随分と白く濁った場所にいるものだ
一瞬 晴れたかと思えば
また 白く濁る場所

白く濁った先見えぬ山を
足元だけを見て歩く
大きな山とも
小さな山とも知らずに

そうだ
見えないなら
聞けば良い

大きく深呼吸して
目を閉じる

すると
何だろう
微かな音が

その音を辿ると
それは
木々の葉が擦れ合う音

五感で山を感じる
微かながらも動いている山を

そう
微かな風がある
この山には
私の周りには風がある

この風は きっと
この白く濁った霞を
消してくれる風となるだろう

そして 山が見える
自分のいる山が

そうして
消えては生まれるこの霞の中
今日も歩いている
さて
道路特定財源を一般化というが
果たして どれほど真剣なモノか...

このことは
高速道路公団民営化を
見る必要が有る

あの民営化も
元はと言えば
無駄な公共事業や天下り先を
問題視したことによる

っで
民営化したものの
成功したのだろうか?

民営化したら
何故 無駄な道路が出来ないのか

民営と成れば
当然の如く 利益を追求する

採算の取れない道路は
自ずと作らない

もし 採算の取れない
多額な負債が発生した場合
責任の所在が明確と成る

のハズ

っが フタを開ければ
何ともお粗末な民営化である

まず
民営化された会社に
一切責任が無い
赤字も 資産も 借金も
その会社には存在しないのだ

この民営化された会社を
日本高速道路保有・債務返済機構が束ねる
そこが 全てを引き受けるのだ

しかも この会社
利益を上げては成らないとなっている
意味不明の民営化
経営のケの字も無いのである

っで
一時凍結した高速道路
もう復活して
結局 予定通りに作るそうで...

まぁ~
民営化で変わったのは
一部のサービスエリアでの賑わいだけ...

失敗と言えるだろうねぇ~

どうして
失敗したのだろう??

自民党をぶっ壊すとした小泉さん
この 民営化に関して
何を考えたのか
法案作成を国交省に丸投げ

はぁ...

これを成功としている猪瀬氏は
今後 税金を莫大に無駄にした際
責任をどうとるのだろう?

まぁ~ システムは良かった
運営側の問題とするのだろうか
あの新銀行東京での誰かさんのように...

っつうことで
道路特定財源を
一般財源化という言葉ではなく
是非 内容をしっかり伝えて欲しいモノだ

でなければ
国民は判断付けない

医療三位一体の改革も然り
郵便事業民営化も然り
単に 大きく言うだけでは
何を判断しろと言っているのか分からない

今やあまり耳にしない
憲法改正も然り
反対賛成のみの判断など意味が無い

どういう目的で
何処をどう変えて
結果 どうなるのか

そのことを明確にしなければ
次の総選挙も単に祭り事

やがて 泡沫と成らぬよう
有る方へ

生きている意味とは?
と聞かれたら

意味など無いと答える

敢えて言うなら
死ねないからである

何故 死ねないのか
それは 様々

死への恐怖
終れないという意地
夢という目的
死を意識しない
などなど

生命というのは
人間だけが特別ではない
全ての生命は皆同じ

喰われた生命は
始めから喰われる為に
生まれた訳では無い

たまたま
喰われたに過ぎない

人間は
この『たまたま』ということに
捕われ 回避するように願い
恐怖を生み出している

とても 愚かであり
とても 人間くさい

そう 人生に迷うは
先への恐怖であり
その恐怖は
自ら生み出すモノ
幻影と言って過言ではない

自ら生み出した恐怖に
自ら怯え 狼狽える

何故に恐怖と化してしまうのか?

それは 現状に
納得していないからである

納得とは
価値観とのギャップである

自分の価値観が
喜びも 悲しみも 恐怖も
感情全てを支配している

そう 答えは
全て 自分の中にある

人の答えは
自分の答えではない

だから 自分と向き合うこと
価値観を再認識することが大切である

何とも単純であり
何とも難しいことである
人間の中にある心というモノは...

何が嫌なの?
何をしたいの?
何んで立ち止まっているの?

自分の中に何かあるハズ
それは 自分の招いたこと?
それとも 周りが与えたもの?
どちらから考える?

価値観は 人それぞれ
複雑に絡み合って
社会は形成されている

あなたの価値観と
同じように
皆の中にも価値観がある

互いにリンクする価値観
互いが反する価値観
本来 どの価値観も
否定できるモノではない

でも 人と関わる以上
価値観同士が共存しなくては成らない

自分だけの価値観に拘っていない?
相手の価値観を理解しようとした?
相手と自分を結ぶ接点は無いの?

