再生と枯死
つかこうへい氏死去。
私にとっては遠い世界の演劇人であって、『あぁ、もう他界する年代だったのか…』と感じたのが第一報。
以前、急逝した劇作家如月小春の時は少なからず、残念であった。
週刊誌のエッセイなど愛読していたからだ。
事故で向田邦子が亡くなり、その後に続く作家になると思っていたからだ。
演劇の醍醐味とは必ずしも良薬とは限らず、口に苦い物を、時に甘く(観客をだます)手口によって、世の常識を暴き破壊したり再構築したりする。
準体制的というよりは、退廃的と処断される場合もある。
将来、国が認可する舞台演劇、芝居、芸能等…劇場運営の名目により、一連の枠で表現される作品だけに終始するば、おそらく我が国の演劇は総じて『陳腐な古典芸能化』の危惧が潜む。
どんな世界にも、前衛であるがゆえに、新しい思想や意匠を導く存在があって、初めて進歩を遂げる。
演劇も、そうであって欲しい。
能楽が600年継続した背景にも、常に代謝機能を維持してきた性質あっての古典化であった、と考えている。
しかし、作家自身、演劇者自身が『身をやつす…時代の人間を演じる事に甘んじる』で、明日の米を確保する事になれば、演劇に限らず、この国の文藝世界は消滅してしまうだろう。


