秋燃ゆる京都6連泊旅行記の続きです。
旅の6日目は日曜日。ここまでの五日間でかなりの紅葉を味わい、かつ紅葉も見ごろを過ぎてきたところも多くなっていたので、この日もノープランのまま、まずはこの旅三度目の「東本願寺」への参拝へと向かいました。
するとこの日も会えました、「門番?」の「アオサギくん」。
橋の中には立ち入れませんので、手を目いっぱい伸ばして寄れるところまで。しっかりと見張りのお仕事(?)を果たしていました。
思えば早朝の「晨朝法要」を除いて、休日の午前中に参拝したのは初めてだったのかもしれません。
各地のお寺からでしょう、多くの檀家さんを連れてでしょうか、団体での参拝が多数でした。
わたしもしばらく「参拝接待所」へ足を運んでいなかったので、
ギャラリーなどで親鸞聖人のご生涯のパネル展示や映像作品などを鑑賞。
接待所へと続く長い廊下です。
この日は多くの方が、帰敬式を受けられるため、終わられるまでしばらく「御影堂」を出て待つことに。
するとこの頃、京都の友人から電話があり、大きな決断をしたことを聞きました。友人もご両親が真宗ご門徒だったとのことで、このタイミングで電話がかかってきたことの不思議さを感じざるを得ませんでした。
予定があるとのことで会うことができませんでしたが、どうか無理をせず、元気でいることを願うばかりです。
HSP気質は、人との境界線の弱さが指摘されますが、この日もそう。自分ごとになっちゃうんですよね。でもこれも持って生まれた気質。これがあったからこれまでアドバイザーとしての仕事ができたわけです。
この後、法要に参加させていただき「東本願寺」を後にしました。
桜の季節の頃には、「親鸞聖人御誕生850年」と「立教開宗800年」を祝う「慶讃法要」が執り行われます。
一生に一度しか経験できない機会ですので、この時期にまた今度は妻と一緒に訪れる予定で今から計画中です。
その前にまず何より元気でいなくてはなりません。
午前中は天気がはっきりしなかったので、一度ホテルに戻ってから午後は少しゆっくりしてから再びJRの山陰本線に乗って「嵯峨嵐山」駅へと向かいました。
京都からの山陰本線は、途中長い間を「高架」部分を走るので、京都の町を車窓から楽しむことができるので楽しみな列車区間です。乗車されている方がいらっしゃったので写真は撮りませんでしたが。
しばらく歩いて到着したのは、「嵯峨釈迦堂」の名でも親しまれる「清凉寺」です。この旅の3日目となる3日前にも、すぐ斜め前にある「宝筐院」を訪ねていたのですが、夕食の関係で急いでいたため、きちんとお参りできずにいたこともあり、改めて参拝いたしました。
広い境内の一角、塔の付近の紅葉が見事でした。
お釈迦さまの生前の姿を表した国宝の釈迦如来像を安置する「清凉寺」。また新しいご縁を結べたことに感謝して。
「二尊院」の門前へ。
やはり三日前に訪れた、門のすぐ中にあるお店へ。
この訪れた日が今シーズン最後の営業となる「四季庵」さんへ。
三日前はこちらの席で、「紅葉の馬場」を見ながら「小倉大納言ぜんざい」をいただきましたが・・・。
この日は体も冷え切っていたので、初めて店内へ。
小倉餡発祥の由来です。
今シーズン最後のお客となりました。
この後、ぜんざいをいただきつつ、三日前に「宝筐院」を勧めていただいたお礼や、いろいろな話な華が咲き、あっという間に閉店の時間となってしまいました。
次の営業は桜の咲く頃。今度は妻も連れて、またお会いできるように約束をしてお店を出ました。
一週間のひとり旅、久しぶりの会話についつい饒舌となり、おしゃべりにもお付き合いいただきありがとうございました。
この旅で最後となるライトアップの開始までたっぷり時間があったので、嵯峨野路を北へ北へと歩を進めました。
ここ嵐山ではこの三日前にも経験しましたが、西山の麓であるこの周辺ではこのような雲がきっと部分的に発生しやすいんでしょうね。あの大きな雲の下はきっと降っていると思います。「ひこうき雲」のおまけ付きです。
