線維筋痛症と依存症の研究(1)? | ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群というわかりにくい病気について、症状、感じた事、試した事について書いています。
何か、参考になったら幸いです。

 

お久しぶりです。

m(_ _*)m

 

ちょっと、いろいろありました。ステロイドを使い始めて、いろいろ改善しました。

でも、長年の病気の症状って、薬単独の効果ではない事が多いと思います。

 

まず、季節の変動の問題もあり、自分なりに病気との付き合い方・生活の仕方の慣れ、あるいは生活環境の変化。人生に対する態度の変化。などなど。

 

 

いろいろな観点で、自分の線維筋痛症の症状・起こった出来事・感じた事・考えた事・効果・副作用的な事を、まとまらない形ではありますが、書いてきました。

いろいろ劇的に改善してきて、大きな節目を迎えているのですが、大きな根っこが残っているのを感じます。その事について、感じた事・考え方を話していきたいと思います。

 

 

繰り返し書いてきた事ですが、私は無理な努力をやめる事ができません。認知能力・思考能力が落ちてしまっているせい、注意障害があったせいでもあるのですが、それだけでは、説明がつかない部分もあると思いました。

どうしても、変な衝動がある。

どっと不自然な努力してしまう。リハビリを考えたり、実行したり。紛らす事をする。でも、どうしても体を微妙に壊すレベルをやる。

紛らわしのために、イラストっぽい落書き(イラストっていうと、知らない人は、物凄くハイレベな事していると思われてしまうのですが、本当に落書きです……)描いてみたり、短歌作ってみたり、ラジオ聞いてみたり。

そういうのも、取り組み方がおかしい。

認知能力・思考能力が、ある程度回復したのなら、自分の限度というものが、ある程度わかるはず。

 

 

双極性障害があるから、躁状態という事も考えました。でも、双極性障害の強い躁状態のように、万能感(自分には、どんな事もできるみたいな)は、ありません。かえって、自分の弱さを痛感し、不安で堪らないです。躁病とうつ病が、入り混じった感じの混合症状というのもあるそうです。そういう状態なのかもしれません。

「あなたは、双極性障害の混合症状です」と診断されても、今の状況の自分に取っては、「そうですか」としか言えない。

申し訳ないけど、それが、自分のための役に立たない。

気分安定剤や、メジャートランキライザー、マイナートランキライザーを多くすると、今度は動けなくなってしまう(ベンゾジアゼピン系の安定剤を増やすと、今度は、そちらを減らす時の離脱症状で、線維筋痛症を酷くするリスクも増える)。動けなくなってしまうと、また、筋力や判断能力が落ちてしまって、もっと生活ができなくなる。寝た切りの上に、社会生活からの引退になってしまう。

だから、精神科の方の先生とは、必死に話し合って、薬を多くしないようにしています。

勝手に減らしているわけではありません。

努力がやめられない事に関して、薬でどうにかしようとする事は、私に取っては、生物学的に死んでないかもしれないし、静かにはなるかもしれないけど、判断能力を失った状態で社会生活からの引退するという事になるので、意味がありません。

 

 

おぼろげながらですが、何か、依存症と近い距離にあるのは、感じていました。

自分は、アルコール・薬物・ギャンブル・買い物・タバコ……そういう、わかりやすい依存症ではない。

 

でも、自分の体に明らかに悪影響が出てるとわかっているのにもかかわらず、努力をやめられない。良い加減の努力にとどめる事ができない。理性(?)が効かない。

変な事になると、わかっているのに乗っ取られたように、自分の意志では、どうにもならない。

薬やその他の効果が、上がっても、これだと、また、繰り返す。

馬鹿みたいだけど。

根本的な事が明らかになってない。

自分の行動が、根性とか、自分の意志では、どうにもならない。これは、依存症の枠組みで考えた方がいいように、思いました。

 

 

頑張る事がやめられない。ワーカホリックという言い方もありますね。私は、働けてないけど。

仕事や頑張る事自体は、問題にならない。問題になるのは、大切な問題を見ないようにして、それをを紛らわすために、仕事を頑張っている時。その程度が、度を越し始めた時。

何か、辛い事紛らわすために、というか。

辛すぎる感情と向き合うのができない。やけどして、さらに火を近づけられる動物が跳ね回る感じというか。動物が跳ね回るよりは、ましかもしれないけど、コントロールできないのは、それに近い。

 

 

