昭和16年12月 真珠湾攻撃大失敗

(及び昭和62年4月国鉄分割民営化失敗の共通点)

※今回は個人的見解、私見を記載しています

【投稿日 令和6年5月29日】

 

 

  1⃣ はじめに

 

 #465等のブログで国鉄分割民営化(昭和62年4月)は「成功したように見えて実は失敗」である旨記載したところですが(私見)、それは、昭和16年(1941年)12月の真珠湾攻撃についても同じだと最近思うようになりました(私見)(下記の通り)。

 そのため、国鉄分割民営化失敗について考える上でも真珠湾攻撃が大失敗であったこと(私見)について述べておく必要があると思いましたので、今回は、それについて記載します。

ギザギザ

※今回のブログは、『渡部昇一の昭和史正新装版』(渡部昇一著、WACBUNKO)等下記にて記載の参考文献によるところが多いです

※今回のブログは非難の声が上がるかもしれません

※<参考>『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)では、ミッドウェー海戦大敗等については記載されているが、真珠湾攻撃失敗に関しての記載がない状況。また、真珠湾攻撃は大成功等と書かれている書籍も多い。つまり、真珠湾攻撃は一般的には成功と思われているようです。

ギザギザ

※参考までに経過は次の通り

<参考 真珠湾攻撃経過>(昭和16年12月6日~8日の経過)

・ワシントン時間12月6日午前、日本外務省は野村駐米日本大使にパイロットメッセージ(予告電報)を打電。しかし、12月6日の夜、駐米日本大使館は寺崎英成一等書記官の送別会実施。この送別会の最中に、日本外務省から駐米日本大使館へ大量の電報が届けられる。それはワシントン時間12月7日午後1時(日本時間12月8日午前3時、ハワイ時間12月7日午前7時、真珠湾攻撃開始30分前)に最後通牒の通告書をアメリカ政府に届けよ」と日本外務省から駐米日本大使館へ指示する重要電報で、最後の14部が届いたのはワシントン時間12月7日午前7時であるが大使館員は出勤していない状況(午前9時に出勤してきた海軍武官がこの大量の重要電報に気づき大使館員に連絡)。

・そのため、駐米日本大使がワシントン時間12月7日午後1時にハル国務長官と面会する約束をしたが、暗号解読やタイプ打ちに手間取り、結局約束の時刻に通告書を渡すことができなかった。

日本時間12月8日午前3時25分(ワシントン時間12月7日午後1時25分)、日本海軍はハワイ・オハフ島の真珠湾への攻撃を開始⇒航空機による攻撃はハワイ時間7日午前8時00分(日本時間8日午前3時30分)に雷撃により開始される予定だったが、これより5分早いハワイ時間7日午前7時55分(日本時間8日午前3時25分)に急降下爆撃隊がフォード島のウィーラー(ホイラー)陸軍飛行場へ250 kg爆弾による爆撃を開始し、これが初弾となった。

・ワシントン時間12月7日午後1時40分、真珠湾攻撃の第一報がルーズベルト大統領にもたらされる。

・ワシントン時間12月7日午後2時20分(真珠湾攻撃開始から50分程経過した後)に野村吉三郎駐米日本大使と来栖三郎特命全権大使が最後通牒の通告書をハル国務長官に手渡す

 

※『渡部昇一の昭和史正新装版』(渡部昇一著、WACBUNKO)や『昭和史の真実』(渡部昇一著、PHP文庫)等下記参考文献、ウイキペディア、下記ネット記事等に基づき記載

ギザギザギザギザギザギザ

<参考>

 

 

<参考>真珠湾攻撃直後の新聞報道の状況は例えば次の引用資料の通り

<引用>

※引用元:朝日新聞(昭和16年12月9日付け)

※引用理由:真珠湾攻撃直後の新聞報道の状況をお示しする為

 

 

 

 

  2⃣ 真珠湾攻撃大失敗

 

1 真珠湾攻撃大失敗①~駐米日本大使の大失態で「卑怯なだまし討ち」になった件

 真珠湾攻撃が大失敗であった理由のひとつ目は、駐米日本大使館の大失態(詳細は下記の通り)により、真珠湾攻撃がスニークアタック(こっそり忍び足で近づいてやる、卑怯な攻撃)となったことです。これが一番大きな失敗だと思います(私見)。この大失態により、日本軍による真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」となり、戦後80年たっても「卑怯なだまし討ち」と日本が叩かれ続ける事態になりました。再度言いますが、この駐米日本大使館の大失態は、真珠湾攻撃最大の大失敗だったと思います(私見)。ただし、陸軍参謀本部等が米国に開戦の意図を察知されることを恐れて、最後通牒をアメリカ側に通告するのを遅らせようとしたため、あるいは海軍が開戦の通知をギリギリまで遅らせよと外務省に強行に迫ったため、アメリカへの通告が真珠湾攻撃の後になった、という指摘もあります。これも確かだとは思いますが、下記の経過から、やはり大失態を犯した駐米日本大使館、特に予告電報を受け取った下記駐米日本大使が一番悪いのではないか、と私は思います(私見)。その大失態の内容は次の通り↓

