11月1日、せんべい王国へ行って、せんべいの手焼き体験をしてきた。
栗山米菓の敷地を入ってすぐ右手に、ばかうけ神社なるものがあったのだが、私はてっきり、ばかうけの人気が出た故にこしらえたなんちゃって神社だとばかり思っていた。
アルビレックス新潟のアルビ神社みたいなものだろうという感覚でいたのだ。
だから、最初はばかうけ神社をスルーしてすぐに手焼き体験のほうへ行き、せんべいの手焼きをした後は、物販を見たりせんべいのパフェを食べたりしていた。
帰りのバスの時刻にまだ間があったので、それではと、ばかうけ神社を見に行った。
そしたらなんと!
ばかうけ神社は由緒正しい稲荷神社だったのだ!
栗山米菓の創業者が流作場で工場を設立した際に、会社の安全と繁盛を祈願して分霊してもらって建てたらしい。
新潟地震で被害を受けた後に今の場所に移転してきたそうだが、その時にお稲荷様も一緒に引っ越ししてきたそうである。
祠もお狐様の像もけっこう年季が入っていた。
やー、驚いた!
思わず「こんな所でお稲荷さんに出会うとは!」と声に出してしまったほど。
私の産土神がお稲荷様なので、さっそくお賽銭を奉納してお参りし、「せんべいの手焼き体験楽しかったです、しょう油だれのパフェも美味しかったです」と報告をした。
祠は年季が入っているし、きちんとお勤めもしてあるのだが、神主・巫女姿のばりんぼりんのフィギュアが飾ってあったし、絵馬もばりんぼりんの絵だった。
そしておみくじは、『開運 ばかうけみくじ』となっていて、ばりんぼりんのイラスト満載で、御言葉には、「サクサク」とか「星たべよ」とか「パリパリ」といった米菓がらみのワードが散りばめられている。
お稲荷様も一緒になって販促や営業に精を出しているとは。
繁盛する会社は柔軟な活動ができるのか、はたまた柔軟な活動ができるから繁盛するのか。
ばかうけ神社の年季のいった小さな祠を見ながら、そんなことをちょっと考えた。
それにしても、日本の神様は軽やかに変化するなぁ。
基本のスタンスは絶対に変えないけれど、時代の流れには逆らわないで適宜合わせていくようなところがあると感じる。
そう思うのは私だけだろうか。
神様が変化するのではなく、祀る人間の方が変化しているだけなのかな?
おまけ。
せんべいの手焼き体験をしてみて、自分が餅をうまく焼けないのは、まめにひっくり返すことをしないからだという事がわかった。
そんなこんなで実りある手焼き体験だった。