そう人は
価値観の中で暮らしている
様々な価値観の中で暮らしている
自分だけの価値観が全てではない

でも 本当に自分が
納得する価値観は
芯となる価値観は
斯道として曲げず持ち続けること
それが 本当の自分なのだから

悩むということは大切
悩むということは
理想があるということなのだから

だた 同じ悩むでも
前に進む為に悩むべきである

今 止まっていても
単に 歩き出す休息なら
その悩みは 意味のある悩みと言える

もし 悩んで
結果 歩き出せないのは
悩む意味が無い
そこで 終ると同じだから

価値観が多様にあると同じように
方法もまた多様にある

ゆっくり自分と対話して
相手に寛容になり
自分の価値観としっかり結び付け

反省はあっても
後悔の無いよう進むことを願います

悩みが具体的に分からないので
ザックリ 自分の対処法を書いてみました
参考になれば

って 参考にできるか?この話...
まっ 何かを言ってあげたいという
単におせっかい野郎の戯言ってことで

自分なりの答えが見つかりますように☆☆☆
人とは
太古より何も変わっていない

常に
自問自答の繰り返しでしかない

集団に呑まれ
行き着く場所も知らずに
ただただ 流されて行く

これも 術なのだろう

たかが 80年程の時間を
やがて 消え行くモノに
何を求めるというのだろうか

呑まれるも 激流に立つも
どちらが正しいなど分からない

正しいかどうかは
その先に何を求めるかによる

私は
何を求めてるのだろうか

特に 何も求めてない
求めているモノは 無い

でも
呑まれるのには抵抗ある
何故?

何も望まなければ
行き着く先など
何処だろうが構わないハズが

何故か 抵抗がある

自分の中にある
説明のつかない
斯道というモノだろうか

呑まれることも術
楽という術なのに

誰も苦など
求める者はいないのに
楽という術に抵抗あるのは
何故だろう

苦を選んだくせに
苦への文句が口に出る
情けなきことである

苦の中に身を置く
その先に何があるのか

いや 私の求めているのは
辿り着く場所ではないのだろう

今 でしかないのだろう

今の重なりが
先の自分なのだということ

自分の守るべき斯道は
字の如く 道なのだろう

行き着いた先の場所よりも
辿り着くまでの道に
価値を見出しているだけのことだろう

辿り着きたい場所に
今一歩届かずして
朽ち果てても
自分自身が満足できる
その時の為に歩いているのだ

何も出来ずとも
くだらねぇ~人生だったなぁ~と振り返り
笑える自分なら それで良い
どうします?

いや~
私はどっちでも良いんですよ
別に

好きな方に
決めてくれれば

でも アレですよ
死ぬって選択もあるんですよ

いや
別に死んでくだいさい
って言ってる訳じゃないですよ

ただね
そういう選択も有りってことですよ

私は 良いんです
どっちでも
あなたの自由ですから

ただ お金無いんでねぇ~
できれば~

まぁ~
どっちでも良いんですけど

っと1枚の紙が問いかける
後期高齢者医療制度

確かに
自治体や家族構成によって
医療費が倍程に膨らむ

扶養とならず
あくまでも個人となる為であり
自治体の補助打ち切りもある

私の母親にも
この後期高齢者が届いた

あれ?
まだ75歳前なんだけど...
と思ったら
重度障害者は75歳前でも適用とか
任意加入だそうだが
確認も無しに送りつけるのは
全く持ってお役所仕事そのものだ

