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 ジンジャーブレッドマン家族紹介ジンジャーブレッドマン

アラフォー夫婦 

姉 高学年 繊細気質でダンスが得意。

弟 低学年 ASD+ADHD、境界知能。支援級在籍、ゲーム依存気味。 

 

都会でも田舎でもない(地元でもない)地方でのんびり気ままに暮らしています。

 

こんにちは!


ASD息子の発達障害がわかるまで、

続きです。



前回まではこちら飛び出すハート

その1 誕生から2歳ごろまで。


その2 療育スタート(2歳)から年少の冬まで。


ガーベラ前回の内容ガーベラ

通っていた幼稚園の先生に、

「年中クラスで加配をつけるなら

 診断書を出してください。」

と言われました。


調べても何のことやらサッパリでしたが、

特性のある息子をこの園で

手厚く見守ってもらう為には

加配というものが必要だ!

と感じ、

急いで診断書を用意することに驚き



さっそく発達障害を診てもらえる

病院を探しました。

が、どこも初診患者の予約を制限していたり

何ヶ月も予約がいっぱいだったりえーん


診断書を書いてもらうためだけでなく、

きっとこれから長くお世話になるかもしれない。


あまりに遠方だと通うのが大変。


予約がなかなか取れないと、

相談したいときに頼れないかも?


不安が色々ありました。


紆余曲折あり、

比較的予約が取りやすく場所も近い

大きな病院で診てもらうことにしました。




いよいよ初めての受診病院


息子を連れてドキドキしながら待ち、

名前を呼ばれて息子とともに診察室へ。


少し先生と話してから

息子はすぐ別室で発達検査不安


その間、

小さい頃や、幼稚園、療育での様子。

心配ごとなどひと通り話しました。

というよりメモを持参して見てもらいました。


発達検査の結果はすぐに分かり、

DQを紙に書いてもらいました。

(結果は何故か直接見せたらダメなのだと言われました。)


先生の説明や相談の上、

診断書には

自閉症スペクトラム

ADHD

と書いてもらうことになりました。


先生は発達検査からというより、

生まれてからの経緯で判断されていた印象です。


無事診断書をゲット!

さぁ帰ろう、と立った時。


先生に

最初ドアから入ってきた時に

 もう分かってたけどね〜

と言われました。



そんな分かりやすいの!?



確かに呼ばれたすぐ、

息子はバーっと走って診察室に入ったので

ADHDっぽさ全開笑い泣き

だったのかもしれません。


毎日一緒にいる親では、

子どもの様子に見慣れすぎてて

気づけないんだなー

と思いました。


それにしても

少しショックな言葉ではありました魂が抜ける



その後はゲットした診断書を園に提出!

無事、翌年度(年中)は

副担任の先生がいるクラスに

入れてもらえることになりましたニコニコ




実はこの時期

目まぐるしく変わる息子をとりまく環境に

心がついていけずたくさん泣きました。


今後の親としての責任やプレッシャーを感じたからというのが大きな理由です。


子ども時代だけでなく大人になっても、

一生続く特性とのお付き合い。


自立して1人でも生きられるように。

負のイメージを持たずに、

自分の特性と向き合えるように。

だれかに差別を受けないように。


どうやって育てていこう?


確定診断がゴールでは無いんですよね。

診断名がついた時は漠然とひと段落ついたような気分でしたが。


その後、新しい悩みは息子の成長とともに

次々と現れていくのでしたネガティブ


とにかくここから

模索の日々、再スタートオエー




以上

長くなりましたが、これが我が家の

発達障害の診断が出るまでの経緯ですにっこり


ご覧いただきありがとうございました!



年少さんのころハマっていたもの飛び出すハート





ではまたバイバイ笑い