【駐米日本大使館大失態の内容】

(1941年12月6~8日)

※時刻はワシントン時間で記載

 

①ワシントン時間12月6日朝(真珠湾攻撃前日)に東郷外務大臣は野村吉三郎駐米日本大使に「対米覚書を発信するので明日、本国からの訓令14部が届き次第、アメリカ政府にいつでも渡せるよう準備するように」とパイロット電報(予告電報)を送った。
②しかし、ワシントンの日本大使館は同僚の寺崎英成一等書記官の送別会を予定通り、ワシントン時間12月6日夜に実施して、駐米日本大使館員全員が「ワシントン時間12月7日の午後1時に最後通牒の通告書をアメリカに必ず手渡せ(要旨)」という日本外務省からの電報に長時間、ワシントン時間12月7日朝9時まで気づかない状況となる(この経過及び下記③の状況から、野村駐米日本大使は予告電報のことを駐米日本大使館員等に伝えなかったと考えらえる)
シントン時間12月7日の午後1時(真珠湾攻撃30分前)に最後通牒の通告書をアメリカに必ず手渡せ(要旨)等の重要電報を出勤した海軍武官が発見し(ワシントン時間12月7日午前9時)、大使館員に連絡、連絡を受けた大使館員が慌てて出勤した(この状況から、送別会で駐米日本大使館員はベロンベロンに泥酔した、としか考えられない)
④慌てて出勤した大使館員は大急ぎで作業したが、暗号解読に手間取り、うまくタイプを打てず、作業が大幅に遅れる(この状況から、暗号解読やタイプの苦手な大使館員が出勤したと考えられる)。結局間に合わないため、ハル国務長官と午後1時に面会する約束をしたにもかかわらず、独断で「面会時間を延ばしてほしい」と国務長官に要請。

⑤ワシントン時間12月7日午後1時25分、日本軍がハワイ・オハフ島の真珠湾攻撃開始、ワシントン時間12月7日午後1時40分頃日本軍による真珠湾攻撃の報告がルーズベルト大統領に入る(真珠湾攻撃が先になった)

⑥真珠湾攻撃から約50分後のワシントン時間12月7日午後2時20分、野村吉三郎駐米日本大使と来栖三郎特命全権大使が最後通告をハル国務長官に手渡した(真珠湾攻撃後すでに50分が経っていた)

 

※『渡部昇一の昭和史正新装版』(渡部昇一著、WACBUNKO)や『昭和史の真実』(渡部昇一著、PHP文庫)等下記参考文献、ウイキペディア、下記ネット記事等に基づき記載

👇

 このように、駐米日本大使や駐米日本大使館の大失態により真珠湾攻撃が先になり、真珠湾攻撃は日本軍による「卑怯なだまし討ち」となりました。(この件については、日本外務省が駐日米国大使を呼んで宣戦布告の通知をすれば良かった、という反論もある)

👇

 駐米日本大使や駐米日本大使館がこの大失態を犯すことで日本軍の真珠湾攻撃が「卑怯なだまし討ち」になったことにより、米国国民や米国兵士の間に「リメンバー・パールハーバー」の強力な意識や日本人に対する強烈な敵意が生まれ(プロパガンダの影響もある)、戦争の終結が大幅に遅れ、結局神風特別攻撃隊、1945年の硫黄島や沖縄等での大惨劇、東京大空襲等や広島長崎での大惨劇、満州からの引き揚げで起こった様々な悲劇等につながった、との指摘もあります。

→私は、この指摘に賛同しています。この時の駐米日本大使館の大失態のせいで、ミッドウェー海戦大敗後多くの日本人が戦争で大変悲惨な目に会うことになった(この時の駐米日本大使の大失態が広島長崎等の惨禍につながった)、そしてその悪影響は戦後になっても続いた、と思わざるを得ないです(私見)

ギザギザ

では、どうすれば良かったのか?私は次のように考えます(私見)