この制度
医療負担増ということを
TVで騒いでいるが
問題は それだけではない

この制度になると
まず 今の重度障害者が
選択することになる

それは 自分の延命である

まず 医師が患者の寿命を書き込む
あと 1週間とか 1年とか 不明とか

っで 次に本人が
延命処置は必要ですか?とか
輸血は必要ですか?とか
項目にチェックしてゆくのだ

全く持って
情無きことだろう

ようは
あなたは まだ生きたいですか?
そう聞いているのだ

通常 有る程度健康な人なら
然程そのことに問題を感じないかも知れない

重度と成っている本人には
とても
辛いケースがあることを知るべきだ

私の親を考えると
おそらく 延命はしない
そう選択するだろう

問題は 同じ選択でも
どういう気持ちで選択するかにある

体の調子が良ければ
そこまでして生きたく無い
そういう自分なりの生き方としての選択になる

しかし
問題は具合が悪い時である

もう 死にたいと思ってしまうこともある
家族の重荷を自覚してしまうこともある
ようは 自殺願望的選択になるのだ

本心は 生きたくても
現状に我慢出来なくなり
とにかく 死にたい
という気持ちになる危険性である

患者に接する場合
一番大切なのは
生きようとする気持ちに出来るかである

その真逆をするというのだから
問題の無い訳が無い

私の叔父は
植物人間に成りかけ
その後 意識を戻してから
もう十数年 病院暮らしである

その叔父にも
当然 この選択を迫られる

この間 逢いに北海道まで行ってきたが
私を分かっているのか定かではないが
話をにこやかにする

その笑顔は よそよそしく
こんなとこまで来て
有難うという笑顔である

本人は 生きたいだろうが
周りに何年も迷惑をかけている
という意識があるようだ

その叔父に選択をさせる
そんな酷な話は無い

何処が素晴らしい医療制度なのだ
金より大切なモノを蔑ろに
何を持って素晴らしいというのか

国が 自殺的選択を強制する
確実に間違っている

これが介護経験者の舛添氏の判断とは
もしかしたら 介護しながら
死んだら良いのにとでも思っていたのだろうか

金が正義的
今の日本の考えに問題を感じる
とうとう人命にまで達したのかと

その前に
削れるとこあるだろう

例えば
会社に義務付けてる健康診断
毎年行われているが
本当に毎年しなければ成らないのだろうか?
2~3年に一度で良いのでは?

健康診断は
最低ランクでは
特に何も引っ掛からない
殆ど意味がない

身長 体重 聴覚 視力など
特に 必要無いのでは?

せめて
本当に必要なモノだけにして
もっと安く済ませては如何だろう?

いまいち
健康診断に疑問がある
途轍も無い金が使われているような

国民も医療費を考えるべきだろう

単に風邪ぐらいなら
薬局で済ませれば良い

然程でなくても医者に行く人がいる
元々人は 治癒能力がある
あまり過敏になる必要は無いハズ

そうだ 10年病院に行かないと
国から10万円貰えることにしたら
少々の病気じゃ行かないんじゃないだろうか

な~んて
それは 重病なことに
成りかねないから無理として

国民も国に無駄無駄言ってばかりではなく
自分自身も無駄が無いか考えるべきである
果てしなく長い呪縛から
ようやく解放される時が来た

暗闇の続く先に
微かながら光が見える

手を伸ばせば
届く程

やっと ひと区切り

更新やお邪魔を
御座形にしていたものだ

まぁ~
長くかかった仕事も
メドが付いたことだし
こうして更新ができる

どうも
一旦 間が空くと
なんかボツボツとした
更新で良いかという気に成る

イカンねぇ~

っで ここ数ヶ月はというと
体力の限界だろうか?
そんな危機感を持っていた

とにかく 眠過ぎ...
とにかく 疲れが取れん...
頭の回転も悪過ぎ...

GW前まで
こんなことでは
仕事の効率化とセーブをしなくてはと

こうなりたい という想いに
出来ないこともなんとかカタチになどと
何度もやり直しして 自分の首を絞めていた
従来は それが原動力となっていたのに
限界だろうかと...

っでねっ
GW終わって
初日から完徹夜したんだけど
次の日 眠く無い
どころか なんか良い感じ
基の感覚に戻っている

?何故に??

考えてみれば
徹夜結構していた...
休み返上続き...
その割に思うように進まない...
その繰り返しをどれだけ続けていたのだろう?

っで
GWは仕事のこと頭にあったけど
なんやかんやで仕事できなかった...

ヤバい ヤバい と思いながら
Macに電源を入れなかった3日間

ヤバい ヤバい と想いながら
酒飲んで 睡眠を取ってた3日間

な~に ちゃんと休息とれば
完徹夜1日や2日は なんてことない
絶好調ではないか

だよなぁ~
休息は大切だよなぁ~
どうも一人で仕事してると
仕上げ時間も詰め詰めに考えてしまう

まぁ~ 徹夜すれば良いか
24時間で考えてしまう癖に歯止めが付かない
休日は 仕事がバリっとできる大切な日
連休は 夜仕事ができる夜行性の私には大切な日

それが良い感じに回るのは
全ての時間と目標値の自由性にあったのだろう

クライアントへのアプローチと
社内へのアプローチの違いが
同じことでも疲れの蓄積が違うものだ

そのことを計算していなかった...
ん~ 失敗の数ヶ月である

ってことで
昨日は なんと!
10時に就寝
どっぷりと7時間寝た

朝 目が覚めて
どっぷり感の中
久しぶりに良く寝たなぁ~と

っが 何?
むちゃくちゃ眠い...
疲れは無いが...


