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歌に反応

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墓参のため遅まきながら帰省している。

実家のシーズー犬『テツ』…いつもながら、あまり私には懐かない。
そりゃあ、当たり前だ。そんなに世話をしていないし。
家に来た日に名前を付け、犬のマナーとして最低限のお座り、待ての仕込みをした私へ恩は忘れているようだ。

こいつ、先ほどまで私の足元で寝ていたのだ。
録画しておいた歌番組を私が見ていると…ふと、起きた。

『ポニーテールとシュシュ』のイントロに尻尾を振ってリズムキープ。

面白いらしい…。

しかし、歌が始まったら…再び寝た。

フィルム

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外は夏の猛暑だ。
仕事や用事がなければ休みでもあるし家に引きこもる、あるいは久しぶりに海にでも行って、日暮れの浜辺でも撮ろうか。
私的撮影はフィルムカメラを愛用。準備をしようか。


あれ…?

フィルムが裏表逆になっている。
メーカーの製造ミスかな。
ところが間違いやミスではなく、そういう意図のフィルムらしい。

ロモグラフィのレッドスケールという商品は、赤色を誇張して裏表逆にした演出を仕込んだフィルムらしいのだ。


あまりコダックやフジ以外の製品を用いる事も少なく、情報を得ていなかった。しかし、何を撮っても赤優先か…。
風景やスナップ用なんだろう。
撮影対象を吟味すれば面白いプリントになるだろうが…。


と…

平和とは獲得するものだ。

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今日という日は、やはり考えるべき時間でありたい。

戦前、戦時下の日本国民は『ただ国民を演じていれば良かった…』という意味の論説を、以前に某著名演出家が新聞紙上で語っていた事を思い出した。


本来『演技』とは、役者が内的に納得した自発的行為である。強要されて『演じる』行為ではない。

いわんや、若者が戦地へ赴き屍をさらす。あるいは、市民が空襲に命を失うことを『演じる』ことなど不可能だ。
そんな『演出』は断じて拒否するだろう。

人々は『演じた』のではない。ただ耐えて、互いに我慢しただけなのだ。
戦争に負ける前から、すでに日本人は対米戦においては、次第に困窮する戦況にひたすら耐え、忍んでいた。


何よりも、某演出家による歴史解釈、当時の国民は『演じていた』と簡単に言い述べた事が、私は理解不能だ。
戦時下、東条内閣による学徒出陣を始めとし、また召集において貴重な人材240万人を、市民を幾多失なった。その結果、戦後の日本人が培ってきた先人の精神を無くした原因の一つが、幾多若者達を人柱にした人材喪失にあると私はみている。


それでも『演じていれば良かった』というのならば、それは死者に対する侮辱であり、あまりに粗末で脆弱すぎる台本ではあるまいか。