踏み切り
列車の車窓風景に、時おり沿線で写真機材を構える人を見かける。
いわゆる『鉄』である。この猛暑にも負けず、照りつける水田の畦道や河原に仁王立ちになって頑張っている。
私も『鉄』ヲタを楽しむ時代があった。
企業専用線や貨物列車、私鉄などが相手で、適当に寂れた具合が良い味わいだった。
そんな風景も、すでに鉄道から去ってしまい、私の気持ちが離れていた。
ところが、列車に揺られながら気がついた。
それは一瞬の邂逅。
僅か数メートル以内の視界に走り去る場所があった。
そうだ。踏み切りだ。
チンチンと鐘を鳴らしながら列車を知らせる。さらに、何もない『第四種踏み切り』…この、ただ柵があるだけの踏み切りが良い。
たぶん、旅先で出会う美少女とのドラマも『第四種踏み切り』にはいない。
ただ、列車が走りすぎる時のみに、その喧騒に文明の力が誇示され、そして静寂が戻る。
この静寂、あとは天然自然が支配する空気。
在宅で終始する『鉄』の妄想。
手足が絡まって、踊る阿呆になれない
孤独と孤高は違う。
孤高とは、人との縁を無視してはいない。むしろ、人から学ぶ事で自らの道を選んでいる場合が多い。
対するに孤独とは、プライドゆえの弱さだ。その経過は様々だが、自らの弱さを自覚しない結果が孤独の訪れを招く。
常に、場の空気や世間的常識に拘りすぎると、自らの世界を狭める場合もあるのだ。
私は競馬とかパチンコの経験が皆無で、中年男性が一度くらいは足を運ぶというキャバクラや風俗系も無縁だった。
理由は、現実的には遊ぶ資金がない…!
しかし、金が湯水のようにあっても、無縁であったと思う。
人が行くから付き合う、遊ぶから合わせて私も…という思考が私にはないからだ。
所詮は、私は私。
そこに、私は人との縁を見いだしてはいない。
唐突に話が飛ぶ。
時に人は孤独よりは、孤高であるべきた。と勝手に思っている。
だから…『恋するフォーチュンクッキー』のPVが…つまらない。
曲は良い。歌詞もなかなか面白い…振り付けも悪くない。
しかし、昨夜も書いたように、今回のシングルには期待感や楽しさが入ってこない。ただ、苦しくて悲しい気持ちになってしまう。
たぶん、理由も意味も知らずに大勢の人々が踊るだけという様式を認めがたいのだ。虚構を演出というフィルターで真実に変えてはいけない。それは必ず真偽を問われる。
躍りを楽しむ、共有する感覚とはなんだろう。そこに発生する意匠を舞踊文化の課題として、決して忘れてはならない!…と訴えて、この問題の終わりとする。
面白くない真の原因は、推しが活躍しないからツマラナイんだよね。
おやすみぃちゃん!
一瞬、その選択のために。
『英雄のたちの選択』…という番組を見る。
かの対ロシア戦争。日本海海戦の功労者。明治時代、旧連合艦隊の指揮官…そして北欧はトウゴウビールのオジサン。
曰く…沈黙ゆえの果断と負った責任。場の空気に流されない自らの信念…など。
。
色々な表現や言葉が、この人物を語る。
そして、『勝利した戦争は反省されない』とコメントした現職の自衛隊教官の言葉が重い。
そう、確かに日本海海戦は反省されなかった『勝ち戦』であった。その無反省が太平洋戦争の敗因と国土国家を破滅寸前に追い詰めた。
番組を漠然と眺め、そんな考えが浮かぶ。
やがて、私は自分の生活態度や仕事の仕方などと比べていた。
私は、少し一人になろう。一人で考えよう。今、迷うとするならば『場の空気に流される』事だ。
自分の撮りたい写真は能の決定的一瞬なんだけど、その一瞬に会えるようにしなきゃね。
おやすみぃちゃん。
Ψ(ΦωΦ)Ψ