寝過ぎ?
どうしよ 眠む過ぎ...
ん~ どうしたものか...

まっ
仕事のメドも付いたことだし
今日は
少しゆっくりに仕事しますか

会社5月から新年度
少々遅いが
今期のシナリオでも作ってみますかねっ

あ~ そういえば
シナリオづくりも
久しくして無かったなぁ~

それも自分らしく無い原因か?
眠いが心地は良い
今の内に

そうそう
眠気覚ましに
久しくお邪魔してなかったとこ
お邪魔してみますかねっ

少し 自分のパターンに
戻れそうな予感
よし よし
みなし法案が可決
昨日は
ガソリンスタンドに長蛇の列
例外無く私も並んでいた

全く持って振り回されたものだ

与党の足りないから仕方無い論理も
政局へと持ち込んだコトも
何とも無責任なコトだろう

いくら反論されても
結果 振り回し
事業としての死活問題にまでなった訳だ
責任というモノがある

いくら正当な言い分と言っても
先読みというモノは
政治にとって不可欠である

国民に安定を齎すこと
そのことをどう考えているのだろう

例え 今解散総選挙となっても
どちらを選ぶという選択に
躊躇してしまう

おそらく
民主党が政権を取ったら
民意であるということで
強行的採決を行うだろう

何故なら
ねじれ国会で期待していた
論議を重ね多面的な見方で導き出す
そういった国会とはなっていないからだ

どちらも
結局
力技でしか結論を出せない

国会は論議を重ねる場であり
力の論理を振りかざす場ではない

本来であれば党拘束など
あっては成らないのではないか
勉強や多面的な考えなどを纏め
投票は あくまでも1政治家として投じるべき

いっそのこと
党政治を廃止すべきではないだろうか

まぁ~そうなると長期計画はできないが...
そう分かっていても 言いたくなる程
日本の国会は 可笑しいと思う

そんな昨日のみなし法案の影で
一つの法案が採決
そして可決されていた

それは ふるさと納税である

あれ?この法案
久しく耳にしなくなったと思ったら
サクッと採決

さて ふるさと納税とは?
納税となっているが
寄付である 住民税の1割程

ゆかりの地に寄付をし
その寄付を税額控除するカタチである

メリットは?
生まれ育った故郷への地域貢献ができる
成人するまでに教育に税金を注いでも
他県に就職してしまう その不平等性を解消

デメリットは?
自治体間での奪い合いの恐れ
適応対象が都道府県なのか?
市区町村なのか明確性が無い
行政サービスを受ける住民が税を負担する
受益者負担の原則から逸脱
行政サービスの不平等性
外国人の帰化に対しての対策が無い
根本的 地方活性化 格差是正の対策にならず

まぁ~ こんな感じだろうか

私が危険性を感じるのは
この制度は 個人的感情に委ねるモノ
その為 一局に集中してしまうことも有り得る

例えば
マスコミにより
ある所がクローズUPされる

その報道により
人々の心が動かされた場合
その場に集中してしまうことも有り得る

どのことを持って
平等な報道とするのかが問題となる

マスコミは 全部とは言わないが
特にワイドショー的報道は
視聴者感情を気にする
当然 視聴率あっての
番組であるのだから

そうなった場合
夕張の成人式の報道でもあったが
行政資金が無いと言っても
有る程度の資金はあり
本当に盛大にやるべきことなのか?
ということよりも 破綻の街で
若人が犠牲になってる的な感情となるような報道により
多くの国民は 関心を持っただろう

実際には 様々なところが
いろんな問題を抱え 喘いでいる

マスコミに紹介されるのは
極一部であり
有る程度のインパクトがある場合のみである

本来 東京など一部しか
税収に余裕は無い

それが
ただでさえも税収が少ないとこで
他に1割取られたら
という問題をどう考えているのだろう

東国原知事も同じである
彼は 努力していると想う

しかし 他の県の知事も
同じように努力し頭を悩ませている
まぁ~ 至福を肥やしている人もいるが...

