花というメタファー。 | HOODのブログ

花というメタファー。

HOODのブログ-CA3A0420.jpg

花。四季に時を得て咲く姿は、人の心を楽しませる。
その珍しさ、新鮮さ、面白さを人々は花に託する。

能の大成者世阿弥は『風姿花伝』に記している。世阿弥は『花』に例えて芸の魅力を説いた。

その世阿弥の云う『花』には大別して二つの『花』がある。
一つは『時分の花』、若く新鮮な輝きを持った一瞬に花開く芸。
もう一つが『まことの花』だ。研鑽と稽古を積み、能の芸域へ至高の道を歩む芸。能は『花』得ることで、道を極めた役者と呼べるのだ…と。

昨日、私の趣味である妄想をネタにして、推しメンを取り混ぜながらAKB48を揶揄したブログ文を書いた。(もっと筆走らせて遊べば良かった。…どうせやるなら、徹底的に『遊びな、遊びな』と言われてしまいそうだ)


若い輝きに満ちた彼女達は、世阿弥の言葉に従えば『時分の花』だ。
そして、華やいだ『若木の花』でもある。その『花の元』に我々も集う。

しかし、『まことの花』ではない。
その道へ至るとしても、まだ…ずっと先だ。


やがて老い木の花となり、そして散る。
散る様にも美しさがあり、散った後の残曵に人は思いを寄せる。

世阿弥は『花』から『幽玄』という思想化へ表現を転じていった、と考えられている。

しかし、私は『花』を問う意識こそ、観客と演者を結ぶ極点があるように思う。

その『花』を求める気持ちとは、今も昔も変わらないものだ。