緑の黒髪
写メは能に用いる本鬘。
服装や髪型に制約もない仕事である事を理由に、髪を延ばし続けて二年あまり。ようやく髪は肩を過ぎた。
この一件は、以前にもブログに書いているかも知れぬ。
以前、仕舞『蝉丸』を舞った時の事だ。この曲は蝉丸自身は舞わず、姉君の『逆髪』を演じる際に舞いが入る。
その『逆髪』を舞った時に、彼女が妄想の中で自らの髪を手で梳かせる型がある。
そんな型を取りながら…ふと。
…髪を実際に伸ばしてみなきゃ、女性が抱く髪に対する心情なんて判らないのでないか…。
そんな下らない思いつきから、髪を伸ばしてみて気が付いた事。。
一、朝起きて鏡の前で、髪を束ね直せば終了。急ぐ時は楽で良い
二、夜寝るとき、髪が顔に絡まり意外とウザい。結局、タマネギみたいに髪を結わえて寝る。
三、風呂から上がると、湯船に浮く長い髪の気持ち悪さ。
で、湯冷めしながら回収作業。おそらく髪を伸ばしている女性が入浴で一番気を使う事だろうと、今更に気づく。
四、シャンプー、リンスの減り方が早い。また、安いシャンプーより香りの良い製品に手が出る←値段が高い事に驚愕。
五、部屋の掃除を怠けると抜けた髪の毛は、床にたまり大変な状態になりやすい。
七、女性のロングヘアには様々なアレンジがあって美しいが、男性はアレンジに伴う美意識が低い。
結論…ここまできたら、腰あたりまで伸ばしてみるか。自分用の鬘が作れるぞ…
自由という孤独の楽しみ
例えば親や親戚が著名な俳優や映画監督、あるいは名士である。
しかも本人も美形に生まれた…それは演劇世界に仕事の場を求める場合、すでに特急券と指定席を得ていると言えるだろう。
ジェーン・バーキンの半生は、恵まれた生い立ちの少女が銀幕デビューし、物語の中で大人びた女の子を演じた。
実生活でも、背伸びした恋愛と別れを繰り返す。
それは一度ならずもの繰り返しに人生の教訓もなく、人によっては愚行と感じるはずだ。
だが、そこから掴みとる真実を見いだすか、恋を通じて人生の実相に相当する答えを、引き出した事は確かなようだ。
そこが彼女を表現者として押し上げているのだろう。
すなわち、自由に生きる事が幸せとは限らない。深い孤独と苦難かも知れない。
しかも『自由』という言葉が日本語では、今一つ曖昧だ。使い方も恣意的にあって反語の意に解釈されたりする。
むしろ『自在』…あるいは『融通無碍』か。
一つ思うことは、一人孤独に死去し、弔う人の一人もない終焉であったとする。その立ち上る煙に、自らの人生の空しさよりも、空に帰る喜びを感じるくらい達観すれば、全てに『自由』になれるのだろうか。
和泉式部の歌に、そのような一首が残されていたように記憶する。
この項。続く…
ジェーン・バーキン
相変わらず寒い。
風邪引きによる喘息で、少々引きこもり中。
カップ麺を買いに外出した以外は部屋の中。
先ほどまで、引きこもる部屋の中でジェーン・バーキンという英仏の女優特番を見た。
おそらく彼女に、自由奔放という言葉は当てはまらないだろう。
適当な表現も見当たらないが、『生まれながらに羽を持った人』であるのは確かだ。
自由を選択できる環境とは『生きる羽』は得ている、という事だ。
ファッションにおいてもカリスマである彼女のスタイルを、真似た女優やモデル、タレントは日本にも少なからずいるように思われる。
しかし、ジェーン・バーキン自体が一つのカルチャー存在にまで高揚して成功した理由や彼女自身の本質を考えると、他人が真似から学ぶ事で、彼女と同質に等しくなるには相当に困難な作業であろう。
華やかな若さや美しさから、やがて訪れた老いを選びとる知恵を見事に体現している女性であることは間違いなかった。
その意味では、英国人でありながら、東洋的な思考も兼ね備えた人にも見えた。


