昭和59年2月~昭和60年3月

山陰本線 出雲市発京都行き

いわゆる上り夜行普通列車山陰号

(山陰号)(京都夜行)

826列車(826レ)

<12系時代>

(個人的経験等を記載している箇所あり)

【投稿日 令和5年7月12日】

【修正 令和6年3月10日等】

 

1 はじめに

(1)昭和54年12月体制及び昭和59年2月体制(私見)

 (#347や#365等のブログにて記載)

 

(2)今回のブログでは

 個人的事情で恐縮ですが、上りの方の山陰号の情報が少し集まったため、この列車について記載します。昭和59年(1984年)2月ダイヤ改正~昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正前の時期(座席車が12系客車であった時期)について記載しますが、各駅発車時刻一覧については、昭和59年6月の時刻表をもとに作成した資料を掲載します。

 

 

 

2 概要及び勇姿

(1)山陰号概要(昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前)…#378のブログでも記載しているため、今回は簡略化して記載します。

①山陰本線京都口最初の12系普通客車列車(再掲)

 下記③の通り、昭和59年2月ダイヤ改正から昭和60年3月ダイヤ改正までのいわゆる夜行普通列車山陰号(以下単に山陰号という場合あり)は、自由席である座席車が12系客車であったため、山陰本線京都口最初の12系普通客車列車、という話になります。

 

②山陰号の名称・略称等

 いわゆる山陰号は、「夜行普通列車山陰号」等と様々な通称で呼ばれているようですが、当ブログでは山陰号と記載する場合が多いです。上り山陰号の列車番号は826列車(826レ)です。

 

③山陰号の座席車等

 #378のブログ(下り山陰号のブログ)にて記載の通り、昭和59年2月1日ダイヤ改正で山陰号の座席車は12系化されたため、昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前の山陰号は「10系寝台客車1両+12系客車5両(増結される場合あり)」で運行されました(12系客車が自由席、10系寝台客車がB寝台車)。下記3や下記4等をご参照ください。

 

④廃止時期 昭和60年3月ダイヤ改正で廃止(詳細は別記の通り)

ギザギザギザギザ

 

 

(2)上り山陰号勇姿(昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前)

<出雲市駅>(昭和60年上り山陰号)

<引用>

※引用元:おびお氏がTwitterに投稿されたツイート。使用については了承を得ています。

※撮影時期や場所は昭和60年の出雲市駅、とのこと。

※列車は上り山陰号

 

(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)

※山陰号の座席車は、昭和59年2月ダイヤ改正~昭和60年3月ダイヤ改正前については12系客車。編成は別記の通り

※山陰号は昭和60年3月ダイヤ改正で廃止

 

※引用元のツイートについては、例えば次のツイートをご参照ください。

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で添付

 

(5.7UP)

 

<京都駅1>

<引用>(R6.3.10追記)

※引用元:日本国有鉄道ファン氏のAmebaブログ「1985年正月三が日のいずれか 寝台普通列車<山陰> 京都」より

※撮影日は1985年正月三が日のいずれか、とのこと。場所は京都駅山陰ホームで、時間は早朝

※この写真の、京都駅山陰2番ホームのDD51牽引客車は、京都駅到着直後の上り山陰号。また、京都駅山陰1番ホームの旧型客車は京都発浜田行き普通客車列車である833レ。

 

※日本国有鉄道ファンさんの当該ブログのURLは下記の通り

 

ギザギザ

 

(6.3UP)

 

 

 

 

3 昭59.6 上り山陰号各駅発車時刻及び編成

 昭和59年6月の時刻表に基づき記載した、当時の山陰本線の826列車(826レ、いわゆる上り山陰号)の各駅発車時刻等は次の資料の通りになります。

(1)各駅発車時刻等一覧表

 

<補足>

※都道府県について事情により一覧表の中には書かずに別記の方法で記載しています。

※臨時列車等は除いています。

※826レ以外の列車の編成についても記載省略しています。

※上記826レの機関車はDD51。

※上記826レの客車は「米イモ」もしくは「米ヨナ」、とのこと。

※交換列車等については当時の時刻表に基づき判断しました。

※当時まだ設置されていない駅に関する記述は省略しています。

※上り山陰号が京都駅に到着後、京都発浜田行き普通(旧型客車 833列車)が出発するダイヤになっていた。

 

(5.7UP)

<参考>

※昭和59年の山陰本線については、伯耆大山~知井宮間(米子・松江・出雲市もこの区間内にある)のみ電化されている状況(詳細については記載省略)。

※昭和59年の山陰本線については、綾部~福知山間、伯耆大山~米子間、米子~安来間、東松江~松江間、玉造温泉~来待間が複線区間。(詳細については記載省略)

ギザギザギザギザ

 

 

(2)編成(再掲)

※通常は12系客車は5両

 

(5.6UP)

※#378のブログにも掲載

 

 

 

 

 

4 山陰号等廃止と経過等(一部再掲)

(1)旧型客車及び山陰号廃止等に関して

※昭和60年3月14日にダイヤ改正が実施されました。

※山陰本線京都~福知山間及び山陰本線出雲市以西で旧型客車が消滅するのは昭和60年3月ダイヤ改正です。

※昭和60年3月ダイヤ改正で山陰号についても廃止されました。

※参考までに、山陰本線福知山~出雲市間の旧型客車最終日は昭和61年10月31日(山陰本線全線で旧型客車が消滅するのは、昭和61年11月ダイヤ改正)。詳細については過去に投稿済みのブログをご参照ください。

