平和とは獲得するものだ。
今日という日は、やはり考えるべき時間でありたい。
戦前、戦時下の日本国民は『ただ国民を演じていれば良かった…』という意味の論説を、以前に某著名演出家が新聞紙上で語っていた事を思い出した。
本来『演技』とは、役者が内的に納得した自発的行為である。強要されて『演じる』行為ではない。
いわんや、若者が戦地へ赴き屍をさらす。あるいは、市民が空襲に命を失うことを『演じる』ことなど不可能だ。
そんな『演出』は断じて拒否するだろう。
人々は『演じた』のではない。ただ耐えて、互いに我慢しただけなのだ。
戦争に負ける前から、すでに日本人は対米戦においては、次第に困窮する戦況にひたすら耐え、忍んでいた。
何よりも、某演出家による歴史解釈、当時の国民は『演じていた』と簡単に言い述べた事が、私は理解不能だ。
戦時下、東条内閣による学徒出陣を始めとし、また召集において貴重な人材240万人を、市民を幾多失なった。その結果、戦後の日本人が培ってきた先人の精神を無くした原因の一つが、幾多若者達を人柱にした人材喪失にあると私はみている。
それでも『演じていれば良かった』というのならば、それは死者に対する侮辱であり、あまりに粗末で脆弱すぎる台本ではあるまいか。