①野村吉三郎駐米日本大使は、予告電報についてきちんと駐米日本大使館員に伝えるべきであった(伝えていれば、送別会を実施する場合でも誰かが留守番などをして、電報が来た時すぐに暗号解読やタイプ打ちの作業に取り掛かることができ、大失態を防ぐことができた)

②ワシントン時間1941年12月6日夜の送別会を中止すれば良かった(これをしていたら、本国からの指示通りワシントン時間1941年12月7日の午後1時に通告書をハル国務長官に渡すことができ、卑怯なだまし討ちにはならなかった)(私見)

③送別会中止が無理なら、本国外務省からの重要文書の電報が来ればすぐに対応できるよう、野村大使もしくは暗号解読やタイプ打ちの得意な大使館員を大使館に残しておけばよかった(これをしていたら、本国からの指示通りワシントン時間1941年12月7日の午後1時に通告書をハル国務長官に渡すことができ、卑怯なだまし討ちにはならなかった)(私見)

④本国外務省は、駐日米国大使を呼んで宣戦布告の通知を実施すれば良かった(これをしていたら、駐米日本大使が大失態したとしても卑怯なだまし討ちにはならなかった)(私見)

⑤上記のことができなかったなら、ワシントン時間1941年12月7日、手書きの通告書を作成して本国から指示のあった時間(ワシントン時間1941年12月7日の午後1時、真珠湾攻撃の30分前)にハル国務長官に渡し、タイプで清書した文書は後日届ければ良かった(私見)。(同様のことは、ハル国務長官の回想録でも記載されている。下記参照)

⑥真珠湾攻撃を担当する部隊は、神武東征神話を思い出して、遠回りして西側から真珠湾を攻撃すれば良かった(これをしていたら、通告書が間に合い、卑怯なだまし討ちにはならなかった。また、米軍最新の空母等を発見できたかも)(竹田恒泰氏の下記著書参照)

⑦大失態を犯した駐米日本大使館は速やかに、自分たちの大失態のせいでこうなったという事実を全世界に向けて発信し、責任をきちんと取るべきであった(私見)。これをしていれば、リメンバー・パールハーバーの意識や敵意は最も弱くなり、惨劇に会う日本人はもっと少なかったのではないか、と思います(私見)

ギザギザ

<参考>

<ネット記事>

※遅れた攻撃開始の通告や駐米日本大使の怠慢等についても記載

 

ギザギザ

<参考 ハル国務長官の回想録>

<引用>

「日本政府が(ワシントン時間12月7日の)午後1時に私に会うように訓令したのは、真珠湾攻撃の数分前に通告を私に手渡すつもりだったのだ。日本大使館は解読に手間どってまごまごしていた。だが野村は、この指定の時刻の重要性を知っていたのだから、たとえ通告の最初の数行しか出来上がっていないにしても、あとは出来次第持ってくるように大使館員にまかせて、正一時に私に会いに来るべきだった」(訳文は『回想録』<朝日新聞社>昭和24年)(『渡部昇一の昭和史正新装版』に引用)

 

※引用理由:野村吉三郎駐米日本大使はこの時どう行動するべきだったかが分かりやすく書かれているため、今回引用した。

※原文は次の通り

👇

<引用 ハル国務長官の回想録 原文>

※引用理由:野村吉三郎駐米日本大使がこの時どうするべきだったのかをより適切にお伝えするため

※(『渡部昇一の昭和史正新装版』に引用)

 

ギザギザ

<参考 大失態を犯した駐米日本大使館の人々がその後出世した件>

 さて、上記の通り駐米日本大使館は真珠湾攻撃に関して大失態を犯しましたが、この大失態にもかかわらず、この時の駐米日本大使館員はその後出世した、とのことです。その中には、戦後外務次官になった人もおり、また国連大使になった人もおり、勲一等をいただいた人もいる、とのこと。また、この大失態の原因となった送別会の主役であった寺崎英成一等書記官は、戦後、1947年2月、宮内省御用掛(通訳)に任命され、昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の通訳を数回務めると共に、GHQ側と戦犯関係を含む情報を交換提供した、とのことで、『昭和天皇独白録』を筆記、とのこと。ちなみに、この時に大失態を犯した野村吉三郎駐米日本大使は、戦後、日本ビクター社長に就任したり、和歌山選挙区から参議院選挙に出て当選、参議院議員となったり、自由民主党に参加して防衛政策を担当したり、参議院議長に就任したりしている。

