手足が絡まって、踊る阿呆になれない
孤独と孤高は違う。
孤高とは、人との縁を無視してはいない。むしろ、人から学ぶ事で自らの道を選んでいる場合が多い。
対するに孤独とは、プライドゆえの弱さだ。その経過は様々だが、自らの弱さを自覚しない結果が孤独の訪れを招く。
常に、場の空気や世間的常識に拘りすぎると、自らの世界を狭める場合もあるのだ。
私は競馬とかパチンコの経験が皆無で、中年男性が一度くらいは足を運ぶというキャバクラや風俗系も無縁だった。
理由は、現実的には遊ぶ資金がない…!
しかし、金が湯水のようにあっても、無縁であったと思う。
人が行くから付き合う、遊ぶから合わせて私も…という思考が私にはないからだ。
所詮は、私は私。
そこに、私は人との縁を見いだしてはいない。
唐突に話が飛ぶ。
時に人は孤独よりは、孤高であるべきた。と勝手に思っている。
だから…『恋するフォーチュンクッキー』のPVが…つまらない。
曲は良い。歌詞もなかなか面白い…振り付けも悪くない。
しかし、昨夜も書いたように、今回のシングルには期待感や楽しさが入ってこない。ただ、苦しくて悲しい気持ちになってしまう。
たぶん、理由も意味も知らずに大勢の人々が踊るだけという様式を認めがたいのだ。虚構を演出というフィルターで真実に変えてはいけない。それは必ず真偽を問われる。
躍りを楽しむ、共有する感覚とはなんだろう。そこに発生する意匠を舞踊文化の課題として、決して忘れてはならない!…と訴えて、この問題の終わりとする。
面白くない真の原因は、推しが活躍しないからツマラナイんだよね。
おやすみぃちゃん!