「さがの人形の家」のお庭の紅葉です。
この先を右に折れて歩いたことはあるのですが、それより先は初めて歩きます。
電柱もなく、蔵と思われる建物だったり・・・。
古い街道を旅しているような気分で歩を進めます。
たどり着いたのは「化野(あだしの)念仏寺」。
しかし拝観時間は終了していました。ホームページを見て、16時半が受付終了とあったので、ぎりぎり間に合うかと思ったのですが、もう一度よく見たら小さく、12・1・2月は15時半が受付終了でした。
また時間をゆっくり作って訪れなさい、ということですね。
またのお楽しみということで。
さらに北へと続く道もとても雰囲気がよさそう。その先には「愛宕念仏寺」があるので、いつか嵯峨野路も歩きつくしてみたいです。
門前のこの景色も独り占めでした。
こんな時間に訪れる人はいませんね。去りがたい、いい雰囲気の門前でした。
戻りの道はなだらかな下りになるので楽ちん。でも時間があるのでゆっくり散策します。
行きには気がつきませんでした。いろいろなところで見守られていたのですね。
このような景色も残っていて。2年前、秩父路を盛んに訪ねていたのも、こうした風景と会いたかったからです。日々の暮らしの中で溜まっていく何かが、一度にリセットされるような・・・。
一昨年、お亡くなりになった「瀬戸内寂聴さん」の「寂庵」へ。
扉はもう閉ざされています。住宅街の中ですのでご迷惑にならないようにしなければなりません。
「寂聴さん」とは会えなくなっても、お庭の木々はちゃんと季節を知らせてくれています。
「東日本大震災」の後、先生のご法話でどれだけ励ましていただいたかわかりません。テレビで拝見していただけですが、共感してくださる方がいらっしゃることにどれだけ勇気づけられたかわかりません。
寂聴さん、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りくださいますように。
本当に歩いているだけで浄化されるような、そんな嵯峨野路。
子どもの頃、「アンノン族」のお姉さまたちが、都会の喧騒から離れ、この街に「DISCOVER JAPAN」のキャッチフレーズのもと、たくさん訪れていた理由が今さらながらわかった気がします。
この嵯峨野は、ブームによって観光地化することなく、そのままの姿を残している、それこそが大きな財産。よそ者がお邪魔させていただいた上に勝手なことを言いますが、この日見た風景、嵯峨野の風景はそのまま残ってほしい。
いつの間にか怪しかった空模様も回復し、また「ひこうき雲」ひとつ。
ゆっくり歩いて門前で寒さをこらえながらライトアップの開始を待ったのは、「大覚寺」の庭池、日本最古の池でもある「大沢池」です。
大きな池の向こう側にほんのりとライトアップしている様子は、ブレずに撮影するのにとても苦労しました。
鎌倉時代には「嵯峨御所」だった大覚寺。かつては、月の光だけが水面をたゆたう姿が想像できる暗さです。
この旅では、6夜連続の夜間拝観を叶えることができました。
池のほとりの「紅葉のトンネル」へ。
皇室ゆかりの風雅かつ静かな小径でした。
池を一周できるのかな、と思い進んでいたのですが、夜間は半周ほどしたここまで。戻ります。
紅葉の絨毯を踏みしめながら。
大沢池のライトアップもこの日が最終日。とてもしっとりとしたというか、優美な最小限の光に導かれて、しばし雅な身分を味わえました。
旅の6日目の歩数は、「22,249歩」でした。
「大覚寺」からバスの始発の停留所があったので、この旅で初めてバスを利用しました。四条まで50分ほど乗車するほど離れていたのに、均一料金の区間内だったのでお得に帰れました。
昨冬の旅ではバスをかなり利用できていたのですが、今年は観光客もだいぶん戻ってきていたので、バスはここまで利用できていませんでした。
旅も大詰め、明日が最終日。
「秋燃ゆる京都6連泊旅行」、旅は続きます