こんにちは!
46歳1人目妊活中のNanaです😊
学生時代のある夏、父から
「肺がんステージ4
余命は年単位ではなく
月単位と診断された」
と告げられました🏥
当時の日記には
父がいなくなってしまうかも
しれない恐怖
その実感が湧かない不安定な気持ちが
綴られています。
その約1年後
偶然実家にいた時に
入院中の父から電話が入り
「アイスが食べたい」と頼まれました。
しかし
学業とアルバイトで忙しいと
理由をつけて断りました。
父がいなくなるかもしれないことを
直視できなかったし
現実を受け入れたくなかったのだと
思います。
それが父との最後の会話です。
その翌月
家の農作業を手伝ってくれていた方々が
我が家の稲刈りを終えたのを待ち
その翌朝に息を引き取りました。
30代半ばで自ら志願したわけでもなく
未経験の農業の世界に入るなんて
自分だったらそんな人生を送れないと
尊敬の念が湧いてきます。
余命月単位と言われてから
1年2ヶ月も生きてくれたし
私が言うと偉そうだけど
本当によく頑張って生きた人生
だったんだなと思います☺️
母方の祖母は
1人暮らしをしていましたが
認知機能が低下してからは
施設で暮らしていました。
度々母と施設を訪れては
祖母との時間を過ごしていましたが
後半は認知症が進んで
会話のキャッチボールができず
私が行っても私と
認識してもらえなくなりました。
それが悲しくて寂しくて
施設に行く頻度が少なくなりました。
ある時、祖母が病院に緊急搬送された
という知らせが入ります。
搬送時は会話できていたと聞きましたが
翌週私がお見舞いに行った時には
人工呼吸器が取り付けられ
意識もなく
もう話せない状態になっていました。
それ以降毎日仕事帰りに病院に通い
人工呼吸器で呼吸だけをしている
祖母の手を握りながら
回復を願いましたが
その甲斐もむなしく息を引き取りました。
亡くなった後
祖母が入院する前に受けた
健康診断の結果を受け取り
異常値が示されていました。
この異常値がもっと早く分かっていたら
もっと早く治療ができて
もっと長生きできたかもしれないのに…
と悔しく思うものの後の祭り。
アイスを買って会いに行く
そんな簡単な父の願いも
叶えられなかった自分や
自分を認識してくれない祖母に
会いたくないと思ってしまった自分の
心の小ささに腹が立ちます。
たくさんの愛を与えてくれたのに
その恩を仇で返すような
終わり方になってしまい
後悔の気持ちも残ります😥
でも未熟な私はその方法しか
知らなかったのです。
この他にも自殺した祖父
悪性リンパ腫で亡くなった父方の祖母
交通事故で亡くなった叔父…
未熟な私は大切な人を
たくさん失ってようやく
人が亡くなった後に
ああしておけばよかったと後悔しても
何もできない
と痛感しました。
今、私に残された目上の肉親は
母だけです。
母は幸い今のところ
命に関わる病気はないですが
母との時間は有限であると
身をもって知っています。
時間があれば実家に行く
一緒にご飯を食べる
一緒に出かける
お願いされたことは何でも聞く…
たくさんの大切な人が
いなくなった経験を経て
私は今、母との時間を
大切に生きることができています。
昨日12/17が命日の父方の祖母は
私と違って自分の感情を
ストレートに出し
特に私を思って涙してくれた場面を
多く思い出します。
裏表なく天真爛漫で
祖母との思い出を振り返ると
「こんな生き方もいいよ」と
教えてくれているような気がします。
自殺した祖父も
家業に勤しむ両親に代わり
面倒を見てくれたことは事実で
その過去が変わることはありません。
年末ということもあり、
祖父に教えてもらいながら
一緒に年越しそばを打った
思い出も蘇ります。
母方の祖父は
両親の入籍翌日に亡くなったので
私は会ったこともなく
写真でしか見たことがありません。
長い生涯
短い生涯
終わり方もさまざま。
それぞれの顔を思い浮かべると、
それぞれの人生を
精一杯に生きた多くの命が
脈々と受け継がれて
私が今ここに生きていることを実感し
感謝の気持ちが溢れてきます。
