家族と写真 | HOODのブログ

家族と写真

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夏祭りの風景。父親の腕や肩、母の存在など。

基本、写真は記録である。そして当時代なり、人々の風俗や生活を残すのが本来の仕事。単なる街角スナップも数十年後に記録価値が出てくる。

その街角スナップが一番難しい状況にある。

理由は様々あるが、何よりもスナップ撮影が写真として迎合的になってしまった事に一因を感ずる。

『迎合的』…それは言葉を言い換えれば、写真に刺激を求めるあまり過剰な被写体を追う傾向が強くなった。

プロアマを問わず、作品が目的化してしまったのだ。

ジャンル違いだが、女子プロスポーツの写真なども、私の感覚では理解不可能。
そもそも被写体である選手の許可を得て誌面に掲載しているのかが、疑問。

たぶん、かなりいい加減な理由で済まされているに違いない。

写真家という存在が信用されなくなった時代…私はそう捉えている。


日本の街角と、遠い国で争われる戦場の街角、実は大きな違いなどない。

人の暮らしに差などないのだ。

だから、日本の街角スナップだって『一期の覚悟』があるべきで、撮影は楽しみながらも、写真は後世に伝える義務がある。

その義務のラインを引く事で、撮影した作品の結果も変わる。
もし、被写体が『家族』ならば、やはり家族には『幸福』としう将来の希望が描かれている。
それが写真ではないか。
先日の『夕顔納涼図』を、私は範に求めたい。

この写メ、たぶんいつか私は消去するか、データ媒体が壊れて終わるだろう。
こんな家族や子供達も、いつしか時代に消えてしまう。

惜しい限りだ。