新潟からスタートした5日間にわたる「大人の休日倶楽部パス」の旅もいよいよ最終回です。
この旅は途中一度帰宅して、自宅での1泊を挟むというものでしたので「5日間」の旅という言い方は正しくないのかもしれません。しかしこの「パス」のおかげで、一日に目的地は一つだけという、あくせくしない旅を楽しむことができました。
旅の最後は、桜の季節以外では初めて訪ねる「弘前公園」です。
真夏の光をいっぱいに浴びる桜の木々。
史跡「弘前城」。「追手門」から公園内へ。
「市民広場」ではこの日はちょうど、世界景大級のダンス&バフォーマンス複合フェスティバルの「SHIROFES.2024」が5年ぶりに開催されていて、このあたりでは大音量が響きわたっていました。
「杉の大橋」です。とにかく日陰をみつけては「給水」の繰り返しでした。
「辰巳櫓」です。
そして桜の季節の一大撮影スポット「下乗橋」です。
橋の上から見えたのは、100年ぶりの大修理となる「本丸石垣修理事業」の真っ最中でした。
「天守」も工事がなければ、はっきり見えていたのでしょう。
大好きな「京都」でもこのような景色といくつも出会いましたが、「100年に一度の景色が見られた!」って、負け惜しみでなく思えるようになれる自分が嬉しいです。
この努力が、往時の「弘前城」の威容を後世に伝え続けます。土曜日だったこの日は作業はお休みのようでした。どうか「熱中症」に気をつけてご安全に作業の進みますよう。
さて、この日大活躍の「チャリオくん」。一気に公園を西へと回り込み着いたのは「桜のトンネル」です。桜の季節は「竹下通り」状態。木漏れ日の中を早歩きくらいのスピードで自転車を走らせました。
ふと外に目をやると「岩木山」が私を見ていてくれました。高台以外から見たのも初めてのことでした。いよいよこれが見納め。「また会いに来るね」。
お散歩気分で。
トンネルの終点。振り返って。満開の桜も素晴らしい。「満開の葉っぱ」だって素晴らしいです。
何だか信州か、遠野の景色のよう。
カメラマンさんたちがいらっしゃいました。狙っていたのはこちら。この日の私は「標準レンズ」しか持ち合わせていません。
「桜のトンネル」に沿った一段上の遊歩道を行きます。ここは舗装されていないので「チャリオ君」を押しつつ歩きました。
左手下には「桜のトンネル」。
右には「弘前城本丸」の先ほどの工事のちょうど反対側の石垣です。
それまでの私は、「岩木山」はこの本丸の高台からしか見たことがありませんでした。
今回の旅では、いろいろなところからの「岩木山」に出会うことができた嬉しい旅でした。
「弘前公園」を出る前にあった嬉しかったこと。
自転車を漕ぐお母様の後ろに、中学生くらいの娘さんなのでしょう。風も少し出て気持ちのよいサイクリング。
私が後ろを走ってることを知ってか知らずかその娘さんが歌いだします。
「あ~ 私の恋は~ 南の風に乗って走るわ~」
松田聖子の「青い珊瑚礁」と言えば、私が高校生の頃の歌。
「へぇー、歌うんだ」。
とっても上手。こんなに若い人も知っていることに関心しつつ、きっとお母さんが歌っていたんだろうな、
いい親子だな、恋をしているのかな?なんて思いつつ、彼女の「フルコーラス」をしっかり聞いて、私は別の曲がり角へ。
素敵な歌声、本当にありがとう。
この公園の気持ちよさ、伝わるでしょうか。これからこの曲を聴くたび、私はこのときの光景、そして「弘前」を思い出すでしょう。
外のお堀にも続く桜また桜。この景色を後世の人たちに楽しんでもらうために植えてくださった先人には感謝しかありません。
日陰を求めつつ、弘前駅へと自転車を走らせながら、この方向であってるかなと地図や太陽の位置など見ながら方角を確認しながら進みます。携帯の位置情報に頼ろうにもこの太陽のもと、画面は見ることもできず。
そんなとき、私にとっての「ランドマーク」が見えてきました。
「イトーヨーカ堂」さんです。この建物まで来れば駅はもうすぐ。弘前に泊まったときは、いつもお世話になっていました。
この秋、「47年の歴史に幕」を閉じるそうで。「弘前」の想い出の灯が一つ消えていくのは残念ですが、経営が変わってもここが無くなるわけではないようです。雇用もどうか守られますよう。
「弘前駅」のビルが見えてきました。
今の時期は「ねぷた」の制作も佳境に入っている頃でしょう。
駅ビルでは、友人へのいいお土産に最後に出会えました。
改札を入って振り返って。到着のときに撮影できなかったので帰りの撮影となりました。
「お国ことば」って本当に温かいですね。
「つがにゃん」バイバイ!