ギザギザ

<参考 駐米日本大使館がこの大失態を隠蔽>

さて、駐米日本大使館が真珠湾攻撃に関して犯した上記大失態を、大使館員が隠蔽した旨の指摘があります。昭和天皇には「暗号解読やタイプ打ちで予想以上に手間取り大幅に遅れた」旨報告した、という話もあります(昭和天皇は、絶対に国際法を守るよう厳命)。また、東京裁判では、タイプ打ちになれておらずそれに手間取って大幅に遅れた旨の証言がなされた、とのこと。⇒いずれにせよ、駐米日本大使館が真珠湾攻撃に関して犯した大失態を隠蔽したのは確かなようです。

ギザギザギザギザ

 

 

2 真珠湾攻撃大失敗②~米国空母を叩けなかった件~

 真珠湾攻撃では、一番の目標にしていた空母「エンタープライズ」「レキシントン」を逃がしてしまいました。この2隻の空母はちょうど航海中で真珠湾に駐留していなかったためでもありますが、「なぜ第二次攻撃を決行しなかったのか」という批判がある、とのことです。実際、「エンタープライズ」は、のちのミッドウェー海戦で日本軍を大敗させるのに重要な役割を担いました(つまり、真珠湾攻撃で米国空母エンタープライズを叩けなかったことがミッドウェー海戦大敗につながった)。

 ある歴史学者は、当時の日米両軍の状況を分析し、機動部隊が索敵すれば米空母を発見できた可能性が十分あったと言っておられる、とのことです。また、現地で部下から提案があったにもかかわらず追加攻撃をためらった機動部隊の南雲忠一・司令官と督促しなかった連合艦隊司令長官山本五十六への非難の声もある、とのことです。映画永遠のゼロでも、真珠湾攻撃で空母を叩けなかったことがミッドウェー海戦大敗につながったと言及されています。

⇒上記の通り、真珠湾攻撃で米軍空母エンタープライズを叩けなかったことが、ミッドウェー海戦大敗とミッドウェー海戦での大惨事を引き起こしました(下記引用資料も参照)(下記の通り、ミッドウェー海戦で日本海軍全空母喪失の原因になったのは、エンタープライズから発進した爆撃機隊の高高度からの攻撃)

⇒真珠湾攻撃でエンタープライズを破壊できなかった事は大失敗だったと思います。よって、私は、真珠湾攻撃は大失敗だったと思います。(私見)

⇒ではどうすれば良かったのか、についてですが、ある歴史学者が指摘しておられる通り、機動部隊が米軍空母を捜索すれば良かったのではないか、と思います(私見)

 

<参考>

<ネット記事>

真珠湾攻撃 ミッション不徹底が山本五十六の誤算(2ページ目)|日経BizGate (nikkei.com)

ギザギザ

 

<ネット記事>

→「(1941年11月頃は)ハワイの米太平洋艦隊には「エンタープライズ」「レキシントン」「サラトガ」の3隻の空母が配備されていましたが、サラトガは西海岸のサンディエゴで整備中でした。ハル・ノート通告と同じ(1941年)11月26日、米海軍首脳部は太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメルに対して、海兵隊の戦闘機などを運ぶためエンタープライズをウェーク島に、レキシントンをミッドウェー島に派遣するよう指示しました。」と1941年11月の状況についてこの記事に記載されています。

 

<参考>

<引用>

「(前略) (1942年6月ミッドウェー海戦で)「(米軍の)エンタープライズ」爆撃機隊は進撃方向が南にずれてしまい、燃料の余裕もなくなり索敵をあきらめて帰投しようとしたが、念のため北へ針路を向けたところ、偶然にも(日本海軍の、南雲司令長官率いる)第一機動部隊を発見したのである。更に引き続いて「エンタープライズ」攻撃隊より1時間遅れて発進した「ヨークタウン」爆撃機隊がこの攻撃に合流することになり、第一機動部隊の「加賀」「赤城」「蒼竜」の三空母は、相次いで急降下爆撃による奇襲を受けるに至った」

※引用元:『失敗の本質 日本軍の組織的研究』(中公文庫)

👇

これにより、ミッドウェー海戦で日本軍は大敗(全空母喪失)という事態になる。

 

ギザギザ

<参考>(私見)

『失敗の本質 日本軍の組織的研究』(中公文庫)を読んでみると、ミッドウェー海戦においても、真珠湾攻撃で立てた奇襲作戦と同じような奇襲作戦でミッドウェー島を攻略しようとしていたようです。⇒真珠湾攻撃の成功体験がミッドウェー大惨事を引き起こしたように思います(私見)

ギザギザギザギザ

 

 