※山陰本線京都口の普通客車列車に12系客車が投入された昭和61年11月ダイヤ改正及びその後の経過については、#347や#248等のブログをご参照ください。

 

(2)昭和63年10月1日ダイヤ修正による山陰本線京都口普通客車列車大幅削減及びそれ以後の経過について

 上記#347、#248、#183等のブログご参照ください。山陰本線近代化等の資料については、#346・#347等のブログをご参照ください。

 

 

 

 5 参考 上り山陰号に関するエピソード

(R5.8.11簡略化)

 

(1)『私は闘う』(野中広務氏著)に登場する山陰号の前身の夜行列車

 「山陰号」という名称が付く前の出雲市~京都間の上り夜行列車の話と思われますが、京都府南丹市名誉市民で元官房長官の野中広務氏(故人)の著書『私は闘う』にも、上り山陰号の前身となった夜行列車に関するエピソードが登場します。詳細は下記#390のブログをご参照ください。

 

 

 

(2)昭和30年代頃の新婚旅行は山陰号の前身の夜行列車で出雲大社へ(私が個人的に聞いたエピソード)(再掲)

 #390のブログをご参照ください。

ギザギザギザギザ

(3)昭和50年代の上り山陰号に対するエピソード等

 ファンの方のエピソードに関するTwitter情報を#390のブログに掲載しているのでご参照ください。

 

 

 

 6 その他(上り山陰号に関して)

(1)Twitter情報(R5.8.11書き方修正)

 参考までに、上り山陰号に関するTwitter情報について引用します。

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用

 

<参考 上り山陰号>

<12系客車が6両の場合>

<引用>

※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で添付

 

 

<きづ模型工房氏のYouTube動画>

※826レと寝台特急出雲3号との交換駅は馬堀駅である旨の説明があります。

 

(2)電化区間等に関して

・知井宮~伯耆大山間は昭和57年7月に電化されました(詳細については記載省略)⇒当時の山陰号の運行区間のうち、出雲市~米子間及び米子~伯耆大山間については、115系電車や381系電車も運行される電化区間。

・複線区間については上記3にて記載の通り。

 

(3)山陰本線京都口

 当時の上り山陰号は、山陰本線京都口においては始発列車であったため、下りと異なり、エピソード等は特に残っていないようです。私自身も、上り山陰号に関しては、下りと異なり、特に話を聞いたことがないです。

 

(4)京都駅2(R6.3.10修正)

 当時、上り山陰号が京都駅山陰2番ホームに到着後、京都発浜田行き普通(旧型客車 833列車)が京都駅山陰1番ホームから出発するダイヤになっていました。⇒京都駅山陰2番ホームに到着直後の上り山陰号と京都駅山陰1番ホームに停車中の833列車(浜田行き旧型客車の普通列車)が山陰ホームで並んでいる場面を見ることができました。詳細は上記2及び#448のブログをご参照ください。

<参考>

<引用>(旧客の浜田行き833レと上り山陰号)

※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「【バラエティ豊かな列車たち】保津峡1987 」(使用については了承済み)

 

(補足説明)

※この画像の、京都駅山陰1番ホームに停車中の列車は、京都発浜田行き普通(旧型客車 833列車)で、時期は1984年と思われる。奥に12系客車が写っているが、この12系客車は京都駅山陰2番ホームに到着直後の上り山陰号の座席車。⇒この画像は、上り山陰号と浜田行き833列車が京都駅の山陰ホームで並んでいる場面

※1984年2月~1985年3月の浜田行き833列車(833レ)は、座席車が4両編成で(当時の鉄道雑誌の運用図による)、荷物車等の連結はなかった(Twitter情報や他の方のHP等による)、とのこと。また、増結される場合もあった、とのこと。

 

(5.7UP)

(R6.2.29、R6.3.10等修正)

 

ギザギザギザギザギザギザギザギザ

 

 

7 参考 下り山陰号資料再掲及び過去ブログ修正57

(1)#378のブログの修正①

 下り山陰号の各駅発車時刻一覧について、複線区間を追記したり伯耆大山~知井宮間の電化区間等に関する記述を追記したりした次の一覧表に差し替えました。

<差し替え後の下り山陰号に関する一覧表>

 

※今後、新たな修正を加えた場合は、このブログからは削除し#378のブログの方のみ差し替えます。

※#378のブログのURLは次の通り

 

 

(2)#378のブログの修正②

 新たに使用について了承を得ることのできた写真を追加引用しました。また、表現の修正等の修正も行っています。

 

 

 

<参考文献>

・『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1984年6月号、1985年1月号等)(日本交通公社)

・『鉄道ジャーナル別冊№12 国鉄私鉄客車列車1984』(鉄道ジャーナル社)

・『国鉄時代 Vol.73(2023-5月号)魅惑の国鉄車両』(㈱ネコパブリッシング)

・きづ模型工房氏等のYouTube動画

・Twitter情報

・「夜行列車『山陰』(「鉄道徒然」のブログ)」のホームページ

・「一般形客車資料室」のホームページ

・その他ホームページ

・ウイキペディア

・10th 3rd enpedia「荷物列車」

・『私は闘う』(野中広務氏著)(文春文庫)

 

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<参考 Pick>

 

 

 

RUBATO&Co.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※誤字脱字等があれば、その都度修正します。

※引用箇所について転載等禁止

※書籍化対応のブログに変更するかもしれません。

※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。