HOODのブログ -178ページ目

能舞台を眺めながら妄想に没頭する


能楽堂、能舞台も一種の劇場である。
しかも、ほぼ能楽専用の空間と考えられている。近年は芝居やライブ、様々に使われるようになったのだが、なかなかに効果的な演劇空間である、と私は思っている。

ある日、昼下がり。私は能舞台端から、幕間、橋掛かり方向を眺めていた。この位置は能で言うところのワキ方(旅僧であったり、帝の使者など)の役柄が主人公と対峙する場所だ。

幕が上がり、向こうから誰か来るのか。それは神様であったり、武将の亡霊、あるいは花の精。ワキ方と観客は、次の場面への期待と想像を巡らしながら待つわけだ。


そう言うわけで、私は能舞台を眺めながら某巨大アイドルグループ公演を、妄想に妄想を重層化して思い描いていた。
(仕事をさぼっていたわけぢゃないよ…)


あの橋掛かりから…メンバー達が出てくる。能舞台で正先こそ、まさにセンター0位置。そこに誰かを立たせて見る。

正先には誰が似合うだろう…能舞台に颯爽と歌い踊るメンバーとは、結局は臨機応変な大島優子あたりで、『みぃちゃん』では荷が重いのだろうか。


しかし…ブーツでは能舞台に上がれないのだった。まずは衣装を根本から作らないと無理だ。とりあえず、全員に羽衣(天女舞)の扮装をさせよう。なお、センターのみ天冠は日輪、他は鳳凰で良いかな。


一曲目は『フライングゲット』


…ヽ(ΦωΦ)Ψ

想像は自由だからね。

ともちん≠ざわちん


おそらく、この看板のマスクをしたモデルは『ざわちん』だろう。


だが、待てよ…そう思わせておいて、実は『本物の板野友美』がマスクをして『ざわちん』の真似をしただけの場合もある。

すでに、そこまで深読みする私は、相当にAKBメンバーにハマった状態である事も事実だ。何なんだ、このモヤモヤした状態は!



そう深読みを始めたら、まさに『夜も寝られなくなる』だろう。

っか、この看板を企画した奴等(おまいら)は思い込みが強すぎる。

世間一般は『板野友美≠ざわちん』なんて、皆目知らんのだよ。

ぁあ、アホらしい。

田植え前



田植えが始まった風景。

米作りに必要なもの、それは質の良い水、寒暖差のある気候、盆地、そして何よりも勤勉な労働力。
その労働力を正当に評価する代金。

一つ、一つが失われつつあるようにも思われる。もちろん、そう考えない人もあろう。

『棚田』を人は美しいという。日本の風景美として取り上げた写真も多い。

されど、田んぼである。ありきたりの田畑にある水田、景勝地の水田ともに人が育てている。

やはり、結局は人なのだ。法律とか金銭では補えない労苦があって田は育つ。

そこを差別化して眺める、あるいは均一な価値観でとらえるのかで、米のあり方が変わるのだ。


田植えを準備する老人と、しばし立ち話をする。

水を待ち望んでいた蛙が、どこかで鳴いた。