
↑食堂である「斉堂(禅悦堂)」の前を通過中。/ 画面手前に下がっているのは鳴り物の一種「雲板(ウンパン)」。(←青銅製) お寺ではこれを叩いて食事の時刻 お勤めの時刻を知らせるそうです。
↓雲板の更に先に下がっていた魚の形の「開梆(カイパン)」。先代は丹塗りだったそうですが 今はナチュラルな木目調。/こちらも鳴り物です。行事開始の合図等で鳴らされるそうです。

斉堂の先を 南へ折れます。

その先が黄龍閣入口。


まずはここで靴を脱ぎー

棟続きの別館へ。

通されたのは 日本間ですが、テーブルと椅子が置かれています。

ああ、この頃は お年寄りや 外国の人の事を考えて~・・・
かと思ったのですが さにあらず。(後でお坊様から説明を受けて知ったのですが)
萬福寺には開山者隠元禅師が 明から何十人もの僧侶を連れて来られており、日本でも「中国式」で暮らされたそうです。よって 食事は昔から テーブル+椅子でなされていたのだとか。しかも 席順等もなく 大皿から皆が取り分けて食べる~ という それまでに日本の(ことにお寺では)考えられない 進歩的なスタイルで!(へー)
↑あ 上の写真は「食後」を撮ったものですー
↓席に案内された時点では テーブルの上には取り分け用のお皿と 御飯茶碗 湯呑茶碗 (+レンゲ+箸)が置かれておりました。/ お茶は「煎茶」_ って そんなの当たり前 のようですが 実は日本に煎茶を広めたのも 隠元禅師 なのだそうですよ? 又普茶料理の「普茶」は、「(お寺が、) 普く(あまねく= 広く衆生に) 茶を供する」という意味。黄檗宗では お茶はお寺と大衆を結ぶもの、なんですね?

まず 笋羹(シュンカン)という野菜の炊き合わせ等がのる 見た目にも鮮やかな大皿料理、麻腐(マフ)という胡麻豆腐、浸菜(シンツァイ)というお浸しが運ばれてきました。(大皿料理には まるでチーズのような「豆腐の燻製」、蒲鉾そっくりの「長芋」など ユニークな品も)

↓続いて 揚げ物_「油 食茲(←食へんに茲((ユジ)」。

(↑天麩羅に似ていますが 種に予め味が含ませてあるので 色々「面白い味」になってました。例えば「牛蒡や大根 赤蒟蒻の煮物 の揚げたもの」「紅白饅頭を巴に合わせて 揚げたもの」など。/衣も 「アーモンド」「抹茶」 色々で、兎に角「楽しい」んですよ)
↓皿うどん。(雲片(ウンペン=野菜の葛懸)として)

↓飯子(ハンツウ=御飯)+寿免(スメ=唐揚げ入りの汁))+醃菜(エンツァイ=漬物)。

(↑おすましの種はなんと「梅干しの唐揚げ」でした! 左奥の手桶に似た入れ物は御櫃!)
↓最後にデザート_果菜(クォツァイ)。

↓これは テーブルに予め置かれていた湯茶セットについてた落雁。やわらかいタイプで 懐かしい味がしましたー。

いやいやー 楽しく 盛り上がる食卓 _ でした。(二人、だったけど)
こうした黄檗宗の「食」の文化に触れた日本人は 驚いたでしょうねー。(古い仏教では「美味しい物を食べたい という己の欲に勝つべし」として 例えば平安時代なぞ「だし」で煮る事すらしなかった位ですから、「お寺で おいしい料理 しかも油を使った ボリュームのある」という所がすでに「へー?」だったのでは?)
こちらでお昼を頂くにあたっては 「リーズナブルなお値段の『お弁当』にしようか それとも ちょ っとお値段は張るけど 本当の『普茶料理』にしようか」 迷ったんですがー、 『普茶料理』にして よかった! (食事をしながら お坊様からじきじきにお話も伺えましたしねー)
↓食事処の庭越しに見た お坊様方の食堂である斉堂。(屋根に煙出がのってて 庫裡っぽい外観ですね)

食事の後は 境内散策の つづき です。(とにかく 広く 見所一杯!)