大雲院と祇園閣 | おだわらぐらし

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縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

建仁寺方丈拝観の後、祇園さん(=八坂神社)を抜け、円山(マルヤマ)公園を散策した 友人と私_。
続いては 清水さんへ上がってみましょう と・・・
とよなかぐらし はじめました-銅閣
大雲院前を通ったら_。奥の祇園閣に人がのぼっているのが見えました。
7月から、こちら 内部を公開中なさってたんですね。(二年ぶり、とか)


(大雲院と祇園閣については 五月に、前を通った折の事を チョットダケ 書いているのですが、改めて触れますと_
大雲院というのは 正親町(オオギマチ)天皇が 織田信長とその子信忠の菩提を弔うために烏丸二条南に建てさせたお寺。それを秀吉が四条寺町(今のタカシマヤの南)に移し、長くその地にありました。が、四条が商業的中心地となり 昭和48年_1973年に ここ、旧大倉家京都別邸「真葛荘」敷地内に移された、 のだそうです。)

普段は非公開の場所ですので、
これは是非、と 私たちも見学させて頂くことにしました。
とよなかぐらし はじめました-大雲院
因みに、↑大雲院の東側にある「総門」は、元は東京のさる宮家の門だったもの、だそうです。
↓拝観受付は 南側_高台寺へ続く「ねねのみち」に面して建つ「南門」の方にありました。
とよなかぐらし はじめました-大雲院南から銅閣
↑この南門は、 大雲院が以前あった 四条寺町から移築したものだそうです。
(_ と ここまでの三枚の写真は五月にUPした物の使いまわしです~^^;)

 拝観料600円を納め_南門から境内に入ります。
↓ 内側から総門(左)と鐘楼(奥)を見たところ。
$とよなかぐらし はじめました-大雲院
時にこの鐘楼と梵鐘も それぞれ「物語」を背負っています。/鐘楼は 豊臣秀頼が北野天満宮に寄進したもの。そして梵鐘はかつて円山公園にあった天台宗のお寺:祇園感神院_通称「祇園さん」(←明治政府により廃寺にされています) のもの。どちらも明治の神仏分離で不要になった物です。それを宮崎の島津家が大雲院に寄贈し・・・今はここにある、のだそうです。

↓本堂。中で大雲院の歴史についてレクチャーを受けた後、お堂の裏にある 祇園閣へ上ってみました。
$とよなかぐらし はじめました-大雲院
本堂と祇園閣はほとんど くっついて建てられているので なかなか祇園閣の「上」まで入るように写真を撮る事はできませんでした。
$とよなかぐらし はじめました-祇園閣
↓案内の方に 「マンホールのあたりから見上げると 収まりますよ」と教えて頂き、再チャレンジ^^)
$とよなかぐらし はじめました-祇園閣
あ、ほんと、何とか上 まで入れて撮る事ができました。
(という訳で皆様、祇園閣を狙う時は 本堂と祇園閣の間のマンホールのあたりから~ どうぞ)

祇園閣は もともとは大倉財閥創始者:喜八郎(男爵)が別邸の庭に モニュメントとして そして又おそらくは展望を楽しむために造らせたものであり (上からは東山の寺院 祇園の町並が一望できます!) 宗教的な施設ではなかったのですが、大雲院という仏教施設の中にあることになっては それなりの役を担うべき という事なのでしょう、昭和62年_ 創建400年の記念事業として 修復と同時に 内部に敦煌莫高窟の壁画を模した絵が描かれることになったそうです。

お寺も_ そして旧大倉家京都別邸「真葛荘」の建造物も_ 少しずつ装いと 立ち位置を変えてきているのですね? (写真を撮り損ねましたが、大倉家の住居の方も「登録有形文化財」の指定をうけた味わいある建物でした。今はお寺の「書院」として使われているようです。)

そうそう、敷地内には墓所もありました。
↓墓所の入り口の門_
$とよなかぐらし はじめました-大雲院墓所
元々 織田信長親子の菩提寺として創建されていますので 二人の墓碑があるのは当然ですが 意外なところで 石川五右衛門の墓 もありました。(大雲院の開山者:貞安上人が、刑場に引かれる五右衛門から頼まれた・・・、と本堂で聞きましたよ? 五右衛門は戒名までもらっていました。)

たまたま通りかかっただけだったのですが、 沢山の事を学ばせて頂けました。(感謝)


*大雲院・祇園閣の今年の公開は 今月30日まで。
 関心のある方は是非この機会に^^)ノ



しかし・・・どういういきさつがあって 大倉家の土地にお寺が移されたのでしょう? (ありそうなところで 借地権消滅、とか?)/ 検索したのですがとうとうわかりませんでした・・・。参考になる本・ページ等をご存じの方がいらっしゃいましたら どうぞ教えて下さいませ。