辛すぎる感情って何なのか。

多分、人生の現実。

私は、仕事を失い、若者ではない。全盛期ではなく、さらに、やっかいな病気で、体力・知力・持久力を落とした。

人間一人にできる事は、限りがある。自分にできる根性だけで、何とかなる体力的な限界は見えた。

兄は死んだ。重度の障害者にしては、長生きだった。でも、死んだ。厳然とした事実。人は、いつか死ぬ。

母は元気だが、老いている。時間は、過ぎていく。

自分も、いつか、何らかの形で死ぬ。厳然とした現実。老いと時間の経過。それは、自分には、どうにもならない。

頭では、考えないようにしていた。でも、体は、それを通説に感じていた。

でも、倒れたくなかったし、倒れられなかった。

認めたくなかった。

仕事を失って、兄が入退院を繰り返し、母の調子が悪い。自分の調子も悪い。

兄は入院している。母は要介護なわけではない。

自分も、わかりやすく壊れているわけではないから、公的な助成を求めるわけではない。

疲れ過ぎていたけど、どうにもならない。自分の状態をどう伝え、どういう事を手伝ってほしいと、誰にお願いしたらいいのかわからない。

前後左右上下。進む方向が、見つからない。

とにかく、個人的な努力を止めるわけにはいかない。止まったら、自転車のように倒れてしまう。

現実を見たら、意識が耐えられなくて、精神的に弱い自分は、死ぬ事を選んでしまう。

そこだ。

 

 

認めました。自分は、努力依存を自分の意志では、どうにもできない。

アルコール依存症ではなかったけど、父が重度の精神病を患い、兄が重度の心身障害者だった。

母は、それに目一杯の自分を使わざるを得ず、私に期待した。

健康的なバランスの取れた家族関係ではなかった。

自分の言いたい事を言ったり、喧嘩というものができる家族の空気ではなかった。

昔の言い方で言えば、機能不全家族、というのかな。

 

 

努力依存も、いくつか、線維筋痛症改善の小技みたいな参考になるものは、見つかったから、無意味ではなかったかもしれない。

不自然な努力をしてしまうメカニズムを、実際にやってみて、辿る事は意味のある事だったのかもしれない。

 

ただ、一つだけ、私がやった事で、良かったのは、頭の中にあるものを、まとまってないかもしれないけれど、比較的、周囲に害の少ない形で、外に出し続けた事だと思います。

それから、これも、極力、人にあまりに害にならない程度に、ネットだけじゃなくて、生身の人間に、自分の気持ちを伝えるようにした事。線維筋痛症の治療に、人間関係とかコミュニケーションを改善するのが非常に大切だと、理屈はわからないけど、直感で気づけた事。動きにくい制約がある中でも、極力、いろんな人と会って話をした事。

線維筋痛症の痛みやこわばり・精神症状の治療と、体力の回復の方向性が、見えてきたので、自分のわかりにくい依存症の治療が残っていると思います。ここをちゃんとやらないと、また、無理して元の木阿弥。家族関係も見つめ直さないと、不自然な無理を話し合えない家族関係も、変えられない。これも、ぐるぐるなってしまう。

 

そこを、目的にして行きたいと思っています。

 

 

追記

 

線維筋痛症/慢性疲労症候群は複合症状の総称です。

いろいろな要因が重なったものであり、その要因の多い少ないがあります。

私が知っている要因だけでも、

 

・先天性の関節の病気あるいは怪我

・感染症がきっかけの免疫疾患

・ある種のワクチンの副作用

・ある種の薬の離脱症状

・ホルモンや代謝の病気

・栄養失調

・トラウマや精神疾患

・発達障害の二次障害の要因

・アンバランスな家族関係や人間関係の要因

 

そういうものが重なり、その人の許容量を越すと、雪だるま式に膨らんで、多分、回復のサイクルに入らせなくさせるのでしょう。

病気として、大変複雑です。

私にとっては、一つ大きな問題がありました。自分が精神の病を患っていたので、混乱しました。自分の病気は精神の病気なのか、体の病気なのか。

 

「線維筋痛症は精神病ではありません」という事も、良く言われていたからです。

精神症状が少ない人も多く、関節の怪我や病があったり、ワクチンや薬の副作用、免疫系の病気、内分泌の病気なのにもかかわらず、単純に精神科に回されて、痛み止めと安定剤の処方を受けるだけで、正しい方向性の治療が受けられない人が、あまりにも多かったので、これも、無理からぬ事だと思います。

 

昔の表現では、身体表現性障害という言い方をしましたが、自分が「身体に対して異常な表現をするタイプの神経症」なのかどうか。

精神の病で、痛いような幻を見ているのか。慢性疼痛に関して、多くの医師が「幻の痛み」という言い方もしておりましたから。

ただ、病気の程度は厳しく、筋肉が落ち、自分の心の姿勢も体の姿勢を保つ機能も落ちていきました。どっちかを選べと言われても、選べない。だから、精神科と線維筋痛症の治療経験のある心療内科の両方に通っています。

 

皮肉な事なのかもしれませんが、最近、私は、抗核抗体の値が、通常の8倍に増え、何らかの膠原病の可能性が高くなりました。

だから、ステロイドを試す事に決まった。

でも、少しほっとしました。やっかいではあるけれど、バイオマーカーで確認できる病気になった。

気のせいと、他人や自分に責められる事は、これで、減りました。

私は心の病気と体の病気の中間の存在になった。

ただ、これは、体の病気の側面。心と体は繋がりがあり、心の部分は、生き方の態度の部分が多い。体の対処ができても、心の部分を悪くするサイクルがあるならば、知っていなければ、ぐるぐると、また悪くなる。

 

そこに対して、依存症。機能不全家族。という事なのです。取り組みたいと思います。