之宮 を拝む場所、でしょうか?(その延長線上には生駒山 山頂もあります)


あれこれてんこもりで 色々「へ~っ」な石切劔箭神社でございました。
(しかし ここから山へ向かっての参道が又 楽しかった! / つづく)