平元.3.10~平2.3.10のJR嵯峨野線
平元.3.10嵯峨野線最後の50系客車
平元.3~平2.3JR嵯峨野線電化工事等
平2.3.10園部電化関係資料等
【投稿日 令和5年3月10日】
1 はじめに
(1)改めて、昭和63年9月以前の普通客車列車王国時代の山陰本線京都口に関する一般住民等の想いとJR西日本の対応
当ブログでは、昭和63年9月以前の普通客車列車王国時代の山陰本線京都口について何度も取り上げるとともに、当時、山陰線の複線電化、特に山陰線の電化が山陰本線京都口沿線住民等(特に京都府口丹地区)の悲願であった旨も記載してきました。前回投稿したブログを作成している時に再度確認していた資料の中に、これまでとは違った表現でこのことを記載した箇所がありましたので、当時の一般住民の想いを伝えるため、引用します。
<引用>
「(前略)山陰本線は、長年月にわたり単線非電化で、府民(京都府民)は不便を耐えてきた。かねてから改善要請の声は高いが、(中略)複線電化への足どりが進んでいる。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:現時点では、「不便を耐えてきた」という表現で昭和63年9月以前のことが記された資料はこれしかないため。
また、山陰本線京都~園部間(昭和63年3月よりJR嵯峨野線の愛称使用開始)の電化(昭和62年4月のJR発足時は、電化の前に嵯峨~馬堀間の複線化工事を完成させる必要があった)について、JR発足後にJR西日本が大規模プロジェクトと位置付け事業を継承したことについては次の通り記載されています。
<引用>
「(前略)(昭和62年4月に)JR西日本は厳しい経営状況の中でも(山陰本線嵯峨~馬堀間複線化工事を)大規模プロジェクトに位置付け、事業を継承した。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:JRが大規模プロジェクトとして工事を継承したことを説明するため
(2)今回のブログについて
今回のブログの投稿日は令和5年3月10日です。
平成元年3月10日はJR嵯峨野線(山陰本線京都~園部間)で山陰本線京都口最後の50系普通客車列車が運行された日です。また、平成2年3月10日はいわゆる園部電化の日です。
よって、今回のブログでは、山陰本線京都口最後の50系普通客車列車である、平成元年3月10日にJR嵯峨野線で運行された324列車(324レ)について記載し、平成元年3月~平成2年3月の時期について少し記載し、平成2年3月10日の園部電化に関して新たに見つけた資料を紹介することにより、園部電化が京都府口丹地区の悲願であり園部電化により京都府口丹地区が喜びに包まれた旨を記載しようと思います。
(3)山陰本線京都口近代化等に関する概要
今回は、山陰本線京都口近代化等に関する経緯をお示しした方がよいと思いますので、このことに関する資料を掲載します。
(5.3UP)
2 平成元年3月10日 JR嵯峨野線324列車(324レ)~山陰本線京都口最後の50系普通客車列車~
(1)平成元年3月10日の324レ(山陰本線京都口最後の50系普通客車列車)勇姿
#346のブログで記載の通り、JR嵯峨野線の朝夕の普通客車列車は、平成元年3月7日夕方より12系化されましたが(本数等詳細については#346のブログ等参照)、3月10日の324列車(324レ)については、下記引用資料の通り闇麵鉄道蔵部氏が撮影された写真の通り50系客車で運行されました。この324レは、山陰本線京都口最後の50系普通客車列車となりました。
<引用1>
※引用元:闇麵鉄道蔵部氏がTwitterに投稿されたツイート。使用については了承を得ています。
※平成元年3月10日の朝に京都駅山陰1番ホームに到着した50系客車。着回し中の様子、とのこと。
※下記引用2の補足説明欄に記載の通り、この列車は324列車。
※引用元のツイートは次の通り
DD51-1131[福]
— 闇麺鉄道蔵部 (@yamimen58) October 18, 2021
1989.3.10
JR西日本 京都駅
京都駅に到着した山陰本線50系PC。
牽引機はDD51-1131でした。
機回し中の様子です。 pic.twitter.com/XC8NAwHMJa(ツイートのリンクをコピーの方法で添付)
<引用2>
※引用元:闇麵鉄道蔵部氏がTwitterに投稿されたツイート。使用については了承を得ています。
※平成元年3月10日の朝に京都駅山陰1番ホームに到着した50系客車。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※写真の状況や平成元年3月7日以降の状況、客車列車の運行状況等から、この列車は京都駅に到着した324列車と判断できる。→これは、平成元年3月10日の324列車は50系客車で運行されたことを証明する資料。
※上記引用元のツイートは下記の通り
50系PC
— 闇麺鉄道蔵部 (@yamimen58) October 21, 2021
1989.3.10
JR西日本 京都駅
京都駅に到着した山陰本線50系PC。
牽引機はDD51-1131でした。