となれば 利点を考えて
本当の意味で 地域貢献した人や
経営感覚のある人より
タレント性のある人が行政のトップになりがちとなる

それでも
実力があれば良いのだろうが

私のような素人が
乏しい想像力を働かせても
そんな問題点のある法案が
大きな話題の法案の影で
サクッと可決されている

マスコミでこのことに触れたのは
ズームインの新聞の見方というコーナーで
辛抱さんが 小さな記事を紹介しただけ
他のマスコミは 一応にガソリン税の報道のみ

確かに 直結することである
関心の高いことであるが
ふるさと納税は
長期的に問題のある法案

そのことを取り上げたマスコミが
あまりにも少ないことに
私自身 より不安感が膨らんだ
極刑 死刑判決

9年とは
実に長い時間を費やしたものだ

何故に ここまで
時間がかかってしまったのか

客観的主観にて
判断すべき司法が
判例という恰も正当的というモノで
客観的判決を下さなかったことにある

判例を重んじるというのは
刑罰の平等性にある
それは理解できるが

何故に
法で決まっていることより
判例の方が重要と成るのだろうか

18歳以上は 極刑死刑を科せる
その決められた法は
意味の無いものだというのだろうか

では 何日後なら良いのだろう
であるなら 19歳にしたら如何か?
っで 19歳と1時間なら
たった1時間でという酌量を生むのだろうか?

全く持ってキリが無い

やはり 法を重んじるべきであり
大きな理由が無い限り
極刑を免れるということは
法自体を無意味にするモノである

身勝手な殺人者が
更生をすることが可能なのか?
更生可能の論拠は何処に?

次に 注目すべき点
それは 自白強要である

差戻し裁判での一転した供述
当時の自白は
強要であるという主張

まず 客観的に
この言葉を考えると
全くの嘘と言えるのだろうか?

事実
不当な取り調べや自白強要は
過去より何度か耳にする

しかし これが
本当か 嘘かは
当人同士しか分からないことが多い

全くの密室で行われる
国家権力の立ち振る舞いは
実際のところ分からない

状況証拠的な
思考的な部分でしかない
つじつまが合わないとか
そんな感じの

だとすると
弁護士立ち会いや録画も
必要ではないだろうか?

客観的判断要素は
多い方が良い

もし 映像等が残っていたら
このような主張が
本当か 嘘かは
すぐに判明する話である

忘れていけないのが
私たちは 断片での情報しかない
警察が絶対的正義であると考えるのは
とても危険なことである

それは
疑うということではない
どちらに対しても
公平に考えるということ

陪審員制度が施行されれば
マスコミの報道も今のままでは良く無い
客観的に物事を伝えなくては成らない

TVでのコメントが
単にその場だけの情報への感情
そういうことが多過ぎる

本来 然程気に成らないことも
一言で大きくなる
世論とは 正当な声であって
正当な声ではないのだ

陪審員に選出されるのは
事件直後から隔離される訳では無く
のちに選出され 数日間の話
当然 マスコミの影響はある

客観性を身につけるのは容易ではない
っが 陪審員制度を考えると
絶対的に必要である

一時の心情や思い込み
そういうことで判決が決まることは
犯罪者への犯罪とも言える

もう一つ 気に成ること

無期懲役判決はじめて下った時
遺族の彼は
『早く出て来てもらい
自分の手で殺したい』
そうTVで言っていた

その言葉を自ら
昨日の会見で
不適切な発言としたが
TVの発言として不適切というだけで
本音は 殺したいのだろう

日本は 仇討ちを認めていない

しかし 仇討ちは
酌量の余地となるのだろうか
それとも身勝手ということになるのか

もし 最終判決が無期懲役で
出所後 遺族が殺害した場合
私が 陪審員であるなら
酌量として考えるのか
身勝手と切り捨てるのか
それとも
社会の秩序として切り捨てるのか

法治国家である以上
判決の下った求刑を終えたことになる者
それは 罪無き人となる

法的上の罪無き人を殺す罪
どれだけの重みがあるのだろうか
当然 殺し人は極刑を覚悟している

更生ということに意味が無い
殺害で全てが終わりなのだから

彼は 良識者であるゆえ
そういうことには成らないだろう

しかし そういうケースが
今後無いかというと言い切れない

十数年前まで
有り得ないと想っていた事件が
当たり前のように起こっている現状

仮定ではあるが
想定は 必要である
外から完全に隔離された
溝鼠の這う場所

日の光など入らず
切れかけの電球の
明かりだけが揺れている

人々が寄り添い
白く煙る場所

私たちに
自由は存在しないのか
日の下にいた頃を
懐かしむことも無くなり
荒み行く

我らに自由を!
GIVES FREEDOM!!

