36枚
夏から再開した古い機械式の一眼レフでの撮影。フィルム詰めないと重たいだけの機械だが、露出計やモーターを駆動させる電池は不要でも写真は撮れる。デジカメとは異なりフィルムは最大で一本36枚しか撮影出来ない。失敗すれば、失敗作が続く。しかも、撮影は自分の勘露出。それでも、一度慣れてしまえば写るものだ。
この自分の肉体や感覚を信じて作業する点で機械式カメラでの撮影は、どことなく能の実技と似ている。能も自分の肉体、五感に加えてシックスセンスを使いながら謡い、舞う。
自己感覚を通じているからこそ、全てに説明がつくのだ。
動画や録音なんて、自分を知るには当てにはならない。所詮は電子音と信号である。舞台に上がり足の裏で感じた板目を知り、運足の具合を調節。能楽堂に共鳴する声から自分声を探し、自分の謡いを聞く。その中で空気や間の流れを作りながら舞うものだと思う。
仕事で機械式カメラを使う事はないと思うし、今後もフィルム生産が続くとも思わない。でもね…もしかすると、フィルム無しで空レリーズしながら街を行くのも悪くない。
数十年後、都内で空シャッターを切りながら歩く酔狂な老人を見かけたら、それは間違いなく私だろう。
ふふ、道端で釣りをするようなものだな。ついでに謡いでもやりましょうか。



