萬福寺-3 (境内+周辺 とあと少し) | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

+二つ前の項「萬福寺」では総門から法堂まで 一直線 に移動した絵を貼りましたが
黄檗宗萬福寺には その他にも多数のお堂がありました。/ 萬福寺の紹介をアレッポッチですますのは失礼と感じ (大した絵でもないのですが)貼り足します。

こちらは三門の先を左(北)へ上がった「開山堂」

まず「通玄門」を潜ります。


正面が開山堂。

開山者隠元禅師を祀ったお堂です。


どこかエキゾチックなこのお堂は、時代劇ではマカオや長崎の場~なんかに使われたそうですよ^^)

(↑開山堂から 通玄門の方を見ています。右手の建屋は松隠堂(ショウインドウ)/隠元さんが隠居後に住んだ所とか)
開山堂前を右手(東)へ行くとー

隠元さんの寿塔:真空塔が見えてきます。


(寿塔というのは「生前に立てておく卒塔婆」の事ですって)
更に行くと「石碑亭」という物がありました。

亀趺(キフ)の上に後水尾天皇が隠元に送られた 「特賜大光普照國師塔銘」が乗っています。隠元さんは国師だったんですね!(今頃)(時に、亀趺は普通 龍 の顔に彫りますが これは「すっぽん」?)

ここで廊下は南へ曲がります。

次の曲がり角手前に 鐘(合山鐘(ガッサンショウ))が下がっていました。(廊下の途中に鐘って 面白いなー)

合山鐘前から眺めた 南側の庭:中和園/左に蓮池が見えてるのですがー 蓮は終わってました。(中和 の名は かつてこの場所に 後水尾天皇の母:中和院の御殿があったことから と言います)

道なり(?)に行くと_

鼓楼がありました。

(↑外からはわかりませんが 階上に大きな太鼓があり、儀式の時は 天王殿をはさんで向かいの鐘楼の梵鐘とここの太鼓を交互に打ち鳴らす~ のだそうです。)

ではその「向かい」の方へ移動しましょう。

(↑只今 布袋さんのいらっしゃる「天王殿」前を 三門方向を見ながら歩いてますー)

天王殿前の回廊の突当りはー

祠堂(シドウ)(聯燈堂)でした。高位の僧侶の位牌が安置されているお堂だそうです。


祠堂から西を見ると_
有声軒(全日本煎茶道連盟が入っている建物)への門が見えました。(門の向こうに見えてる屋根は文華殿のものですが)

この先へは 後で行くことにしてー・・・

祠堂から東へ行きます。 
これは (さっきの鼓楼と対になっているところの) 鐘楼。

その又東隣_伽藍堂(ガランドウ)。

ここは「祖師堂」と対になっている建屋で 祀られているのは関羽です。

三国志でお馴染みの関羽は中華街等では関帝廟に神として祀られていますが、お寺では関聖大亭菩薩_仏様なんですねー。(へー)

↑因みに このお堂は華僑の皆さんには特別な場所のようで、堂内で祈祷する事が許されているようでした。(お堂入口に 「華僑の方へ、鍵は寺務所にあります」という お寺からのメッセージが貼ってありましたから)

伽藍堂の東の 斉堂(禅悦堂)。

ここは(前の項でも打ちましたが )「雲板(ウンパン)」「開梆(カイパン)」、二つの鳴り物が下がる 僧侶の食堂です。

又 入口前にはこんな物もありました。

↑「生飯台(サバダイ)」という石の台です。ここに少量の食物を置き、餓鬼や鬼子母神らへの施しとするそうです。

散策を続けます。

斉堂から本堂へ渡り~

その東の法堂から白砂を敷いた前庭を見たところ_(前方の建屋は本堂)

法堂と本堂の間の白砂の庭に面して建つのは_

慈光堂 と呼ばれる 一般信徒の納骨堂でした。

慈光堂の西側にあった 怨親平等塔。これは日中戦争で犠牲になった両国の戦没者の慰霊の塔。(開戦当時の住職さんの発願で立てられた物だそうです。 中国とえにし深いお寺ゆえ 日中が戦火を交えた事に対する苦しみは 他のお寺よりも大きかった事でしょうね・・・)