ってことで
酷く無い 神奈川
そんなに喫煙者が憎いのか!!

まっ
そんな私の私心はさておき

店内強制的に禁煙って
どうなの?
そこは自由で良いのでは?
店を客が 選べば良いのでは?
行政が介入すべきでは無いと想う

駅や病院など
多く人が 選ぶということの
困難な公共な場は理解できる

しかし そうでないトコ
野外も全面禁煙って...
少し 過剰な気がするのだが

喫煙場を設けるべきだろう
これでは 家の中でしか吸えない
まるで 喫煙者が犯罪者のようである

世論の賛成が
50%以上とあるが
その中身は 本当に
耐えられんというモノなのか?

単に こういう法はどうですか?
というニュアンスなら
煙草を吸っていない人は賛成というだろう
相手の立場になって判断したのだろうか?
とても疑問がある

自民党支持率30%切ってる
不支持の方が上回っているのに
日本のトップは 自民党

それに比べれば
喫煙の不支持なんて少ないモノだ

って そんなのと比べてはいけない...
ついつい 感情的になってしまいました...

本当にそこまで害なの?
いつも言うけど

そんな害のモノ
何で販売許可してるの国は?
一方で 許可して
一方で 吸うなとはどういうこと?

こうなったら
自ら 立証するしかない
未来の同胞の為
未来の愛煙家の為
いざ 立ち上がろう~!!

そう 私は
キツい煙草を吸い続け
長生きしてやる!

あっ!
ヤベっ...
あまり長生きしたくなかった...
どうしよ~

そうか
健康で死ねば良いか!
って
健康で死ぬってどうすねば良い?

っていうか
皆は何歳まで
生きたいのだろう?

ちなみに 私は
長くても73歳ぐらいかなぁ~
60歳前でも良いかなぁ~
できれば 死ぬまで
現役としたいからなぁ~

あ~ でも苦しいのは嫌だなぁ~
ポックリと死にたいなぁ~
やっぱ 老衰かなぁ~

あ~ 老衰となると
やっぱ有る程度生きなきゃ駄目かぁ~
難しいモノだなぁ~
生きるも 死ぬも...
薄暗い
コンクリートの狭い空間
冷たさだけを感じる空間

今より始まる
いや
終わると言った方が
良いだろう

皆が
その現実を
考えないかのように

いやに
普通に会話する

笑顔さえ
そこにはある

促されて 頷き
一歩一歩
登る冷たい階段

今までの自分が
走馬灯のように過る

でも
不思議と感情が無い
ただ 自分が今終わる
それだけのこと

辿り着いた先
薄暗いその先には
垂れ下がる1本の白きロープ

黒い布袋
自分が見る最後の風景が
ゆっくりと閉ざされてゆく

執行の号令と共に
一瞬 宙に浮く体
そして ストンと垂れ堕ちる

終わった...

徐々に 締まりゆく
軋むロープの音が
生々しさと成り
空間に広がってゆく

私が 描く
リアリティーの無い
死刑執行

是非は当然あるだろう
しかし 陪審員制度が目の前
私たちは 死刑執行を
リアルに受け止める必要性がある
責任がある

リアル感の無いまま
人を裁くことは無責任というもの

しっかり
死刑執行というモノが
どういうことなのか
知らなくては成らない

文化放送で
5月6日am10:00~55分間放送される
仮タイトル『死刑執行』

昭和30年代
実際の死刑執行を録音したモノ
録音時間は30~40分だそうだ

死刑執行前の
死刑囚と刑務官の談笑
読経の声
軋むロープの音

最後 終わる時
人は 何の言葉を残すのか

音だけの世界だが
そこには 想像では感じ得ない
リアルさがある

私は
何を感じるだろう
惨さだろうか
虚しさだろうか
それとも何も感じないだろうか

気持ちの良いモノではない
正直 あまり聞きたくは無い

っが
それでは 逃げている
陪審員として人を裁く者として
死刑執行のリアルさから

しっかり 現実を受け止め
その上で 毅然として裁く
そのことは 必要だと想う

何人も命は重い
そう 罪深き者とて同じ

その重い命を奪うのだから
法として 秩序として
命を奪うのだから
しっかりと見つめるべきである

それだけ重いのだから
そのことを奪った者には
死刑執行ということは必要と想う

それだけ重いだから
それだけの責任を背にするのは
当然のことである