●愛宕権現(あたごごんげん)
(※画像はwikipediaより)
権現とは、菩薩が姿を変えた尊へ送る日本特有の
神号で、その一尊である愛宕権現は、敵軍調伏の
境地を持つ地蔵菩薩とされた神。
故に、別名を「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」。
発祥は、一説であるが、
白山修験の開祖たる泰澄(たいちょう)と役小角が、
共に山城国の愛宕山に登った際に、大雷鳴の後に
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・富楼那尊者(ふるな
菩薩が、天下万民の救済を誓った際の姿とされる。
また、神仏習合により伊邪那美命(イザナミノミコト)と
同一視される。
「煩悩の賊、天魔の軍に勝つこと」、「軍陣闘戦に
際して難を免れる」といった験があるとされるため
戦国時代に持て囃されたが、敏達天皇(538年?~
585年?)の頃には日羅という者がこの権現の法を
護持していたとされ、清水寺の延鎮(8世紀末から
9世紀にかけての法相宗の僧)が、坂上田村麻呂の
戦勝祈願を毘沙門天と勝軍地蔵に対し行ったとする
記録がある。
(※画像は文化遺産オンラインより)
(山梨市市川の清水寺所蔵「木造勝軍地蔵騎馬像」)
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地蔵菩薩が変化したとされる権現です。
・・・・・が、
されています。で、菩薩って男神なんですが、
女神であるイザナミと習合されてます・・・・・・
もう滅茶苦茶です。
習合する前に整合とろうとか考えなかったのでしょうか。
御利益ですが、実は勝軍地蔵として祀る場合と、
愛宕権現として祀る場合とで御利益が違うようです。
勝軍地蔵は
「戦勝祈願」・「開運」・「立身出世」・「抜苦与楽」
愛宕権現は
「火伏せ」・「火災除け」です・・・・・
御利益も整合とる気とかなかったのでしょうか・・・。
真言は、
「オン・バザラ・ケイト・シタラ・ウン・ハッタ」
――と共に、勝軍地蔵呪というのがあり、
そちらは、
「オン・カーカー・カソダト・ソワカ」
おそらく整合とる気とかハナから無かったのでしょうな…。
印は、
親指を揃え、人差し指・中指を組んで、
薬指・小指は伸ばして揃えます。
唱えて頂いている動画は無かったので、泰澄と役小角が
勝軍地蔵に会ったとされる山城国(京都)愛宕山への登山動画を。