予定していた一つ前の普通電車で「青森駅」へと戻ります。帰りは「爆睡」。
気が付けば日焼け止めはしたものの顔面真っ黒、腕時計の跡はくっきりでひりひりしてきました。
東京は梅雨時のこの頃、まさか青森で「シーブリーズ」を購入することになるとは思いませんでした。
早めの晩餐をと思い、有名な「おさない」さんに向かうも土曜のこの日、やはり大行列でした。そこで以前も行った、三角形のフォルムが美しい「青森県観光物産館」の「アスパム」へ。
こちらの10階にある、みちのく料理の「西むら」さんへ。
青森湾が一望できます。
あちらの突堤では、かつて妻と花火大会を見たことが思い出されました。
この旅の最後の食事は「津軽定食」。名物の「ホタテの貝焼き味噌」に「じゃっぱ汁」もセットです。たっぷり汗をかいた後ゆえ、塩分もほどよく体に沁みていくのがわかりました。
「アスパム」を出ると、太陽も傾き始めていました。
とても穏やかな湾内。
この旅では、SNSを通じて心の荒ぶることがありました。
失ったものも得たものもたくさんの旅でした。
これからの人生も、みんなの人生もこの波のように穏やかであらんことを。
初めての「大人の休日倶楽部パス」の旅のラストカットです。
新潟プロ野球観戦、バスセンター、萬代橋。一度帰って、八戸の蕪島でウミネコと戯れ、恐山では不思議体験とちょっぴりの出会い、そしてこの日の弘前の教会でのお話や、寺での自分との対話、弘前公園、岩木山・・・。
急に思い立っての旅でしたので、事前の予習がまったくできずに出かけたにも関わらず、一生忘れることのない旅となりました。「ひとり旅」でしかできない経験もたくさんできました。
いつもそれを許してくれる妻に感謝です。ありがとう。
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そしてもう一つご報告が。
この旅行ブログの中で再三、「生き残ったことへの罪悪感」という言葉を使って、読まれた方に辛かったり不快にさせたことがあったかもしれません。
あえて書くことで、自分の気持ちも整理できたと同時にその言葉で「検索」をしてみたら「サバイバーズ・ギルト」という言葉を初めて知りました。
こうした概念があることは聞いていたのですが、このような言葉があり、様々なサポートがありました。ようやく自分の気持ちの「置き所」が見つけたようで。これまでは「グリーフ・ケア」という言葉の中で模索していた自分。
まだこの言葉とは出会ったばかりですが、自分の気質である「HSP」という言葉と出会ったときと同じような「安心」を得た気持ちになっています。
吉田拓郎は歌いあげました。
「わたしは今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています。
明日からも
こうして生きていくだろうと」
この歌詞には続きがありますが、この辺で。
青春時代、拓郎の歌詞にメロディーにどれだけ助けられたことか。
そしていま還暦を過ぎて再び、拓郎の歌詞がメロディーが心地よく響きます。
青春時代から今を彩ってくれた「TULIP」も、今日の福岡最終公演をもって、その長いバンド活動に終止符が打たれます。淋しさ、悲しさをいつも拭っていただきました。本当にありがとうございます。
いつまでも「青い」なと思いつつ、こんなことに気づきました。
そういえば行ったのは「青森」。弘前の「長勝寺」では「蒼龍窟」で自分を見つめ直して。
「恐山」で出会ったこの世のものとは思えない「エメラルドブルー」。これも青。岩木山の山体。海の青。
「青い珊瑚礁」のフルコーラス。そして旅行中いつも「青空」。「桜のトンネル」を抜けた向こうもそうでした。
「青づくし」の旅行記はこれで以上です。
長文にいつもお付き合いいただき本当にありがとうございました