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HSP・HSCカウンセラー
nuk(ぬっく)です照れ
 
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母の棺にみんなでお別れ花を手向けていた時

エレクトーンで流れてきたのは菅原都々子さんの


♪月がとっても青いから♪


この曲は私が4〜5歳くらいの時

父が運転する車で夜の道

あれはどこに向かっていたのかわからないけれど

後部座席に一緒に座ってた母が私に歌ってた曲。


月がとっても 青いから

遠廻りして 帰ろう

あの鈴懸の 並木路は

想い出の 小径よ

腕を優しく 組み合って

二人っきりで サ、帰ろう


昭和30年の曲なのですが

私は母から聴かされて覚えました。


他に母が好きだった曲は?と聞かれて

ピックアップしていたのが


東京ブギウギ(昭和22年笠置シヅ子)

銀座カンカン娘(昭和24年高峰秀子)

お祭りマンボ(昭和27年美空ひばり)


この後次々と演奏してくださったのですが

最初に「月がとっても青いから」が流れてきた時

幼い頃の母との夜のドライブが鮮明に浮かんできて

涙が溢れて止まらなくなりました。



このあと、みんなで母を見送り

母は骨となりました。

86年間がんばった母の身体を労い、お骨あげ。

母は父のホームの部屋に帰りました。

四十九日まで父と一緒にいます。


母の最期の話、長くなりましたが

読んでくださりありがとうございました。


お母さん、今年の桜も綺麗やったで


夜のドライブ、お母さんの歌、忘れへんで