平成元年(1989年) 3月4日(土)
JR嵯峨野線 保津峡旧線最終日2
(新馬堀駅での竣工式及び客車列車の動き等)
※個人的見解も入っています
【投稿日 令和4年11月7日】
【修正等 令和5年3月3日等】
1 はじめに
(1)旅一郎氏の新たなYouTube動画等
保津峡旧線最終日である平成元年(1989年)3月4日について、旅一郎氏が新たなYouTube動画「保津峡旧線最終日(1989.3.4)」を投稿されました。この動画では、当時の321レの全体像及び寝台特急出雲4号の保津峡駅通過時刻等が描かれておりました。(下記の通り、保津峡旧線を最後に走行したのは寝台特急出雲4号で、平成元年3月5日未明の0時05分~06分頃に保津峡駅を通過)(URLは下記の通り)
(2)今回のブログでは
保津峡旧線最終日については以前#233のブログにて記載したところですが、上記(1)等の事情により、平成元年3月4日の竣工式及び平成元年3月4日~5日朝における客車列車等の動きについて改めて記載します。
<参考>
・平成元年3月3日~4日にかけて、旅一郎氏が泊りがけで、保津峡旧線等における客車列車の動き等について撮影等をしておられます。また、保津峡旧線最終日の平成元年3月4日については、多くの鉄道ファンが保津峡まで撮影に来られた、とのこと。
・平成元年3月4日、新馬堀駅等において下記の通り「山陰本線複線化(嵯峨・馬堀間)工事等竣工式」等が執り行われましたが、これについては京都府や地元テレビ局等が記録や取材等をしておられます。
<保津峡駅>
※今回のブログで「保津峡駅」と表記する場合は、原則、保津峡旧線時代の保津峡駅のことを指します。
<参考>
※昭和63年9月まで山陰本線京都口は普通客車列車王国でしたが、同年10月ダイヤ修正で大幅に削減されました。この大幅削減から平成元年3月ダイヤ改正前までのJR嵯峨野線では、50系客車(9両編成)が1日3往復運行される体制が取られました。
※平成元年3月4日についても、JR嵯峨野線の50系普通客車列車は1日3往復体制で運行(編成は9両編成)。
※JR嵯峨野線は、山陰本線京都~園部間。
2 平成元年3月4日~5日の流れ
【Ⅰ 平成元年3月4日 未明~朝】
(1)寝台特急出雲4号等
①寝台特急出雲4号(24系25形寝台客車)
未明の0時05分~06分頃に浜田発東京行きの寝台特急出雲4号が保津峡駅を通過。資料については下記参照。
②寝台特急出雲1号(24系25形寝台客車)
未明の1時35~40分?頃に東京発浜田行き寝台特急出雲1号が保津峡駅を通過。
③寝台特急出雲3号(14系14形寝台客車)
東京発出雲市行き寝台特急出雲3号は京都を3時50分に出発。4時頃?保津峡駅を通過。
(2)下り321レ(50系普通客車列車、9両)
AM6時15分に321レが保津峡駅を出発
<引用>平成元年3月4日の321レ※引用元:旅一郎氏YouTube動画「保津峡旧線最終日(1989.3.4)」。使用については了承を得ています。
※この列車は、朝の京都発園部行き50系普通客車列車(9両編成)である321レ。詳細については記載省略。
※この動画のURLは次の通り
(4.11UP)
(3)上り322レ(50系普通客車列車、9両)
AM7時24分に322レが保津峡駅を出発
※引用元:旅一郎氏のTwitterにおけるツイート。
※内容は、保津峡旧線最終日(平成元年3月4日)に、保津峡駅に停車中の322レ(園部発京都行き50系普通客車列車、9両編成)。
※ツイートについてはうまく表示されないため、添付省略。
<引用>平成元年3月4日の322レ
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「保津峡旧線最終日(1989.3.4)」。使用については了承を得ています。
※この列車は、朝の園部発京都行き50系普通客車列車(9両編成)である322レ。詳細については記載省略。
※この動画のURLは上記の通り
(4.11UP)
<引用>平成元年3月4日の322レの最後尾
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※この列車は、平成元年3月4日の朝の322レ。(詳細について記載省略)
※URLは下記参照。
(4)上り324レ(50系普通客車列車、9両)(R5.3.3修正)
①保津峡駅到着前の324レ