禅堂(選佛塲)/ お寺のHPによると「選佛とは佛祖となるべき師を鍛錬選出すること。転じて坐禅修行の意で、選佛塲は禅堂の異称。」だそうです。


祖師堂 / 禅堂の西隣の建屋。

こちらにいらっしゃるのは禅の開祖:達磨大師。(中国で活躍された方ですが インド出身ですって)

祖師堂の西は「鼓楼」ですから ざ っと一回りできたかな?

では 、授与所のハスムカイのー

売店でおじいちゃんにお土産を買いましょう。

あっ これ 素敵じゃない?黄檗(和名:キハダ)で染めた絹のスカーフ。黄檗宗らしさ満載だし。

と思ったんだけど高いので諦めましたー

↓実際に買ったのはこちら。開梆(カイパン)の絵のついた箱に入った金平糖と さっき普茶料理で御飯と頂いた 瓢箪の漬物。 


退出いたしましょう。
↓これは天王殿前の蓮池。(萬福寺は蓮の花でも有名なんですね?)

三門の西にも 広い蓮池がありました。放生池 だそうです。


放生池の南には
塔頭:天真院がありました。

こちらでも普茶料理が頂けるみたいですね?

(↑この日は剪定作業中で 覗くのもはばかられましたー)

天真院の東には 萬福寺の宝物殿 と言うべき
文華殿がありました。


お持ちの有名な書画は 春と秋に一般公開されるそうです。

文華殿 東の 有声軒敷地内にはー

茶具塚なるものがありました。

(古いお茶器が供養されているのでしょうか?)
*この茶具塚近くに「売茶堂」というお堂があったようです。見落としてます。残念。/今度行ったらしっかり拝見しようと思います。(扉に蝙蝠がデザインされているのですって)


総門近くの塔頭:萬寿院も ちら となりと覗いてみましょうか



丹の色が華やか。

門を出て 駐車場の方へ歩きます。
中国風の平底円門が印象的な紫雲院も萬福寺塔頭。


こちらの萬松院も塔頭だそうです。



(↑本堂前の門は竜宮門)
この更に西にも「竜興院」「黄檗鉄眼宝蔵院」「宝善院」~ などがあるようですね・・・(萬福寺境内の南側にも関連寺院があるらしいし) _ 「黄檗山」広い広い!


とまれ 今回の散策はここまで。(本当は 宇治駅周辺も歩くつもりでしたが 萬福寺とその周辺をじっくり見学していたら時間なくなっちゃった^^;)

(↑JRの線路)
(↓京阪の線路と駅)

(来た時と同じ)京阪宇治線で戻りましょう。

あ ホームからJ奈良線Rの電車が見える。(思いのほかに近くて驚きましたが ここから宇治まで しばらくJRと京阪は並んで走るんですね?)

私達が乗ったのは 「中書島(チュウショジマ)」行き。(以前は京都や大阪への直通列車もあったようですが 今宇治線は「宇治←→中書島」の折り返し運転のみとなっているようです)

で中書島から大阪へ戻った、のですがー

いやいやいやいや・・・
黄檗宗_ 萬福寺境内も 頂いた普茶料理も 豊かで濃くて 頂いた情報量が多くて しばらく頭の中がごちゃごちゃしておりましたよ^^;)ブログUPにも思いのほかに時間がかかってしまった。。。 / 正直まだ うまくまとめられないのですがー_「馴染み薄い」と感じていた宗派なのに 実際は日本の文化に大きな影響を与えていた というのがわかったのは 大きな収穫でしたな。
伺って 本当に よかった。


<おまけ>
中書島で乗り換える時に見かけた 機関車トーマスのラッピングカー。

こういうの見ると (すっかり大人ですが) 嬉しくなります^^)♪