「大人の休日俱楽部パス 5日間 5日目 その3」は、「私の百寺巡礼」と題して、私がライフワークとして行っている参拝の「第二十八番目」のお寺として、「長勝寺」を訪問したときの模様をまとめます。
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「百寺巡礼」。
作家の五木寛之さんがかつて二年間をかけて、全国の百の古刹・名刹を訪ねるということを成し遂げられました。
それらは書籍化だけでなく、放映もされて、当時私の心を揺さぶりました。
その足跡を追う旅が始まったのが2018年11月。
題して「私の百寺巡礼」。
この旅の終わりにいったいどんな風景が見えてくるのでしょうか。それを探しに今日も歩きます。
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長い参道の禅宗寺院を遥拝しつつ、やっとたどり着きました。
藩主津軽家の菩提寺「太平山長勝寺」です。
「長勝寺」は無料参拝エリアと、事前予約の必要な「霊屋」などが並ぶゾーンに分かれます。
私は予約せずに訪れたので、無料参拝エリアへ。
重要文化財の「三門」。
「扁額」の文字のカスレに長い年月を感じます。
「三門」より。正面は「本堂」です。
「鐘楼」です。「梵鐘」も重要文化財。嘉元4(1306)年の銘があることから、「嘉元鐘」と呼ばれているそうです。
「庫裏」です。お寺の台所です。もとは津軽藩の祖、大浦氏が文亀2(1502)年に、岩木山麓に築いた「大浦城」の台所を移築したものだそうで、津軽最古の建造物です。
本堂へは、この庫裏の入口から入り、左手に進むと本堂の右端と中の廊下でつながっていて、そちらを進んでお参りするというものでした。
私は何か「違和感」を感じていましたが、この時はそのまま進んで、ご本尊の「釈迦三尊」へとお参りを済ませました。
中へと入ると目に飛び込んでくる「魚板」。これ以上叩くともう壊れそうなくらいでした。
本堂全景です。「違和感」の理由が分かりました。「向拝玄関」がありません。ご本堂の正面に玄関がないところは・・・?京都の「三十三間堂」。あちらも見学の関係でサイドから入るだけで、閉まっていますが扉はあったはず、などと思索を巡らせていても仕方ないので、東京に残してきた妻にそのことを伝えたら、調べてくれて答えが出ました。
2000年代前半に放映された「百寺巡礼」でも、出版された「ガイド版」にも、ご本堂には正面の「向拝玄関」はありました。
それが2006年(平成18)年から2008(平成20)年にかけて、基礎据え直しや柱の根継、耐震補強といった大規模な半解体修理を行ったそうです。
修理は宗教行事や維持管理上で支障のない範囲で復原も行い、何度か修理を繰り返した「正面向拝玄関」は「撤去」。正面南端に一間半の出入口を復し、本堂正面の板敷廊下東半分に長縁前方の土間も復原。とち葺き形銅板葺きだった屋根は建立当初の姿であった「こけら葺」に戻し、この日訪ねた形になったそうです。
「私の百寺巡礼」はまだ訪ね始めて約6年。まだ数は少ないとは言え、その多くは古刹のため今回のような大きな変更に出会ったのは初めてのことでした。こうして古刹は長い年月の中で、また形も変えつつその歴史を紡いでいくのだということを学びました。
「庫裏」と向かい合わせのところに建つ「蒼龍窟」です。
1765(明和2)年に護摩堂として建てられたものです。
三尊仏およびその厨子堂はの仏像は、百沢寺大堂(岩木山神社拝殿、重要文化財)の本尊として2代藩主・津軽信枚が慶長15年(1610年)に寄進し、厨子堂は本尊安置の御宮殿として寛永15年(1638年)に3代藩主・津軽信義が建立したそうです。
明治初年の「神仏分離令」によりここに移された際、厨子の屋根が切断されたそうです。
津軽の神仏分離の歴史を知ることができる格好の資料でもあります。
百沢寺由来の「五百羅漢像」も、両側に安置されていて、まるで階段の上から次々と降りてくるような錯覚にも陥りました。
訪れる方もまばらだったこの日、私はこのお堂の中で「業」について考えていました。
「言われた言葉に返した言葉」。前日起きた大人の諍いは「両成敗」とはいきませんでした。
参拝前に各寺院を撮影していた時、傍らに邪魔にならぬように止めていたレンタサイクルを通りがかりの方に、「もうちょっとはじに止めなさい。邪魔。」と言われたことも心に残っていました。去っていったその方に向かい、私は聞こえたか聞こえなかったくらいの声で「うるせぇ」。と。
「お寺を参拝に来て、何言ってんだ俺?」と「寺だろうと、急に理不尽なこと言われれば怒るのが当たり前」との気持ちが湧きます。
この「長勝寺」を訪ねる前にも「卯年一代様」の「最勝院」を訪ねて、「みんなに」いい顔をしようとしていた自分。前日には、「みんなによく思われようとするから苦しむ」と心に沁みるアドバイスが。まさにその通り。私はスマホの画面をこの場でもう一度見直しました。
沢山の「羅漢」さまたちは実に様々な表情をしていらっしゃいます。仏弟子の最高位の方であっても表情は違う。自分を「よく」見せようとしたことが、今回の事の始まり。このお堂の中で整理できたことでした。
そしてもう一つ、私のここで書いたメモに残されていた言葉です。
「自分の都合で世の中見れば みんな不満なことばかり」
ではどうすればよいのかは、「禅問答」に委ねるほかなさそうです。
ここまでが無料参拝ゾーンでした。
境内の奥、予約しないと入れないゾーンに重要文化財の「津軽家霊屋」が並んでいます。
来訪者への配慮でしょうか、低い塀越しに見ることができます。
藩の祖先たちを祀る重要な建物が並びます。
一軒家の大きさくらいあるな、などと野暮なことを考えてしまいました。
歴代藩主が手厚く祀られている姿がよくわかりました。「合掌」。
違う角度から。左が本堂、右が庫裏です。
訪ねた季節の記録も留めておきたいと思います。
紫陽花もこの頃、まだ咲き初めでした。
禅寺らしい質素で落ち着いたお寺。
参拝の最後に季節の花々で心を洗って。
「百寺巡礼」。
なぞるように始めた6年前。生き残ったことの「罪悪感」は、「人への奉仕」によって拭おう。この6年間は「人のお役に 人のお役に」と歯を食いしばっていた自分がいました。生き残った「意味」を問い続けた中での答えでした。
「我慢ばかりではダメ」「自分のためのご褒美を」。
このことも何度目かの再確認です。繰り返し繰り返し引き戻される自分の「気質」。この日この場所にいたからまた気づけました。不思議なご縁を感じつつ、お寺を後にいたしました。
「大人の休日倶楽部パスの旅」最終日はもう少し続きます