<引用>平成元年3月4日の324レ①
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※この列車は、平成元年3月4日の朝の324レ(園部発京都行き50系普通客車列車、9両編成)。
※この場所は、いわゆる「愛宕さんの箇所」
※保津峡駅到着前
※URLは下記参照
<引用>平成元年3月4日の324レ②
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※内容は、平成元年3月4日、保津峡駅に入線する324レ
※URLは次の通り
②保津峡駅に到着直前の324レ
<引用>
※引用元:あさいち@京都・大原氏がTwitterに投稿された写真
※保津峡旧線最終日である平成元年3月4日に保津峡駅にて撮影、とのこと。
※1枚目の奥に見える駅は、平成元年3月5日開業の新保津峡駅。
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※この列車は、上りの9両編成の50系普通客車列車のうち324列車(324レ)。322レ及び324レは、昭和63年10月の山陰本線京都口普通客車列車大幅削減後も客車列車で運行(詳細については記載省略)。
③324レの保津峡駅発車時刻
AM7時51分に324レが保津峡駅を出発
※気動車列車の保津峡駅における動きは記載省略。
【Ⅱ 平成元年3月4日 午前10時~12時頃】
(山陰本線複線化(嵯峨・馬堀間)工事等竣工式等)
「山陰本線複線化(嵯峨・馬堀間)工事等竣工式」(以下「竣工式」もしくは「レール締結式」と呼ぶ場合あり)が平成元年(1989年)3月4日の午前10時20分より新馬堀駅で執り行われました。その後、亀岡市市民体育館で京都府山陰本線複線電化促進協議会(代表世話役・京都府知事)主催の完成祝賀会が開催されました。概要は次の通り。
<引用>(再掲)
※引用元:秘密結社亀の甲さん(旧丹の夢工房コンピューター事業部さん)のYouTube動画「平成元年(1989年)山陰本線保津峡複線化新線開業関連ニュース1」。URLは下記の通り
※引用理由:下記の通り
※これは、テープカットの場面。
※左から二人目が京都府知事 荒巻禎一氏
※右から二人目が参議院議員 西田吉宏氏(自民党、当時)
※このテープカットの前に、京都府知事や八木町長等がレールを金色のボルトで固定する場面がある。
※テープカットの後に、工事用モーターカーによる安全確認が実施。
※竣工式等の詳細は、秘密結社亀の甲氏のYouTube動画や#233のブログ等をご参照ください。URLは下記の通り。
<参考 秘密結社亀の甲氏の動画>
<参考 私の#233のブログ>
※引用理由:竣工式等における出席者の喜びの表情を伝えることにより、JR嵯峨野線の複線電化が一般住民・政治家・地元自治体等の悲願であったことを伝えるため
※衆議院議員 谷垣禎一氏(自民党、当時)等の様子や亀岡市長へのインタビュー等についても上記#233のブログをご参照ください。
【京都府知事とJR西日本社長ががっちり握手】
<引用>
「(前略)竣工式の後行われた完成祝賀会は、会場を亀岡市市民体育館に移し、京都府山陰本線複線電化促進協議会(代表世話役・京都府知事)の主催で開かれました。
冒頭のあいさつで、知事が「来年度内に京都ー園部間の電化工事が完工されるよう」とJR西日本に強く要望すると、この後の来賓の祝辞で角田社長(JR西日本社長)が知事の要望に答え「京都ー園部間は、来年の春には電車が走れるよう努めます」と明言し、二人ががっちりと握手する場面も見られました。(以下略)」
※引用元:「広報やぎ-おおいばし-No.299 平成元年3月」(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編))
※引用理由①:「平成2年3月にJR嵯峨野線の電化を完成させる」旨を平成元年3月4日にJR西日本社長が明言されたことをお示しするため
※引用理由②:平成2年3月の園部電化により、山陰本線豊岡以西の普通客車列車が大幅に削減され、平成9年3月の山陰本線普通客車列車全廃、平成11年の急行だいせん気動車化、平成18年3月の寝台特急出雲廃止につながっていった(私見)。#239のブログ参照
👇
平成元年3月4日の京都府知事とJR西日本社長ががっちり握手する場面は、山陰本線客車列車全廃の端緒(私見)(R4.11.17追記)
