平成9年(1997年)4月頃
(平成9年3月ダイヤ改正後)
鹿児島本線・筑豊本線
50系普通客車列車のうち
門司港発飯塚行き50系普通客車列車
である2655レの詳細
(筑豊本線普通客車列車4)
【投稿日 令和6年5月4日】
1 はじめに
(1)今回のブログの内容
平成13年(2001年)10月に廃止された鹿児島・筑豊本線の50系普通客車列車については#458及び#460等のブログで記載し、#462のブログでは平成13年3月?~平成13年10月の門司港発飯塚行き普通客車列車について「50系5両+12系1両(12系は下り寄りに連結)」の編成であったことや各駅発車時刻一覧等を記載しました。
さて、この夕刻の門司港発飯塚行き普通客車列車について、私が平成9年3月下旬に実際に乗車して確認したところ、50系6両(6両とも冷房改造済みの車両)で運行されていました。この編成は、平成13年3月?まで続けられました。列車番号については、当時の時刻表によれば、平成9年3月ダイヤ改正直後は2655列車(2655レ)となっていました。
今回のブログでは、平成9年3月ダイヤ改正後の時期に該当する、夕刻の門司港発飯塚行き50系普通客車列車について記載します。掲載資料については事情により平成9年4月で記載しています。
(2)参考 経過等(平成9年頃)
山陰本線の12系普通客車列車が完全に廃止されたのは平成9年3月(詳細は私の過去ブログ参照)です。この山陰本線普通客車列車が完全に廃止された直後の普通客車列車は、筑豊本線50系普通客車列車と久大本線の普通客車列車のみでした。
<参考>平成13年7月における夕刻の門司港発飯塚行き普通客車列車や、平13.3~平13.10のいわゆる筑豊本線50系普通客レのダイヤ概要(上り2本、下り2本の2往復体制)や経過や編成、平9.3〜平13.10における普通客レの経過等については下記6及び#458、#460、#462等のブログ参照。また、平成13年10月の筑豊本線電化により筑豊本線普通客車列車が廃止された件についても下記6等参照
<個人的事情>(再掲)前回のブログで記載した通り、個人的事情で恐縮ですが、私は、山陰本線普通客レが全廃された平成9年3月から平成13年まで何度も、鹿児島・筑豊本線の50系普通客車列車のうち夕刻の門司港発飯塚行き普通客車列車に乗りに行っていました。⇒第1回目は平成9年3月、第2回目は平成9年6月、それ以降何度も乗りに行き、最後から2番目の乗車が平成13年8月、最後の乗車は平成13年9月でした。
2 門司港発飯塚行き50系普通客車列車各駅発車時刻一覧
(一部再掲)上記1にて記載したいわゆる筑豊本線50系普通客車列車のうち、門司港発飯塚行き50系普通客車列車は、門司港~折尾については鹿児島本線(複線電化されている)を走行する50系客車で、私が中学校の時「北九州工業地帯」として習った箇所を走行する50系客車でした。今回は、この列車の、平成9年3月時刻表(平成9年3月ダイヤ改正後)を元に記載した各駅発車時刻一覧の資料を掲載します。事情により平成9年4月と記載しています。
<資料>
(6.5UP)
3 編成等について
(1)編成
(2)参考までに(再掲)
<参考、再掲>冷房装置等に関しては下記参照
<参考 JR九州の50系客車の冷房改造>(再掲)
①当時の鉄道雑誌等によると、JR九州の50系客車の冷房改造は、床下にディーゼル発電機と燃料タンク及びAU400形冷房装置を搭載、1ボックス分の座席を撤去してダクトを設けて冷風を送るシステムを採用し、ダクトのある部分の側窓は埋められてルーバーを新設、とのこと。暖房も電気ヒーターを使用して蒸気暖房は使用しない形になった。平成5年の時点では計19両が小倉で改造、とのこと。(『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号、№785))等参照)
②平成9年3月~平成13年に私が現地で確認したところ、当時の鹿児島・筑豊本線の50系普通客車列車は全ての車両でディーゼル発電機が床下に搭載され、上記の冷暖房装置が搭載されていた。また、私の記憶では、ダクトは冷房時だけでなく暖房時も稼働⇒冷房や暖房がつく日は、ディーゼル発電機が稼働しダクト等も稼働するため、それらの音が耳に入ってくる。
<参考>
※他の方が作成されたブログですが、当時の筑豊本線50系普通客車列車のダクトに関しては、次のURLのブログ等もご参照ください。
<早良鉄道事業部さんのFCブログ>
<源じいの森車両センターさんのFCブログ>
4 運用
今回は事情により記載省略します。
5 勇姿
ヤフオク等で入手できた勇姿を掲載します。
(1)鹿児島本線黒崎~折尾間?
