過去のブログと一人称 | 性別にモラトリアムを

性別にモラトリアムを

くださいな。

旧『とぜんそう。』
って最初は読み間違えるよね。改め。

むしろもう、性別概念とかなくなってしまえばいいのに。

昔の記事、全部消した方がいいかと思ったけど、

自分が読み返したいものとかは適当に残しておいた。


僕は文章を投稿する前に推敲しまくる人だから、

アホみたいに時間と脳の糖分を浪費してしまう。

思考することは好きだけど、考えすぎて書けなくなるタイプさ。


過去のブログを見ると、とりあえずのカテゴリとして自分が

「女の子」であることに大した葛藤はなかったようだ。

というより、性別意識が希薄だったんだろうな。
自分が「女の子」であることをある種ギャグのように捉えていた。

まぁ、違和感は確かにあったんだろうけどね。


昔から男に間違えられる(生物学的な意味で)ことが、心の中では嬉しかった。

過去ブログ一発目の自己紹介で触れてるくらいには自分の特徴だと思っていた。

まぁ、それが嬉しいとか書くのは「こいつ変態だろ」って思われそうなので自重したけど。

中学まで、混んだテーマパークとかでは

躊躇いなく男子トイレに入っていた。絶対バレない(業界用語で言うところの「パスする」)自信があった。


ずっと迷子だった口語の一人称が「自分」で定着したのは中三の終わり頃だ。

もう、なんつーか、ブログ上、この先の一人称の統一は諦めようと思う。

「僕」の方がクリーンな感じ(笑)はするけど、我や主張が強くなるところでは「俺」って使っちゃおう。

畏まった文章では、「僕」か「私」(ワタクシのニュアンス)を使う。

自分の性格上、おカタい考察文も多く登場するだろうことは予想がつくしね。


過去のブログでは、佐藤健のブログの文体真似てみたり、

当時読んだ漫画の登場人物がふざけて使ってたオカマ言葉を

面白おかしく使ってるのが見受けられる。

オカマ言葉を使うと飄々として文のノリがよくなるんだ。

あ、ここの表記上使っちゃったけど、「オカマ」は差別用語だって認識はみんなしといて。


佐藤健のフニャけた文けっこう好きだったんだよね。

機転が利くというか、言葉の選びにセンスがある。

過去の自分のブログの文体が多少柔らかくて

「~なの。」

とか使ってたのはこの人の影響が大きい。

って、別に女の子気取って使っていたわけではないことを主張しときたい(笑)。