茨木市立キリシタン遺物史料館 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

話は前後するのですが_
まだま村でお昼を食べる前に 茨木市立キリシタン遺物史料館 を訪ねております。
その折の絵を貼りますねー?


茨木市の北部 に位置するこの辺り(千提寺地区)は山深く 道細く、、、 ここに史料館がある と知らねば訪れる事はまずなかろう、と思われます。(逆にそういう地区だからこそ 隠れキリシタンの史料が残される事になったのか とも思われますが)/ 実は史料館は 亭主がバイクでてきとーに走っていて偶然見つけたんです。で「わー こんなところに!」と驚き、今回私を連れてきてくれた、んですねー。

しばらく人家のない 竹林を走って
心細くなった頃
ぽかり と小さな集落に出ました。


↓右の石垣の家が「北摂 キリシタン遺物発見 最初の家」だそうです。

「茨木市立キリシタン遺物史料館」は その向かいに建てられていました。

(ちなみに、石垣の上の御宅(東家)で発見されたキリシタン遺物というのは 「あけずの櫃」という物に入った ザビエルの肖像画やローマ法王クレメンス8世のメダイ等々~ だそうな。/「あけずの櫃」は東家の当主(長男)だけがその存在を知る物で 大正9年までただただ守られてきたという。。。)


館内は撮影禁止だったので 絵 としてはご紹介できませんが、展示物・動画はなかなかに見応えがありました。(本物は他へ移されていて 史料館に置かれているのは複製が多かった、とはいえ)

(このあたりは キリシタン大名:高山右近の影響で キリスト教徒が多かったようです。
がキリスト教が禁じられ 領主が能勢氏になると 住民はキリスト教から日蓮宗に強制的に改宗させられます。
能勢氏は 住民を懐柔するためか 家紋を「矢筈十字」(←妙見さんのシンボル)に変えています。これからは キリスト教の十字架ではなく 妙見さんのシンボルを拝みなさい、の意味かと。 又 能勢氏自身もキリシタンだった という説もあります。
・・・ん~ みんなで こっそり それまで通り(表向きは仏教の天部である妙見さんを拝んでいるように見せかけてー) 十字を拝んできた、、、 のでしょうか???) 



<おまけ>
駐車場近くのマンホールの蓋。描かれているのはバラと鳩です。カトリックでは バラは聖母の、鳩は神の御霊のシンボル。図柄はここからきてるのー?かと思いましたが、 薔薇も鳩も茨木市の 花と鳥 でした^^;)