訂正…あなたに褒められたくて
私はライトヲタだが…面倒がらずに訂正しよう。
『鈴木まりや』
三時のおやつは?(まりやんぬー)まりやんぬこと、鈴木まりやです…が正しい。
どうして、この子が上海の支店に移籍したのか、当初は気にもしなかった。
だいぶ前に、深夜テレビで宮澤佐江と鈴木まりやの二人がゲストで出演した時も誰…?。この…?の反応は、司会や他のメンバーの表情に出てた。
浮いているのか、沈んでいるのか…さっぱり本人自身も理解していないように見えた。
しかし、彼女のホンワカした柔らかい表情は日本人とは思えない大陸的感覚。意外に対中国における派遣人事としては、最適な人材なのだと納得する。
上海では小籠包の食べ過ぎで太るとか、もとより数度の面接で採用を落ちたあげくに、ようやく七期採用なのだそうで(数回落ちた話の下り、聞き役の小嶋陽菜の表情。鈴木に対して明らかな呆れた顔を見せた。小嶋は叩き上げの一期だから、今さら素人な子は苦手だろう)
ちょっとバカ扱いにされそうなキャラでもある。大いなるアマチュアであって、確かにアイドルぢゃない。都市系の地下アイドルでもない。
ド田舎の川沿いを私が歩いていると、ギシギシ自転車を漕ぎながら、女子高生が横を走りすぎてゆく。夏の白いセーラー服…九月のそよ風♪…その横顔には似合う。
リアルに例えるならば、栃木県内を走る両毛線で足利方面に通学してそうな…真面目でマイペースな学生。
アイドルとしては推せないけど、人間的魅力はありそう。
あのグループは、そういう素人くさい子が多いのも人気の秘訣か。その意味ではモー娘。ももクロの子はプロなんだよね。
でも、あまりにプロに過ぎると嫁にはしたくない。男が二人住んでいる状態になりそうで、どうにも毎日喧嘩になりそうな不安がある。
ヲタとして、意見は多々だろうが
…ひとまず、おしまい。
あなたに褒められたくて
名優高倉健…そのエッセイ『あなたに褒められたくて』集英社文庫。
ナツイチ・担当は鈴木まりや…フレーズは『三時のおやつにまりやんぬー』だったかな。
それはさておき、俳優高倉健と私…まったく関係などないのだが、実は私は一字違いなのだ。
とある病院で『高倉健さん~』と呼ばれ間違いで、いや二度も。
しかし、出て行けるはずが…『ないじゃないか!』
その後、小声で訂正された本名が呼び出されたが、その時の気恥ずかしさ感覚ったらないわ…。
あと、ちょっと関わりと言えば、高倉氏と関係のあった女優さんが眠る墓地のある寺院に、たまに留守番で泊まるという事。その寺に宿泊している時に女優さんの再現ドラマがあって、私は寺のリビングで一人見ていて、まさに絶好の肝試し。だって、見なきゃ本当に出てきそうぢゃない。
さて、本書は氏の『添えども交わらず…』そういうストイックな役者気質が、ほど良く滲み出たエッセイ。そして古来より、誰もが避けられぬもの、悲しいけど『去らぬ別れ』がテーマ。
氏の言う『あなた』とは誰なのか。『さらぬ別れ』は辛い。
家族と写真
夏祭りの風景。父親の腕や肩、母の存在など。
基本、写真は記録である。そして当時代なり、人々の風俗や生活を残すのが本来の仕事。単なる街角スナップも数十年後に記録価値が出てくる。
その街角スナップが一番難しい状況にある。
理由は様々あるが、何よりもスナップ撮影が写真として迎合的になってしまった事に一因を感ずる。
『迎合的』…それは言葉を言い換えれば、写真に刺激を求めるあまり過剰な被写体を追う傾向が強くなった。
プロアマを問わず、作品が目的化してしまったのだ。
ジャンル違いだが、女子プロスポーツの写真なども、私の感覚では理解不可能。
そもそも被写体である選手の許可を得て誌面に掲載しているのかが、疑問。
たぶん、かなりいい加減な理由で済まされているに違いない。
写真家という存在が信用されなくなった時代…私はそう捉えている。
日本の街角と、遠い国で争われる戦場の街角、実は大きな違いなどない。
人の暮らしに差などないのだ。
だから、日本の街角スナップだって『一期の覚悟』があるべきで、撮影は楽しみながらも、写真は後世に伝える義務がある。
その義務のラインを引く事で、撮影した作品の結果も変わる。
もし、被写体が『家族』ならば、やはり家族には『幸福』としう将来の希望が描かれている。
それが写真ではないか。
先日の『夕顔納涼図』を、私は範に求めたい。
この写メ、たぶんいつか私は消去するか、データ媒体が壊れて終わるだろう。
こんな家族や子供達も、いつしか時代に消えてしまう。
惜しい限りだ。




