イザナミの棲む京都愛宕に、明智光秀は、本能寺の変の直前、祈願に行きました。
何故、織田信長の信奉する神の住む地に訪れたのか私は疑問を持つのです。
おそらく、明智光秀は、愛宕の神・イザナミに祈ったのではなく、その神を鎮めるため、火伏せの神に願ったと私は思うのです。
愛宕神社は、火伏、防火にご霊験があるとされます。
何故かは、読み進めて頂くと分かると思います。
その事から、この愛宕は、現在の消防士の聖地とされます。
この地に愛宕五坊を建てたのは、白山開山の泰澄大師であることも、そう思わせるのです。
泰澄大師は、子供が生まれることを守る御井の神を祀る足羽(あすわ)の地(越前)で生まれ育ちました。
火の神と、子供が関わる形が、善光寺でも見られました。
(その記事はコチラ)
愛宕神社の祭神は、イザナミとされるのですが、
神仏習合時の本地仏は、勝軍地蔵尊。
少し前に紐解いた織田信長縁の六角堂(愛知県稲沢市)にある鉄地蔵尊と同じ意味合いを持つものと思われます。
何故なら、六角形は、イザナミを祀る白山の神紋だからです。
この紋は、キュウリの花で、織田信長は、キュウリの実を輪切りした紋であることから、信長は、イザナミの信奉者であったはずです。
その信長の神を鎮め、加護が無いように光秀は愛宕に来たと、私は思うのです。
六角堂の六角形の中に地蔵尊がいる事は、地蔵尊の特徴が、お施餓鬼でも分かるように、冥界の燃え盛る鬼達に慈悲の水を施す事であるから、火伏は、勝軍地蔵尊と言えるのです。
信長は、その地蔵尊を六角の中から出す事を良しとしなかったのではないかとも想像するのです。
これは、お地蔵様の六道輪廻転生思想に、似ています。
地蔵尊は、子供の形状をしている事から、麻績神社(長野県)の秋葉山、摩利支天の光明山(浜松天竜区)の紐解きからも、火の世界から生み出される子供を意味し、鉄の日置一族が関わっている事から、その子供は、「桃太郎」で表され、救世主と思われるのです。
愛宕神社の奥の院には、日本一の愛宕太郎坊天狗が祀られている事からもそう思わせるのです。
「坊」は、子供を意味します。
災いから守る桃をシールドにし、生まれた桃太郎と重なるのではないでしょうか。
織田信長の紋と同じ紋の八坂神社の祭、祇園祭も選ばれた子供が、災いの神に立ち向かう形があり、この祭りの期間中は、氏子はキュウリを食しない事も、この太郎坊に繋がって来るのです。
これらの事から、明智光秀が、愛宕に来た意味は、火の神の氏子である織田信長に打ち勝つため、火の中から産まれ出る神の子に願いをかけたと思われるのです。
神話では、イザナミが産んだ火を纏った子により、イザナミは、体が焼け、冥界に行く事になり、明智光秀は、同じ様に、織田信長も、その火により冥界へ送ろうとしたのではないでしょうか。
だから、本能寺に火を放ったと私は思うのです。
この考えを光秀が持っていたかは、光秀の生涯を見ると、重なる部分が多く在るのです。
光秀は、当初は医者でした。
越前の朝倉氏に仕えた時は、産婦人科の医者でした。
子供を母体から取り出す事に長けていました。
そして、越前は、白山信仰の強い地であり、それは、イザナミから子供を守かのように、御井の三柱が、産む事を守り、その子が健康で成長する事を守り、幸福で生きれる事を守る、子供に特化した泉の神の棲む地なのです。
光秀は、この信仰心から産科の外科医師になったとすると、愛宕へ祈願に来た事も理解できるのです。
しかし、不思議に思うのが次の事です。
愛宕の奥の院の太郎坊天狗は、イノシシに乗る姿で描かれているのです。
イノシシは、摩利支天の使いであるから、太郎坊は、水に特化した天狗なのです。
何故、天狗なのでしょうか?
それは、次回の記事で・・・