※京都府知事とJR西日本社長ががっちり握手する場面は下記引用資料の通り
<引用>
※引用元:「広報やぎ-おおいばし-No.299 平成元年3月」(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編))
👇
<私見>上記の通り、平成元年3月4日の京都府知事とJR西日本社長ががっちり握手する場面は、山陰本線客車列車全廃の端緒となる出来事(私見)(R4.11.17追記)
(4.11UP)
※八木町長の挨拶等、京都府知事へのインタビュー、地元テレビ局の放送等の詳細については、上記#233のブログをご参照ください。
【Ⅲ 平成元年3月4日 午後】
(1)<参考 テイチク鉄道ビデオ>
テイチク鉄道ビデオ、特急あさしお6号の運転室より運転室展望映像を撮影(園部⇒京都)。詳細は下記の通り。
<引用>
【図書館のお知らせ】こんな視聴覚資料、あります No.036『旧嵯峨野線の消える日 平成元年3月4日 JR西日本山陰本線京都駅~園部駅』 - 京都府立図書館 | 京都府立図書館 https://t.co/xnQHesi1gb
— 京都の図書館 (@Kyoto_lib) February 19, 2019※ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(2)12系客車回送(12系1000番台の回送)
平成元年3月4日午後、雨の中(午後に雨が降り始めたと思われる)、福知山運転所から向日町運転所に12系客車が回送されました。これは、同年3月11日のダイヤ改正でJR嵯峨野線の普通客車列車は12系客車(1日2往復体制、9両編成)に変更となるためです(実際の変更日は下記参照)。その回送の様子は次の通り
<引用>
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※内容は、平成元年3月11日ダイヤ改正に備え、福知山運転所から向日町運転所に回送される12系1000番台。※JR西日本の青一色の12系客車はいわゆる12系1000番台。
※雨が降っている。竣工式の様子から午前中は曇りだったため、この回送シーンは平成元年3月4日の午後だと思われる。
※翌日の新線切り替えに備え、作業員が作業をしておられる。
(3)<参考 15時37分等について>
平成元年3月4日の15時37分、保津峡旧線を最後に走行することになる寝台特急出雲4号が浜田駅を出発。(浜田駅出発時は「電源車+1~4号車」の編成。出雲市駅に到着後、5~11号車を連結し、出雲市駅を17時24分に出発。)
(4)下り327レ(50系普通客車列車、9両)
18時12分に327レが保津峡駅を出発。
<引用>平成元年3月4日の327レ
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※内容は、平成元年3月4日の夕方の327レ(京都発園部行き50系普通客車列車、9両編成)。
※現在のトロッコ嵯峨駅からトロッコ嵐山駅間(歩道橋?がかかっている場所)で撮影されたものと思われる。
(5)下り329レ(50系普通客車列車、9両)
19時50分に329レが保津峡駅を出発。
<引用>平成元年3月4日の329レ 嵯峨駅
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※内容は、平成元年3月4日の夕方の329レが嵯峨駅に入線する場面
<引用>平成元年3月4日の329レ
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「旧線最終日 保津峡(嵯峨~馬堀)1989年3月4日」。使用については了承を得ています。
※内容は、平成元年3月4日の夕方の329レが旧保津峡駅に到着した場面と思われる。
※329レは京都発園部行き50系普通客車列車で9両編成。
※テイチク鉄道ビデオの件ですが、DVD版には上り客車は出てこないようです。
(6)<参考 22時47分の福知山駅>
夜の22時47分、浜田発東京行きの寝台特急出雲4号が福知山駅を発車する。⇒寝台特急出雲4号が山陰本線京都口に入る。
(7)寝台特急出雲2号(14系14形寝台客車)
平成元年3月4日夜の23時20分?~23時30分?頃、上りの出雲市発東京行き寝台特急出雲2号が保津峡旧線を走行。詳細について記載省略。