下車した乗客が去り、DD51機関車が機回しされて去っていくと、ホームには静かな時間が流れました。 pic.twitter.com/8AvOL5tjpo(ツイートのリンクをコピーの方法で添付)
(5.3UP)
(2)各駅発車時刻一覧
上記(1)で引用した、山陰本線京都口最後の50系普通客車列車である平成元年3月10日の324列車(9両編成の50系客車)の各駅発車時刻一覧は次の通りです。
(5.3UP)
(3)編成
50系客車9両編成ですが、詳細は事情により記載省略します。
3 平成元年3月~平成2年3月に関して
(1)平成元年3月11日ダイヤ改正
平成元年3月11日ダイヤ改正により、JR嵯峨野線の普通客車列車は9両編成の12系普通客車列車が1日2往復運行される体制となりました。詳細は上記1-(3)で添付の資料や#345等のブログで記載の通りです。(詳細については記載省略)
(2)平成元年6月からJR西日本がJR嵯峨野線電化工事を進める
京都府町村会七十年史のP517によると、
<引用>
「(前略)京都ー園部間の電化工事は、昭和五十四年、運輸大臣の認可後、国鉄当時は計画が一時宙に浮いていたが、JR西日本が平成元年六月から三十三億円を投じて電化工事を進めた。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:平成元年6月にJR西日本が33億円を投じて電化工事を進めた旨が明記されているため。また、現時点では、このことが明記されている資料はこれしか見つけられなかったため。
とのことです。即ち、JR西日本が平成元年6月よりJR嵯峨野線の電化工事を進め、平成2年3月10日にJR嵯峨野線の電化(いわゆる園部電化)が実現しました。
参考までに、次のオレンジカードもご参照ください。
<引用>
※ヤフオクで入手したオレンジカード
(5.3UP)
(3)平成2年3月
平成2年3月9日、JR嵯峨野線最後の普通客車列車(山陰本線最後の普通客車列車)が運行されました。詳細については、事情により今回は記載省略しますが、#236や前回投稿の#345等のブログをご参照ください。
4 平成2年3月10日園部電化
<平成2年3月10日JR嵯峨野線電化開業(いわゆる園部電化)>
(1)園部駅における電化開業式典
平成2年3月10日、JR嵯峨野線(山陰本線京都~園部間)は電化されました。これにより、沿線住民、特に京都府口丹地区住民等の長年の悲願が達成されました。その喜びの様子については、#99等のブログでも記載しておりますが、今回は新たに見つけた喜びの様子を示す資料を引用し、その様子を改めて記載したく思います。まず最初に、園部駅における電化開業記念式典について引用します。
<引用>
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※運転士等への花束贈呈の場面
※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため
(5.3UP)
<引用>
※引用元:『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町)(八木町役場総務課編、1991年3月発行)
※引用理由:電化開業式典の様子及び口丹地区の喜びの様子を伝えるため
なお、次の資料は、既に#99のブログでも引用していますが、改めて電化開業式典の様子並びに喜びの様子を伝えるため、再度引用します。
(3.3UP)
(2)あいさつ等
さて、上記(1)において引用した資料の中に、電化開業による京都府口丹地区の喜びの様子について文章でも記載されています。その喜びの様子をより分かりやすく伝えるため、この箇所の引用に踏み切りたく思います。
㋐<角田JR西日本社長の発言>
<引用>
「(前略)角田JR西日本社長は「電化で嵯峨野線は、都市圏輸送をになう重要線区に生まれ変わった」と述べ、(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)におけるJR西日本社長発言の箇所
※引用理由:口丹地区等の喜びの様子等を伝えるため
㋑京都府知事 荒巻禎一氏の対応
<引用>
「(前略)荒巻京都府知事は、更に福知山までの電化促進を要請した。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:口丹地区等の喜びの様子とともに、京都府知事の対応等を伝えるため
㋒園部町長 野中一二三氏(京都府町村会長)の発言
<引用>
「(前略)また地元の野中園部町長は「福知山までの電化と、京都ー園部間の複線化実現への出発の日としたい」と新しい飛躍を呼び掛けた。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:口丹地区等の喜びの様子とともに、地元自治体の長の対応等を伝えるため
(3)亀岡駅や八木駅等
平成2年3月10日の亀岡駅における電化開業式典や同年3月11日の八木駅における電化開業式典等及び上記(1)(2)以外のことに関しては、次の#99のブログをご参照ください。
(4)園部電化実現後の一般住民等の想い(私の経験等)
