花言葉
宇宙戦艦ヤマト2199見ていて、私の目を引く描写シーンがある。
ヤマト艦内の隊員待機室にキキョウ、あるいはリンドウが植えられたコンテナに咲いている。
何かにつけて気になるシーンに、この花が添えられている。
青い花が、妙に印象的だ。宇宙SFに限らず、戦争活劇作品に『花』がストーリーの伏線を示すように描かれる例は少ないだろう。
花言葉を調べてみた。
リンドウ…誠実、正義、貞節、寂しい愛情、あなたの悲しみに寄り添う
キキョウ…変わらぬ愛、気品、誠実、従順
作品を確認する限り、リンドウに見えるのだが、アニメの作者達は寓意を含めてメッセージを花に託したと考えられる。
そういう重層化した行間は悪くはない。
確かに、非科学的で実証からは外れている宇宙活劇、それが『宇宙戦艦ヤマト』だが、もとより精神的な拠り所が強い性格の作品でもある。
しかし、女性隊員の描写や各キャラクターの書き込みなど、旧作よりは楽しめる。
今時のアニメでもある。先行したガンダムやエバンゲリオンを典拠にしたキャラも登場。
…毎週見てる訳にもゆかないけど。
また見たいな。
あっ…プラモデルも発売されているのか…。
うーん。
夏休みの宿題かな。
膝笑う
妙に疲労中。今日はブログは昨日の繰り返しになってしまった。
一日、朝から仕事で移動。途中で納品を郵送したり、全く気持ちが落ち着かない。
膝や瞼がピクピク痙攣するのは、なんだ、やはり加齢か…。
夜、部屋に帰るなり、文章作成や事務連絡の手配。段々に、頭に理解不能な熱が溜まる。
世に言うストレスかな…。こういった時は酒か、あるいは歌う、または謡う。それが一番だが…場所がないな。
物音に過敏になり苛つく。良くないなぁ…ここは、歌うか。あるいは『推し』に癒されよう。
そう言えば、『推し仲間』が減った。突如として露見したスキャンダルに、(総選挙)に疲労したのだろうか。
彼らのブログまで消滅した。とにかく残念である。
私は中年も過ぎ老人の領域へ足を踏み入れつつある世代、今さらにアイドルに恋愛をするな…とは言わないし、気にもしない。
それが清純である反証ではない、と思うからだ。
私はアイドルとは『花』だと思う。世阿弥の云う若木の花、その花を愛でる楽しみ以外に考えられないのだ。
だが…『推し仲間』が減った理由は、もっと別にあるようにも思える。
人も保証継続期間、あるいは賞味期限があるらしい。
再契約されるのか、更新されてゆく関係であるのか。
それが切れちゃったんだな。
ちょっと悲しい…えっ、俺?
まだブログも『みぃちゃん推し』も止めないよ。
花というメタファー。
花。四季に時を得て咲く姿は、人の心を楽しませる。
その珍しさ、新鮮さ、面白さを人々は花に託する。
能の大成者世阿弥は『風姿花伝』に記している。世阿弥は『花』に例えて芸の魅力を説いた。
その世阿弥の云う『花』には大別して二つの『花』がある。
一つは『時分の花』、若く新鮮な輝きを持った一瞬に花開く芸。
もう一つが『まことの花』だ。研鑽と稽古を積み、能の芸域へ至高の道を歩む芸。能は『花』得ることで、道を極めた役者と呼べるのだ…と。
昨日、私の趣味である妄想をネタにして、推しメンを取り混ぜながらAKB48を揶揄したブログ文を書いた。(もっと筆走らせて遊べば良かった。…どうせやるなら、徹底的に『遊びな、遊びな』と言われてしまいそうだ)
若い輝きに満ちた彼女達は、世阿弥の言葉に従えば『時分の花』だ。
そして、華やいだ『若木の花』でもある。その『花の元』に我々も集う。
しかし、『まことの花』ではない。
その道へ至るとしても、まだ…ずっと先だ。
やがて老い木の花となり、そして散る。
散る様にも美しさがあり、散った後の残曵に人は思いを寄せる。
世阿弥は『花』から『幽玄』という思想化へ表現を転じていった、と考えられている。
しかし、私は『花』を問う意識こそ、観客と演者を結ぶ極点があるように思う。
その『花』を求める気持ちとは、今も昔も変わらないものだ。


