
飛鳥にあった 蘇我馬子が建立した法興寺(=今日の飛鳥寺)が前身 といいます。 平城京遷都の折に 飛鳥にあったお寺を奈良に移し、 名前を「元興寺」とした、のだとか。
↓重文の東門(1411年に東大寺西南院から移したもの) から 本堂を見たところ_ ああ もうちょっと腰をかがめて撮ればいいのに・・・(亭主がー)

これが本堂 「極楽堂」_国宝です。天平年間に作られた重文「板絵 智光曼荼羅」をもつため、「曼荼羅堂」とも呼ばれるそうです。そして 曼荼羅の中心の阿弥陀様が本尊 なのだそうです。

↑今は 東門が正門になっており、お堂の正面も東ですが・・・
↓元々の伽藍は南が正面だったそうですから このお堂も_元々は南向きに建てられていたのかな? (お寺のHPに詳しいのですが、東門が移築される少し前に 極楽坊をリメイクして極楽堂を作ったそうです)

本堂の裏(西側)には国宝の禅室(僧坊)が建っていますが_

この禅室の東側と 本堂西側の屋根には 飛鳥時代の丸瓦が再利用されているのですって!

収蔵庫にもお邪魔しましたが 沢山の尊い様の仏像や 弘法大師 聖徳太子の像が並んでいるので 少し驚きました。信仰の対象物が こうした「別館」に集められているのは 収めるべきお寺やお堂が すでになくなっているから・・・なのでしょうね。(興福寺もそうですもんねー・・・)/ 明治の廃仏毀釈がなければ 私達は今 もっと沢山のお寺や仏像に会えたのだと思うと 残念です。
(話は飛びますが 収蔵庫の 聖徳太子二歳の立像 は「せんとくん」にそっくりですね)
おまけ_
↓蛙石

んー んー んー 微妙ですが 蛙!と言われれば蛙に見えなくもありませんね^^;)
この石は元々河内にあったそうですが 秀吉が気に入って大阪城に運ばせたそうです。がこの石の周りで不吉な事が続き (中略) 戦後この寺に移されたそうです。
今は7月7日に「かえる石供養」が行われているんだとかー。(へ~っ)
この後は 奈良公園を歩きました。 (つづく)