<引用>(再掲)
※ヤフオクで入手、出品者了承済み(q氏)、転載等禁止
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※この写真は、下りの方(夕刻の方)の鹿児島・筑豊本線50系普通客車列車。時期は平成9年3月?~平成13年3月?の時期と思われる
※撮影年月日や撮影場所は不明
※場所は鹿児島本線と思われる。また黒崎~折尾間と思われる。この列車は当時の門司港発飯塚行き普通客車列車と思われる
※当時のJR九州の50系客車については、床下にディーゼル発電機等を搭載する冷房改造が実施されているため、ダクト等のある部分の側窓が埋められている状態。この写真は、ダクト設置サイドから撮影⇒よって、夕刻の下り列車だとわかる
※なお、筑豊本線50系普通客車列車の下り側1両がスハフ12になるのは、末期の平成13年3月?~平成13年10月の時期
(6.5UP)
(2)筑豊本線内
(3)参考 JR九州・福岡市地下鉄共通カード
<参考>
(6.5UP)
(4)その他 その他の駅については記載省略します。
6 平成13年3月以降の経過等
(1)参考 平成13年3月以前の経過等
上記1及び下記#462等のブログをご参照ください。また、平成13年頃の門司港駅等についても、#462等のブログをご参照ください。
(2)平成13年3月?~平成13年10月
平成13年(2001年)3月?、筑豊本線50系普通客車列車の下り寄り1両はスハフ12となりました。その結果、筑豊本線普通客車列車は「50系5両+12系1両」の編成で最終日まで運行されました。その勇姿や各駅発車時刻一覧等は次の#462等のブログにて掲載しています。
また、勇姿について、次の遠賀川橋梁に関するXのポストもご参照ください。(詳細は上記#462等のブログ参照)
<引用>2001年9月の遠賀川橋梁
電化間近の筑豊本線を行くDD51 876牽引の50系+12系の普通客車列車。
— 非電化計画 (@DML61ZR) July 28, 2019
遠賀川橋梁を渡り、筑前垣生駅に進入します。
50系のトイレは垂れ流しの為、環境対策で12系を1両連結した最末期の姿。
遠賀川橋梁は、下り線がトラス橋(写真)で上り線はガーター橋でした。
2001年9月 中間-筑前垣生 pic.twitter.com/E0KjuIc8Gu※ツイートのリンクをコピーの方法で引用
<参考>夕刻の門司港発飯塚行き普通客車列車の列車番号について、平成9年3月ダイヤ改正直後は2655列車(2655レ)となっていましたが、平成13年7月時点においては2647列車(2647レ)となっていました。
(3)廃止時期 筑豊本線50系普通客車列車は、平成13年10月の筑豊本線電化により廃止されました。筑豊本線50系普通客車列車が廃止されたことにより、日本全国から普通客車列車が消滅しました。(上記1及び#462等のブログ参照)
(4)その他 今回は記載省略します。
<参考文献>
※『JR時刻表』(1997年3月号、2001年7月号等)(弘済出版社)
※『鉄道ピクトリアル』(2007年2月号、№785)(鉄道ピクトリアル社)
※『Rail Magazine (205)』(2000年10月号)((株)ネコ・パブリッシング)
※「遠賀川に架かる 筑豊の鉄橋 その1 (14)( 中間-筑前垣生 間 遠賀川橋梁15k885m )」(筑豊風土坊さんのブログ)
※「遠賀川に架かる 筑豊の鉄橋 その3 (16)嘉麻川鉄橋 筑豊本線 小竹-鯰田間 若松起点 33k660.58m」(筑豊風土坊さんのブログ)
※早良鉄道事業部さんや源じいの森車両センターさん等のFCブログ等
※思い出写真さん等のAmebaブログ等
※日本縦断各駅停車さんのHPの中の鉄道写真館の箇所
※非電化計画さん等のXのポスト
※鉄道雑学研究所北陸支所 さくらのレンタルサーバーのHP
※「140916近代化遺産「遠賀川橋梁」訪問」(遠太のエコボランティアブログ(FCブログ))
※ウイキペディア
<Pick>
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本日は最後までお読みいただきありがとうございました。