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『生命倫理再考 —南方熊楠と共に—』

(唐澤太輔 著)

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<内容紹介>

 ヒトゲノム情報の解読が進み、遺伝子診断などによって将来発症するであろう「病」を事前に知ることが可能になりつつある。近年、受精卵(初期胚)に身体の様々な部分に分化する「基」があることが分り、「ES 細胞(万能細胞)」が作成された。さらに万能細胞の基礎研究は進み、今では受精卵を使用しない万能細胞=「i-ps 細胞」の作成にも成功している。

 「遺伝子診断」「ES 細胞」「i-ps 細胞」……このように、近年における生命科学分野の発展は目覚ましい。今後これらは「高度医療技術」として社会を支えていく基盤の一つとなることは間違いないであろう。

 「生命」は、人間によって操作することが可能な対象となった感がある。生命現象は、「神の領域」における事柄ではなくなってしまったかのように見える。そこへ踏み込んだ我々は、もう後戻りすることはできない。人間はどこまでも進み続けるに違いない。「生命」は、もはや我々人間の手中にあるかのようだ。

 では、本当に我々は「生命」を完全に知ることができるようになったのか。あるいは、今の生命科学の方法によって、いずれ「生命」を完全に捉えることができるようになるのか。――答えは「否」である。

 生命科学は「生命」の各構成部分を観察し、「分析」することを目的とする。しかし、それらがバラバラの状態で示している特性を組み立て直しても、我々は「生命」を完全に理解することは決してできない。端的に言えば、「全体は部分の総和以上のもの」だからだ。その現象の過程や構成要素を分析したところで、「生命そのもの」の意味や、その価値について答えることなどできないのだ。

 我々現代の人間は、「視覚」を重要視し対象を観察する。そして、対象をバラバラに分断し、分析あるいは数値化する。また、これが生命科学の特徴であると共に、最大の問題点でもある。「対象を客観的に合理的に分析して捉える」、そのような方法を絶対視することは、いずれ(今以上に)人間性を無視した医療へとつながるであろう。このような生命科学の在り方を乗り越える方法の模索こそ、我々の最重要課題である。

 現在の生命科学を絶対視することは、危険である。それは「生命」を、生命科学という囲いの中に隔離することになる。「生命」とは何か、あるいは「生命そのもの」とは何かを知りたい――それは我々人間としての欲求でもある。「生命」を知ることは、生命科学の牙城ではない。超高性能な顕微鏡やスーパーコンピュータによってのみ「生命」を知ることができるわけではない。そのような方法以外でも、深く「生命」を知ることは可能なのである。機械には真似のできない、人間による「生命」へのアプローチ方法、これを考えることは、決して生命科学にとって「停滞」でも「後退」でもない。新たな一歩なのである。では、人間による「生命」へのアプローチとは一体何なのか。深く「生命」を知るとはどういうことなのか。

 かつて、それを実践し示してくれた人物が、日本にはいた。南

方熊楠(1867 ~ 1941 年)である。熊楠――「熊(動物)」と「楠(植物)」といういかにもパワフルな名を持つこの人物の残した業績は多岐に渡る。その中でも特に、「粘菌」という不思議な生命体の研究をしたことでよく知られている。日本民俗学の父・柳田國男(1875 ~ 1962 年)をして「日本人の可能性の極限」とまで言わしめた人物でもある。熊楠は、粘菌研究以外にも、民俗学・人類学・説話学などあまりにも多岐に渡る業績を残した。8〜9カ国語を解する語学の天才でもあり、各国の民俗・文化を渉猟し、おびただしい数の論考を書いた。一方、夢や幽霊などにも強い関心を示した。彼による神社合祀反対運動は、日本における「エコロジー」運動の先駆とも言われている。また、本書でもとり上げる「南方曼陀羅」の思想には、非常に興味深いコスモロジーが隠されている。彼は、「生命」を深く考え続けた知の巨人であった。

 筆者は、熊楠による生物に対する観察姿勢・方法に、現代の生命科学を超克するためのヒントが隠されているのではないかと考えている。この稀代の天才の「対象へのアプローチ方法」とはいかなるものであったのか。それを考察することは、我々にさまざまな示唆を与えてくれるはずである。

 熊楠の観察方法とはいかなるものであったのか、「粘菌」研究などを通じて紡ぎ出していった彼の生命観とはいかなるものであったのか、それがどのようにして現在の生命科学の方法の超克となり得るのか。本書の射程はこれらの問いにある。

 

※本書は、2009 年8 月〜 2014 年10 月までweb 雑誌『ロゴスドン』で連載した「生命倫理再考」(月1 回)に若干の加筆修正を施したものである。

(本文「序」より)

『ロゴスドン』Webの連載小説「甦った三島由紀夫」を更新しました。

 

第50回

囚人たちとの対話 (その五)


 
 囚人たちとの対話も今回で最後。トリとして44歳の女囚Nと話すことにした。結婚詐欺を累犯し、懲役2年。

 

M おや、とても44には見えませんな。充分30代で通る。それに美人で。 
N ありがとうございます。(笑) 
M 単刀直入に聞きますが、結婚詐欺の目的は単純に金ですか。それとも何か他に・・・。 
N お金です。他に何がございますの? 先生は付き合っている間だけでもそこに「こころ」が入るのではないかとお考えで? そういう手合いもいるかもしれませんが、私は一度だって心が揺れたことなんてありません。 
M (笑)では、どういう男性をターゲットに選ぶの? 
N そりゃ何より金持ちであることに決まってましょう。第二が性格、と言っても女性にやさしいとか男らしいとか、そんなんじゃございません。相手に気を許す人間かどうか。言っちまえば、騙しやすいかどうかということですね。

 

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『ロゴスドン』Webの連載「「裏日本」文化論」を更新しました。

 

第31回

〈秦氏の分布とルート〉


 浅香年木は、渡来系氏族・秦氏は、朝鮮半島から北陸へ渡り、近江を経て機内へ入ったと主張している(第30回〈秦氏について〉参照)。確かに、往々にして我々は「機内中心」に考えがち、つまり、まず機内へ入った秦氏が、次第に各地へ分散していったと思い込みがちである。しかし、地理的に考えるならば、浅香の述べるルートの方が自然ではないだろうか。 
 7世紀後半の朝鮮半島には戦乱の嵐が吹き荒れた。例えば、668年に高句麗は、唐・新羅の連合軍によって滅亡している。百済は660年に陥落している。そして、陸の逃げ場を失った人々の多くは、海へと向かった。つまりボートピープルとなり、海を渡ろうとしたのである。その結果、相当な数の亡命者(ボートピープル)が「裏日本」には流れ込んだはずである。 
 当然、上記の戦乱以前から、大陸・半島から「裏日本」への大量の移住はあったようだ。一説によると、紀元前3、4世紀から6世紀までの約1000年間に、少なくとも数十万、最大百五十万の人々が、朝鮮半島や中国大陸から日本へ流入したと言われている。

 

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