七福神めぐり2「呉服(クレハ)神社・恵比寿」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

豊中市は曽根の萩の寺に続いては_
池田市の池田駅近くの呉服神社へ行きました。
呉服 と書いて ごふく ではなく「くれは」と読むそうです。

参道を北へ上がると・・・

門が見えてきました。

門の右手前に「室町幼稚園」がありました。(空を泳ぐポピカルなマンボウがユニークでかわいい^^)

門を潜るとー

正面に朱塗りの柱や梁を持つ拝殿が。

中からは神職さんの上げる祝詞が聞こえてきます。(御祈祷の最中だったもよう)

えーここは謡曲「呉服(クレハ)」に謡われる 呉服(クレハトリ)を祀る神社 なのだそうです。(謡曲「呉服」をそも知らなかったアタクシですが // 応神天皇の御代に、呉服(クレハトリ)綾服(アヤハトリ)という姉妹が織物と縫製の技術を伝えるために中国(呉国)から来日した のだそうです。/ 呉服は仁徳天皇の御代に亡くなり、 この神社の「上の宮」になる 五月山の麓の「穴織宮 伊居田(アヤハミヤ イケダ)神社」に その遺骸が葬られ、「下の宮」になるこの呉服神社には彼女の遺品である三面神鏡が納められたそうです。神社を建てさせたのは仁徳天皇と伝わっており、ご祭神も 仁徳天皇と呉服の二柱 とか。 又「上の宮」には 妹の綾服(アヤハトリ)も祀られているのですって。色々「へー」でございます)
今私達が着物を「呉服(ゴフク)」と呼ぶのは呉服(クレハ)さん達が呉(ゴ)の国の服の織り方+縫い方を教えてくれた事に由来していたんですねー。(はるばる中国から来てくれた呉服さん達に感謝の気持ちが湧きました)
そして、ここは 大陸の文化や技術がもたらされ 栄えた土地だったんですねー。
そうと知ると 神社の華やかな様が「なるほどー」と感じられます。



(↑弓矢を持つ随神さんも男神だけどあでやかで雅な衣(キヌ)をお纏い~)

あ、今回のお参りの目的は 「七福神めぐり」でしたー
呉服神社境内の恵比寿社へ参りましょう。
恵比寿社は 手水舎の奥手_でした。

ここの十日戎も賑やかだそうですね?

凄い人の出と聞きますが 「今のうちに来ておいて正解やな?」という亭主のセリフには「んー?」と思ったり^^;)(「十日戎」は 十日に来るから御利益があるんですよね? / ま そもそも七福神巡りを年末にやってる時点ですでに私達は「どーでしょー」ですが)

↓社殿横のたたき板。(関西の大抵の恵比寿社には願い事に念をおすためのコレがありますね) 「三回叩きましょう」って書いてありました。そうかー 「耳の遠い神」と言われる恵比寿さんには 一回や二回じゃ お願い届かないんですね?(苦笑)

恵比寿さん、今年も沢山の人の 沢山のお願いを聞いてあげて下さいね?

↓社務所で押して頂いたスタンプ。


続いて箕面(ミノオ)へ向かいます。