前回の↓この記事で輪っかを切ってしまった米袋ですが
リベンジしてみました。
紐のついた入れ口部分と底はがっつり糊が付いているので切り離し、
内側から一枚ずつ引っこ抜くことができました〜!!
一番表の袋にはでっかい岡山米の文字がありますが、
今回はゴミ袋なのでこのまま使っていきます。
で、↑これにざっくりアイロンを当てて
例の紙袋の作り方を参照に、
適当寸法でこのように↓折ります。
ここまでアイロン台の上でサクサク出来ました
あとは、底を糊付すれば、
はい出来上がり〜
めっちゃ簡単でした。
前回のやり方よりかなり時短出来ました!
うん、これならズボラな私でも続けられそうです
以上!
って終わりたいのですが、
またまた余談です。
私、米袋のようなタイプの紙袋を見ると昔のことを思い出すんですよ。
小学校4年?5年?定かではないのですがたぶん高学年。
記憶の前半にある光景。
まずね、それは大工だった父の発案だと思います。
紙の袋をバラして開いて、
細長い二等辺三角形を父が切り出して、
それを私が竹ひごにくるくる巻いているのです。
どうやらそれは私の夏休みの宿題らしくて、
父に巻き方が甘いとか注意を受けているんですね。
私は言われた通り一生懸命巻くのですが、
なんせ子供のやる事ですから父の望むようにはかどらない。
するといつのまにか母や姉や祖父母も手伝ってて、
いつしか家族全員で細い三角の紙を竹ひごにくるくるくるくる巻いているという映像。
で、当時私が思っていたのは、
(いったいこれはなんじゃ?)
自分の宿題なのに何を作っているのかわからない状態でした
あ、やっていた作業はこんな感じです↓
開いた紙袋を細い二等辺三角形に切り、
それを竹ひごでくるくる巻いて、最後は糊付け。
糊はきっと障子用のおかめ糊だったんだろうな。
竹ひごを抜くと、右側のミノムシみたいな形が出来ました。
使っていた袋は兼業農家だったので米袋かな?
いや、その頃は祖父母が小規模な養鶏をやっていたので、
もしかしたらニワトリの飼料の袋だったかもしれないな。
とにかくね、それを何枚も何枚も巻くのですよ。
まるで家族全員で紙のミノムシを作る内職をやっているみたいに。
果てしないミノムシ作業が終わると、
今度は色を塗れと父から指令が下る。
当事者の私はすでに飽き飽きしていたのでしょう、
色塗り作業が終わった後の記憶がないです。
で、ある日父が、
「宿題できたぞ!持っていけ」
と、出来上がりを見せてくれた物のイメージがこんなの↓
茶色いミノムシと古い五つ玉のそろばんを解体した玉を交互に凧糸に通して、
細い角材に穴を開けたものに通して、
しかも、裾のラインが絵のように三角じゃなくてちゃんとアーチになってたし。
なんと立派な『のれん』……だったんかーい。
みたいな。
そういえば凧糸にミノムシを通した記憶はうっすらあります。
しかも、その数は父からの指定で。
次の記憶は夏休みが明けた始業式の日。
角材を芯に連続ミノムシをくるくる巻いて
それを新聞紙で包んだものを持って歩きながら、
(これってぜったい小学生の宿題には見えんよな)
(実際これは家族で作ったし、あたしゃ手伝っただけみたいなもんだし)
また少し歩きながら、
(もしかしたら先生に怒られるかも)
(友達だって疑うよな。ズルしただろうって)
(実質的には家族に手伝ってもらったズルだし)
とか心配しながら、
「はぁ〜」とため息の出るどんよりした登校日でした。
幸い、先生や友達に何か言われた記憶は無いですけどね。
でね、うちの小学校では夏休み明けに体育館に長いゴザを何枚も敷いて、
その上に児童全員の工作を並べる展覧会みたいなのがあったんですよ。
(うへー、やだな〜)
とか思いながら、自分の持っていったミノムシのれんの前に立つと、
なんと、
「金色の紙」次に優秀と認められた「赤い紙」が貼られていました。
それを見た私の表情はたぶん
こんな感じ↓
家に持ち帰ったこのミノムシのれんは、
父がいそいそと玄関から見える位置に設置して
満足げに眺めておりました。
そりゃそうでしょう、
父の作品と言っても過言ではないですから。
以上、
米袋にまつわるねこミシンの黒歴史でした。
本日も最後までお付き合い頂き
ありがとうございましたm(_ _)m