3 真珠湾攻撃大失敗③~第三次攻撃をしなかった件~

 当初、真珠湾の石油および米国海軍工廠への第三次攻撃を行う予定であったが、機動部隊の南雲忠一・司令官と山本五十六連合艦隊司令長官の判断で中止になりました。これについては、判断ミスとの非難の声がある一方、当時の状況からやむを得ない判断、との声もあるようです。また、アメリカ太平洋艦隊のニミッツ提督は、この第三次攻撃を日本軍が行っていればアメリカ海軍は太平洋で動けなくなっていた旨の証言をした、とのことです。

 また、この件について、「真珠湾攻撃は本当に「だまし討ち」だったか…当事者が語る80年前の“真実”」の中に、「ドックなどの港湾施設や燃料タンクを攻撃しなかったのには、いまでも悔いが残りますが」とインタビューに応じた方が語っておられる場面が出てきます。

👇

(私見)第三次攻撃を行っていれば、その後日本側にかなり有利になっていたと思います。

<参考>

<ネット記事>

 

<参考>

 

 

ギザギザギザギザ

 

 

4 情報が漏れていた件

 日本海軍が真珠湾を攻撃しようとしていることが、事前に米国側に漏れていた、という話もあります。詳細は下記URLの記事の通り

<ネット記事>

 

<ネット記事>

 

※参考までに、『失敗の本質 日本軍の組織的研究』(中公文庫)によると、1942年6月のミッドウェー海戦について、暗号解読により米軍側に日本軍の作戦等が全て漏れていた、とのことです。

ギザギザギザギザ

 

 

5 真珠湾無反省の件(私見)

 下記参考文献を見た限り、戦時中真珠湾攻撃が成功であったと認識され(新聞報道でも戦果の報道が非常に目立つ)、真珠湾攻撃の反省は全くなされなかったようです。戦後においても、『失敗の本質 日本軍の組織的研究』(中公文庫)に真珠湾失敗については全く書かれていないことから、また真珠湾失敗について分析等された書籍等があまり見つからないことから、真珠湾失敗の反省が全くできていないように思います(私見)。これについては下記参照

 

 

 

  3⃣ 共通点等(私見)

 

【私見】真珠湾攻撃大失敗と国鉄分割民営化失敗の共通点は次の通りだと思います。

①真珠湾攻撃と国鉄分割民営化は、成功したように見えて実は失敗、という点で共通している(私見)

②真珠湾攻撃は様々な点でミッドウェー海戦での大惨事につながった(真珠湾で米軍空母を叩けなかったことがミッドウェーでの大惨事につながった、真珠湾の作戦と似た作戦がミッドウェーで進められたように見える等)(私見)。JR西管内で起こった尼崎の大事故は、国鉄分割民営化後のJR西のやり方等が原因と言われている(日勤教育などが運転士にプレッシャー等、後日改めてブログ作成予定)(私見)

③真珠湾攻撃に関して大失態を犯した駐米日本大使館の人々が戦後出世したり勲章をもらったりして責任を取っていない。尼崎の大事故について、JR西歴代3社長が起訴されるが、無罪が確定。

④その他については記載省略

※あくまで私見です

※国鉄分割民営化失敗に関しては、#464、#465等でも記載

 

 

 【私見】なお、真珠湾の反省ができていないことが、今日同じような失敗を繰り返すことにつながり(国鉄分割民営化失敗)、今日の様々な問題の原因になっているのでは?と思います。(私見)

 

 

 

<参考文献>

・『渡部昇一の昭和史正新装版』(渡部昇一著、WACBUNKO)

・『昭和史の真実』(渡部昇一著、PHP文庫)

・『(増補)決定版・日本史』(渡部昇一著、扶桑社)

・『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)

・『現代語古事記』(竹田恒泰著、学研)

・ウイキペディア

・「真珠湾攻撃 ミッション不徹底が山本五十六の誤算」(日経BizGate、2019年8月14日)

・「真珠湾攻撃75年目の真実~なぜ対米通告は遅れたのか? 通説は「完全な誤り」だった」(現在ビジネス 2016年12月30日)

・「真珠湾攻撃は本当に「だまし討ち」だったか…当事者が語る80年前の“真実”」(現在ビジネス 2021年11月12日)

・映画『永遠のゼロ』

・「入門・日米戦争どっちが悪い(6)「真珠湾」事前に知っていたルーズベルト 現地に教えず見殺し」(産経新聞ネット記事 2017年1月8日)等

 

 

<Pick>

 

 

 

 

【LikeSweetsBOX】毎月パティシエが作る可愛いケーキが届くサブスク

 

 

 

 

※引用箇所について転載等禁止

※誤字脱字等があればその都度訂正します

※本日も最後までお読みいただきありがとうございました。