(8)上り330レ(50系普通客車列車、9両)
平成元年3月4日夜の23時32分、上りの園部発京都行き50系普通客車列車である330レが保津峡駅を出発。(330レは上りの終電)
(9)<参考 23時40分?~0時?頃の口丹地区>
この時間帯?に寝台特急出雲4号が園部町・八木町・亀岡市を走行(JR嵯峨野線区間を寝台特急出雲4号が走行)。
※気動車列車の保津峡駅における動きは記載省略。
【Ⅳ 平成元年3月5日 未明~朝】
(1)平成元年3月5日未明 寝台特急出雲4号が保津峡旧線を走行
保津峡旧線を最後に走行した列車は、浜田発東京行き寝台特急出雲4号(24系25形寝台客車)で、平成元年3月5日未明の0時05~06分頃に保津峡駅を通過しました。
(旅一郎氏の上記YouTube動画「保津峡旧線最終日(1989.3.4)」等により記載)
※寝台特急出雲4号は、浜田・出雲市発東京行きの上り列車で、京都までは山陰本線を走行(当時の時刻表によると、京都駅に到着するのは0時25分)。詳細については、今回は記載省略。勇姿は下記資料参照。
<寝台特急出雲4号の保津峡旧線通過後>
(2)新線への切替工事
寝台特急出雲4号が馬堀駅通過後、馬堀駅サイドで新線への切替工事が開始されたと思われます。また、寝台特急出雲4号が嵯峨駅を通過後、嵯峨駅や小倉山サイドで新線への切り替え工事が開始されたものと思われます。
(3)<参考>寝台特急出雲1号及び寝台特急出雲3号の迂回運転
平成元年3月4日に東京を出発し、5日に山陰本線を走行する寝台特急出雲1号及び寝台特急出雲3号については、伯備線経由で運転されました(『JTB時刻表』(日本交通公社)(1989年2月号)で確認)。理由は、新線への切り替え工事のため。
(4)複線化の試運転
次のツイートをご参照ください。
<引用>
【参考までに】
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) June 2, 2022
次のツイートは、1989年3月の、JR嵯峨野線馬堀駅~嵯峨駅(当時の駅名)間の複線化の試運転についてのツイートです。
※保津峡新線開業(JR嵯峨野線馬堀~嵯峨間複線化)は1989年3月5日。#保津峡 #嵯峨 https://t.co/7rPy6gSj5K※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(5)上り始発が保津峡新線を最初に走行
平成元年3月5日、新線切り替え工事完了後の保津峡新線を最初に走行した列車は上りの始発列車(キハ58 3両)。
<参考>はまかぜ5号@秘密結社亀の甲氏の2021年9月12日のツイート(内容は1988年10月改正時の馬堀駅)から、平成元年3月5日の上り始発列車の120Dは3両編成のキハ58系気動車と判断できる。⇒この120Dは、時刻表によると、馬堀駅4時53分発、保津峡5時00発、嵯峨5時05分発、とのこと。
<参考>はまかぜ5号@秘密結社亀の甲氏によると、「当時(1989年3月4日以前)の馬堀駅の案内では、切り替え工事のため下り出雲だけ迂回運転にされて、朝の列車から新線で運転の案内でした」とのこと。
(6)<参考 平成元年3月5日の新保津峡駅を出発する324レ>
<引用>平成元年3月5日の324レ※ハム。B.R.A氏がTwitterに投稿された写真。使用については了承を得ています。
※平成元年3月5日(保津峡新線開業日)の保津峡駅、とのこと。この列車は324レで、DD51牽引の50系普通客車列車(9両編成)。
※ハム氏のツイートのURL及び写真の詳細については、#234のブログに記載しています。
(4.2UP)
3 寝台特急出雲4号関係資料
上記の通り、平成元年3月5日未明に寝台特急出雲4号が保津峡旧線を走行しました。⇒保津峡旧線を最後に走行したのは、寝台特急出雲4号です。そこで、当時の寝台特急出雲4号に関する資料を引用します。
<引用>寝台特急出雲4号(当時)
※ヤフオクで入手したオレンジカード。内容は当時の寝台特急出雲4号
※当時の寝台特急出雲4号のは8号車が食堂車
※当時の寝台特急出雲4号は、電源車及び1号車~4号車が浜田発、5号車~11号車が出雲市発。11号車が1番前、電源車が一番後ろ。
※この出雲号の撮影場所は、架線下でかつ単線、またカーブの状況から直江~荘原間と思われる?
