カウラナ・カ・ハレ・クラ・オ・ハワイ・フラ・アカデミー ブログ -36ページ目

YUKO.O ハワイ学生時代

知り合いもいなく、 旅行でさえ行った事のなかったハワイに住み始めたのは2006年8月。ハワイ大学(UH)に通うためでした。

今となっては、第二の故郷であり、愛する場所だから言えますが、最初1年間もハワイに全く馴染めませんでした…。とにかく、一学期でも早く卒業してすぐに帰国する事を考えていました 。

今考えると、長いホームシックだったのかなぁ…と思います。 一年間も。
最初の1年間は車がなかったので、交通の便が良いワイキキに住んでいました。 毎日旅行中のお友達グループや家族連れ、ハネムーン中の幸せいっぱいのカップルの人ごみを通り抜ける度に、家族と一人離れて過ごす自分との違いを感じ、寂しかったのかもしれません…。 

UHを最短で卒業したくて、 毎学期出来る限り沢山のクラスを取りました。UHはキャンパスが広いので、端から端までの校舎まで歩くと20分くらいかかります。授業の間の休み時間は15分。一番遠い校舎で次の授業の時は、校内を走り抜けました。…初めの数回だけは。慣れると、ハワイアンタイムで、ゆっくり歩いている自分がいましたが…。

ビザの関係でキャンパス内でしかバイトが出来なかったため、早朝、授業の間、深夜と図書館でバイトをしました。アメリカの大学は、ちょっと点数が悪いとすぐ単位を落とす事になるので、学生は本当に一生懸命勉強をします。なのでいつも図書館は早朝から深夜まで自習する学生でいっぱいで、24時間開いている図書館もありました。
まだ暗いうちに家を出て、深夜12時過ぎに家に帰る生活…  図書館の常連さんに「Yukoは図書館に住んでいるの?」と冗談も言われました…。今思い返すと自分でもびっくりしますが、きっと、大好きな事、情熱を注ぐ事に集中している時、人は何でもできちゃうんですね…。
あれだけ頑張れたのだから!…そう思うと、あの時の自分が支えてくれて、これからも何でも頑張れる気がします。最初は誰も知らなかったけれど、バイトのおかげで沢山お友達も出来て、UHでの生活は忙しくも、とても充実していました。

それまでダンス関係に縁がなかった私がフラに出逢ったのも、ハワイ大学でのフラのクラスでした。週に2回、クムフラが大学へ来て教えてくれたのですが、大好きなハワイアンミュージックに合わせて体を動かすという初めての事を経験して、本当に楽しかったです。
目から鱗状態だったのを覚えています。アンティや、上手なクラスメートの優雅な踊りを見ては、憧れました。

アンティ(ハワイで親しみを込めた年配の女性の呼び方)と呼ばれるクムのレッスンは厳しかったのですが、深い愛情に溢れる人柄から、みんなに尊敬され、慕われていました。アンティのレッスンの出席率はとても高く、どんなに忙しくても、 学期末の課題に追われていても、テスト期間中の徹夜続きで目が充血していても …、みんな、休まずにレッスンを受けていました。
アンティがメリーモナークの審査員としてビックアイランドへ行ってしまう間はレッスンがお休みなので、ポットラック(食べ物持ち寄りパーティー)形式でクラスメートのお家に集まって、ご飯を食べながらみんなでメリーモナークのライブを見た事も、良い思い出です。

UHを卒業したのは2008年5月でした。ハワイの学校の卒業式は、お祝いに、みんな花束の代わりにレイをプレゼントします。生花やリボンのレイだけでなく、キャンディーで作ったレイ、1ドル札で作ったレイや、たまに浮き輪などもあり(かけられれば何でもいいみたいです…)、グリーンのシンプルなガウンにカラフルなレイがとても良く目立ちます。沢山のレイで、口まで埋まる学生も大勢いました。

前回オアフ島へ行った時に、ハワイ大学の前を通りました。
大学の正門や、いつも使っていたバス停、学部の校舎を見た瞬間、沢山の楽しい思い出や嬉しかった事、大変だった事や悔しくて泣いた事も、一気にいろいろと思い出して胸が熱くなりました。

沢山の出会いがあり、私の価値観を変えてくれたハワイでの生活の半分を過ごした思い出深い場所。今日もキャンパスは沢山の学生でにぎわっているんだろうなぁ、図書館は予習復習に追われた学生でいっぱいだろうな、カフェテリアにはお腹をすかせた学生が山盛りのランチをトレイに乗せて並んでいるんだろうな…など思い出し、懐かしくなる事があります。
オアフに行く度に、必ず母校にも行こうと思います。

次は、卒業後1年働いた時の事を書きたいと思います。

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