36枚
夏から再開した古い機械式の一眼レフでの撮影。フィルム詰めないと重たいだけの機械だが、露出計やモーターを駆動させる電池は不要でも写真は撮れる。デジカメとは異なりフィルムは最大で一本36枚しか撮影出来ない。失敗すれば、失敗作が続く。しかも、撮影は自分の勘露出。それでも、一度慣れてしまえば写るものだ。
この自分の肉体や感覚を信じて作業する点で機械式カメラでの撮影は、どことなく能の実技と似ている。能も自分の肉体、五感に加えてシックスセンスを使いながら謡い、舞う。
自己感覚を通じているからこそ、全てに説明がつくのだ。
動画や録音なんて、自分を知るには当てにはならない。所詮は電子音と信号である。舞台に上がり足の裏で感じた板目を知り、運足の具合を調節。能楽堂に共鳴する声から自分声を探し、自分の謡いを聞く。その中で空気や間の流れを作りながら舞うものだと思う。
仕事で機械式カメラを使う事はないと思うし、今後もフィルム生産が続くとも思わない。でもね…もしかすると、フィルム無しで空レリーズしながら街を行くのも悪くない。
数十年後、都内で空シャッターを切りながら歩く酔狂な老人を見かけたら、それは間違いなく私だろう。
ふふ、道端で釣りをするようなものだな。ついでに謡いでもやりましょうか。
静養とメンテナンス
急性の発病で寝込む。外出不可能となり仕事はキャンセル。撮影・納品代行も不可能だし、どうしようもない。
出先で倒れて、他家の一室で二日ほどお世話になり帰宅。体調が戻るまで今日からしばらく部屋に引きこもる。
写真は中古カメラ店ジャンク館から入手したミノルタSR1初期2型、プライス300円という捨て値になっていた。300円では分解部品取り用かな…と手にしたが、外見の汚さは別にして各作動も確かで、特に壊れてはいないようだ。ジャンク棚の隣には同じSR1達が500円、1000円で並んでいた。ミラーが上がったままの機、セルフタイマーが故障(素人が組み立てに失敗したのだろう)した機がいる。
『そいつは俺たちと違って、まだ働ける。助けてやってくれ』
『僕は働くのは疲れたよ。彼はまだ若い。君の力で救ってくれ』
…と九十九神達が訴えている。私は300円支払って持ち帰った。もはや分解は手慣れたもので一時間もせずに、プリズム・ファインダー清掃、各注油など終えた。上下カバーは洗浄。上カバー隅に幾つか凹みがあって価格300円の原因と思われたが、軽くハンマーと割り箸で裏から打ち出して、軽く修正してみた。角部は無理だったが、上部凹みは巧く修正。
すでに初期型2型は名古屋に連れていった『ポンちゃん』があるので、相棒として相思相愛を祝って『トムちゃん』と名付けた。『ポンちゃん』には『トムちゃん』が良かろう。ここでの説明は省く。賢明な方には周知の事柄だと思う。
ミノルタSR1初期型はファインダーが暗いのが欠点とされるが、実は開放の焦点面が狭いのだ。ペンタックスの一眼など暗さでは相当なものだが、ピントの山は探しやすい。あるいはニコン系のせり上がるようなピントでもない。ミノルタは無駄に暗い、使いにくい、いつもボケてる…と揶揄されてきた。
実は、SR1初期型は意外と優秀なファインダーでプリズムやフレンネルレンズも劣化が少なく、再清掃すれば明るく使いやすい事が理解されるはずだ。