(5.3再UP)
<引用>
※ヤフオクで入手したオレンジカード。内容は当時の寝台特急出雲4号
※詳細は上記参照
(5.3再UP)
<引用>寝台特急出雲4号が保津峡駅を通過する場面
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「保津峡旧線最終日(1989.3.4)」
※未明の0時05分~06分頃に寝台特急出雲4号が保津峡駅を通過する場面
※この映像は、厳密には3月4日未明の映像
4 参考 保津峡新線開業後
(1)平成元年3月5日 保津峡新線開業 等
・保津峡新線開業に関しては、#234のブログ等をご参照ください。
・327レについては、平成元年3月7日に12系化(はまかぜ5号秘密結社亀の甲氏からTwitterで資料提供あり)。#267のブログをご参照ください。
・330レについては、#265のブログもご参照ください。
(2)平成元年3月11日ダイヤ改正後の12系普通客車列車等
平成元年3月11日ダイヤ改正により、JR嵯峨野線では9両編成の12系普通客車列車が1日2往復体制で運行されることとなりました。詳細は#190のブログ等をご参照ください。
また、平成元年8月の保津峡新線等については、次のツイートもご参照ください。
<引用>
保津峡新線開業は平成元年(1989年)3月5日。
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) November 3, 2022※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(3)いわゆる園部電化(平成2年3月10日)等
JR嵯峨野線の電化開業(いわゆる園部電化)は平成2年3月10日です。詳細は#99のブログ等をご参照ください。
※#99のブログでは、平成2年3月の園部電化における口丹地区の人々の喜びの様子について記載。また、#306のブログ等にも園部電化について記載。
<参考 平成2年5月>
<引用>(平成2年5月の旧保津峡駅)
1989年3月5日のいわゆる保津峡新線開業後、新しい保津峡駅の駅舎や改札口ができるまでは、次のツイートの通り旧保津峡駅から旧線の線路を通り階段を登って新保津峡駅のホームに行く必要があった。次のツイートの写真は1990年5月2日、とのこと。 https://t.co/66GXKtpAg3
— Toshinori.Saito2(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) May 13, 2022※引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用
(4)嵯峨野観光鉄道開業(平成3年4月)
今回は詳細について記載省略。#249等のブログ等をご参照ください。
(5)新保津峡駅の新駅舎
今回は詳細について記載省略します。
(6)京都~園部間の完全複線化(平成22年3月)
JR嵯峨野線全線の完全複線化は、平成22年3月です。#99のブログをご参照ください。
<参考文献>
・旅一郎氏のYouTube動画
・秘密結社亀の甲氏(旧丹の夢工房コンピューター事業部氏)のYouTube動画及びTwitterにおけるツイート
・JTB時刻表(1989年2月号)(日本交通公社)等当時の時刻表
・「広報やぎ-おおいばし-No.299 平成元年3月」(八木町役場発行)(→『広報大堰橋ーアメニティやぎー縮小版(第304号)』(八木町 2005年)(八木町役場人事秘書課編))
・Twitterやインスタグラムにおける各種投稿
<参考 Pick>
誤字脱字等があればその都度訂正します。
引用箇所の写真について、転載等禁止。
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。