客観的な事実として、園部電化によりJR嵯峨野線の普通列車がスピードアップされたことは確かです。私の高校時代の経験では、京都府口丹地区の住民等は園部電化でJR嵯峨野線が便利になったことを非常に喜びました。車両は園部電化当初から4両もしくは8両の113系電車で運転されましたが、平成2年夏にはJR嵯峨野線で運行されている113系電車全てに冷房が取り付けられたため、サービスに関して非難されるようなこともなかったと思います(城崎電化の時はスピードアップされたがサービスが大幅に低下したと非難の声あり)(私の高校2年の時の経験から記載)(平成2年夏のJR嵯峨野線全ての113系電車に冷房設置の件は、日本共産党の署名活動及びJRへの申し入れにより実現したイメージ)。
なお、園部電化による利便性向上については、次の引用資料もご参照ください。
<引用>
「(前略)この電化(平成2年3月10日の園部電化)で、これまで六〇~七〇分間かかっていた京都ー園部間は、一五~二〇分間短縮され、更に快速電車の運行、増発もあり、利便性は大きく向上した。(以下略)」
※引用元:京都府町村会七十年史(編集・発行 京都府町村会)
※引用理由:園部電化によりJR嵯峨野線の利便性が大きく向上したと口丹地区等の住民等が認識していたことを伝えるため
<参考 私自身の個人的な想い>
ちなみに、私自身は、電化前の12系客車の方がはるかに良かったと個人的に思いました(113系電車よりも12系客車の方がはるかに乗り心地が良く、ストレス解消等につながると私は思いました)。しかし、電化前の客車列車の方が良かったと思う人は極端に少なく、京都府口丹地区住民の圧倒的多数は「園部電化でJR嵯峨野線が電化されて良かった」「園部電化でものすごく便利になって良かった」と思っていました。(私の高校時代の経験に基づき記載)
<参考>
ちなみに、私の経験では、昭和63年9月以前の普通客車列車王国時代の山陰本線京都口普通客車列車は、京都府口丹地区の住民の圧倒的多数から何らかの形で嫌われていました。これについては、後日、改めてブログを作成する予定です。(私の小中高時代の経験から記載)
5 過去ブログ修正42
・上記4にて記載した資料の一部を#99のブログに追加引用しました。
・旧二条駅のオレンジカードを840レについて取り上げたブログ等に追加引用しました。
<参考>
<引用>
※ヤフオクで入手したオレンジカード。旧二条駅舎。
※平成8年3月にJR二条駅は高架化。その後、旧二条駅舎は梅小路蒸気機関車館(平成28年4月29日から京都鉄道博物館)に移設。
6 参考 今日は何の日
上記1で記載の通りですが、3月10日は砂糖の日、とのことでAmebaブログスタンプをゲットしました。
最近食べた甘い物は?
▼本日限定!ブログスタンプ
また、今回は、3月9日のスタンプもゲットしました。
最近だれかに感謝したことは?
▼本日限定!ブログスタンプ
<参考文献>
・さんなん氏、はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏、闇麺鉄道蔵部氏等のTwitterへのツイート
・はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏から提供いただいた資料
・はんなりかめちゃんの丹の夢工房さんのInstagram等
・『鉄道ダイヤ情報』(1988年12月号)(弘済出版社)
・『鉄道ダイヤ情報』(1989年2月号)(弘済出版社)
・『復刻版国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正 ジェー・アール・アール編』(交通新聞社)
・『鉄道鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)(㈱電気車研究会)
・JTB時刻表(1989年2月号)(日本交通公社)
・JR時刻表(1989年3月号等)(弘済出版社)
・旅一郎氏のYouTube動画
・京都府町村会七十年史(編集発行者 京都府町村会)(平成3年11月発行)
・福知山市ホームページ
・ウィキペディア
・京都府ホームページ
・南丹市ホームページ
・嵯峨野観光鉄道ホームページ
・『新修亀岡市史資料編第三巻付録 グラフかめおか20世紀』(京都府亀岡市発行)
・秘密結社亀の甲氏のYouTube動画「平成元年(1989年)山陰本線保津峡複線化新線開業関連ニュース1」に掲載されている京都府広報課が作成した映像
・「広報やぎ-おおいばし-No.299 平成元年3月」(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編))
・『40年のあゆみー八木町合併40周年記念』(八木町)(八木町役場総務課編、1991年3月発行)
・『令和3年度夏季企画展「鉄道と観光ー地域をむすぶ交通ー」』(南丹市立文化博物館)
・「Kai-chanの鉄道旅情写真館」のサイト
・『私は闘う』(著者:野中広務氏)(文春文庫)
・『野中広務―素顔と軌跡』(著者:海野謙二) (思文閣出版 (2002/11/1))
・旅一郎氏のYouTube動画
<Pick>
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